笹幸恵さんのコラムから。
映画「八甲田山」で高倉健が演じた「徳島大尉」のモデルとなった福島大尉の遺品。
貴重な史料だね、一度観てみたい。
以下産経ニュースより転載
7月中旬、九州へと出張に行った折、思い立って久留米にある陸上自衛隊幹部候補生学校の史料館を訪れた。これまで取材をしてきた陸軍関係者から、貴重な資料はすべて史料館に寄付したと立て続けに聞いていたからだ。目当ての展示をサッと見て帰るつもりだったが、1時間半も滞在して、なお後ろ髪を引かれる思いだった。
さして広くはないスペースだが、陸軍時代から現在の幹部候補生学校開設、そして現在に至るまでの経緯が部屋ごとに展示されている。入ってすぐの多目的スペースの壁には、特別展示として八甲田山の雪中行軍が取り上げられていた。それも、ただ単に文献で調べた概要が記されているだけでなく、雪中行軍を成功に導いた弘前第31聯隊・福島泰蔵中隊長の遺品の数々があった。うーん、いきなりシビレる。
史料室は、明治軍政の創始者、大村益次郎から始まっている。広報担当者の説明によると、この史料館は歴史の流れを学ぶというより、人に重点を置いているのだとか。つまり、陸軍で大きな功績があった人、また戦場においてたぐいまれなる勇気と犠牲的精神を発揮した人など、その遺徳に学ぶべき人々というわけだ。乃木将軍が日露戦争の「水師営の会見」で、ロシアのステッセル将軍の名誉を重んじたことは有名だが、それ以外にも多くの人物が取り上げられており、勉強不足であることを痛感する。
数年前、私は陸自のOBが、「われわれは過去を反省している。陸軍とはまったく違う」と断言した言葉を悲しい思いで聞いていたことがある。清濁ともに学ぶべきは学ぶ、その姿勢がなくて何の反省だろう。過去の全否定は、あらぬ驕(おご)りと慢心を招く。その話を広報担当者にすると、彼はサラリと答えた。
「昔はそうした考えがあったかもしれません。けれど今は、受け継ぐべきところはしっかりと受け継ごうと多くの人が思っていますよ」
東日本大震災の影響もあるのかもしれない。時代は変わる。私は後ろ髪を引かれつつも、すがすがしい思いで史料館を後にした。(ジャーナリスト)
(産経ニュース)
自衛隊の資料館・史料館には貴重な旧軍の兵器や遺物が多数保存展示され、三宿の衛生学校の彰古館のように極めて貴重な旧軍の軍医学校の資料などきちんと調べられて展示されている所もあれば、専門の隊員が配置されていない臨時勤務の史料館の展示物なぞ、謂われも意味も知らずただ掃除と管理だけして、酷い場合は貴重な史料を書類上処分しネットや骨董屋に転売している例がとても多い。
悲しむべき事実だ。
現実にそんな破廉恥な自衛官もいるのだ。
「血染めの軍服」といわれる戦没者が最後に着ていた遺品も展示していたとある駐屯地資料館では、その軍服を焼いて処分していたという。
理由は「気持ち悪いから」と臨時勤務の曹長の独断であったという。
血染めの軍服は支那事変で戦闘中指揮をしていた少尉のもので壮烈なる最期を遂げたもので、偉勲を讃えられ遺族に戦前還ってきたもので、戦後自衛隊へ寄贈されたものだった。
そんな大切なものを簡単に燃やすなんて・・・。
軍刀などの刀剣もよく売りに出されていて、ハッキリ言えばコレクターも多く、どの資料館に何があるということまで知られているので売られたら直ぐに解るってことを自衛官は知らないのである。
だから自衛隊の資料館への寄贈は私は勧めない。
大切にされる以前の問題なのだから。
ある貴重な旧軍の資料があるのだが、管理している団体が「自衛隊への寄贈を考えている」と私に言ったので上記の話をして猛反対したら、元自衛隊OBだけあって理解が早く、「そうのなか、よく解ったそれならダメだな、うん、君の話はあると思うよ、私の自衛隊OBの会も50年の記念で記念誌を作ろうとしたら過去の記録がすっかり消えていたんだ、ある代の会長が過去の名簿や記録なんて残しておいても邪魔になるだけだ、すっきり処分してやったよと嬉しそうに自慢していたからね、そういう価値感の人間もいることは間違いないから、今の自衛官は受け入れてくれても交代したらどうなるか解らないからね、私ははこの貴重な史料を永く後世に遺すことが大切だと思っているから自衛隊は不適格だね」と言ってくれた。
賛否両論はあるだろうけれど、結構貴重な史料が自衛隊の資料館から姿を消しているのは間違いないのだ。