「薄煕来氏解任」の余波 | 戦車兵のブログ

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戦車兵のブログ 「「薄煕来氏解任」の余波」

石平氏のコラムから
以下産経ニュースより転載



15日に重慶市党委書記の薄煕来氏が解任された後、地元の重慶では実に興味深い光景が見られている。党中央から派遣された新しい党委書記の下、市の党員幹部、警察および解放軍警備区の将兵たちがいっせいに動員されて、「党中央の決定を支持する」キャンペーンに参加しているのだ。


 幹部だけでなく、普通の市民までがメディアに登場させられて「われわれ重慶市民は党中央との思想統一を保つ決意だ」との決まり文句を口にしているから、全員動員型キャンペーンの徹底ぶりがうかがえる。


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 要するに党中央は重慶市における薄氏の影響力の排除に全力を挙げているのだが、そのことは逆に、薄氏の影響力が地元の党・軍・警察から一般市民にいたるまで広く浸透していることを物語っている。


 重慶市在任中の4年あまり、薄氏は黒社会撲滅運動(打黒)や毛沢東時代の「革命歌謡曲」を歌うキャンペーン(唱紅)を展開する一方、貧富の格差の拡大や腐敗の蔓延(まんえん)などに対する民衆の不満を和らげるための諸政策を独自に講じてきた。その結果、民衆における「薄煕来人気」が高まり、彼はいつの間にか「民衆の声を代弁するカリスマ政治家」との名声を得ることに至った。


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そして野心家の薄氏は、民衆からの支持をテコにして党中央に圧力をかけ、次の党大会における自分の昇進をはかろうとしていたが、このような「下克上」的政治手法は結局、党中央指導部から強く警戒され、彼の失脚の種となった。


 だが薄氏の失脚はまた、党中央にとって厄介な問題を生み出そうとしている。「民衆の声を代弁する政治家の受難」は逆に薄氏の名声をよりいっそう高めて、彼のことを「悲劇の英雄」に仕立ててしまう恐れがあるからである。


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 現に、薄氏が失脚した直後から、中国国内では薄氏を賛美したり英雄視したりする声が続々と上がってきている。

 たとえば15日夜、河南省の「商都網」というウェブサイトは「重慶市前党委書記薄煕来が語る、われわれは民主と法治の道を歩む」とのタイトルの長編記事を掲載して、「打黒唱紅」を含めた薄氏の「政績」を枚挙してたたえた。


 翌16日、「中国10大ポータルサイト」の一つに数える「21CN」は薄氏在任中の重慶市の「経済建設の業績」に焦点を当て、さまざまな統計数値を挙げながら、「薄前党委書記の指導下で重慶の経済は大いに躍進し、民衆の生活が安泰になった」と主張している。



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 同じ日、江蘇省共産党宣伝部管轄下の「龍虎網」というウェブサイトは、薄氏の自筆手紙の写真を公表して、その中にある「旗幟(きし)鮮明にして真理を守らなければならない」という薄氏の言葉を大きく取り上げて紹介している。あたかも薄氏のことを、「真理を守るために身を捨てた英雄」と賛美しているかのような取り扱い方である。


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 このように、薄氏の解任に踏み切った中央指導部の意思が明確になった後でも、地方で薄氏賛美の動きがあからさまに出ていることは、中央指導部の権威低下を示していると同時に、いわば「薄煕来人気」の根強さを浮き彫りにしている。その背後にあるのはもちろん、貧富の格差の拡大や腐敗の蔓延に対する民衆の不満の高まりであることは前述の通りである。


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 だとすれば、今の共産党指導部にとって、薄氏の解任は問題の終結ではなくむしろ問題の始まりであろう。薄氏を葬り去るのは簡単だが、今まで彼の存在によって代弁されてきた民衆の不満をいかにして吸収していくのか。それこそが今後の共産党指導部が直面する最大の問題となる。



【プロフィル】石平

 せき・へい 1962年中国四川省生まれ。北京大学哲学部卒。88年来日し、神戸大学大学院文化学研究科博士課程修了。民間研究機関を経て、評論活動に入る。『謀略家たちの中国』など著書多数。平成19年、日本国籍を取得。


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そうか、単なる権力者じゃなかったから中央政府にとって邪魔でもあったんだね。


人民の心を掴むのも中国では出る杭は打たれるのも露骨にやられるってことだ。


適当にやって賄賂で金貯めている方が無難なんだな、中国では。