「敵艦隊見ゆ」の信濃丸たたえる 東郷平八郎「感状」の実物初公開」
バルチック艦隊を発見した信濃丸に対して連合艦隊司令長官東郷平八郎海軍大将から授与された感状が公開されたそうだ。
陸の「二百三高地占領」の乃木大将から歩兵25聯隊へ出した感状くらい貴重だね。
以下産経ニュースより転載
日露戦争時のバルチック艦隊発見の無線通報「敵艦隊見ゆ」で知られる「信濃丸」の戦功をたたえ、連合艦隊司令長官の東郷平八郎が贈った文書「感状」の実物が日本郵船歴史博物館(横浜市中区)で初公開されている。同船が登場する司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」を原作にしたNHKドラマ第3部が12月放送予定で、同館は「ドラマと重ねて激動の時代に思いをはせてもらえれば」と話している。
信濃丸は、北米定期航路に就航していた日本郵船の貨客船。徴用され、仮装巡洋艦として連合艦隊に編成された。明治38年5月27日、対馬海峡に姿を見せたバルチック艦隊を発見し、「敵艦隊見ゆ」と打電した。これを受け、東郷が大本営あてに、秋山真之中佐が作成した有名な電報「敵艦見ゆとの警報に接し…天気晴朗なれども浪高し」を打電した。大艦隊同士の砲撃戦として海戦史上に残る日本海海戦の始まりだった。
圧倒的な勝利に終わった結果、艦隊決戦に光が当たるが、戦勝の陰には商船の活動があった。信濃丸もその一隻で、「坂の上の雲」では仮装巡洋艦について「それぞれ小さな砲をのせていたが、実体は汽船で敵の軍艦とわたりあえるような力はなかった。それらはすベて哨戒任務にあたっていた。このうち信濃丸というのがあった」などと書かれている。
感状は同年6月20日、東郷から同船に贈られたもの。「確実迅速ナル警報ハ連合艦隊ノ作戦ヲ利セシコト少ナカラス其功績大ナリトス」などと記されている。同館はこれまで複製を展示していたが、同船の艦長の遺族から昨年、実物の寄贈を受けた。
初公開に合わせ、常設展示の一角に特設コーナー「近代日本の歩みと日本郵船」を開設。産業の急速な成長を背景に海外航路が次々に開かれた時代から、多くの商船が運送船や通信船、病院船、水雷沈置船などとして徴用された日露戦争までの20年を振り返る。(産経ニュース)
この信濃丸、この時代でも古い船であったが、大東亜戦争でも輸送船として活躍したそうだ。
「ゲゲゲの鬼太郎」の漫画家水木しげる氏が南方へ送られる時に乗船したのが正に、この信濃丸であったという。
物凄くノロノロで、敵の魚雷が側を通過下だけで沈むと言われたそうだ。
船をあちこち触るとぽろっと取れるので、とても不安だったそうである。
信濃丸は最期どうなったのかな?