御遺体の身元確認に必要なDNAの採取も行ったり、検視の警察官も原発の放射能汚染の広がる地域へ検視へ行って苦労されている。
以下産経ニュースから転載
津波に、余震、原発…。「正直、怖かった」。東日本大震災で津波に襲われ、原発事故で屋内退避地域となった福島県南相馬市。検視のため現地に派遣されたある警察本部の40代の警部補が、懸命に遺体と向き合った1週間を振り返った。
「遺体はまるで泥の塊だった」。警部補が南相馬市に入ったのは地震発生2日後。5府県警の計160人が10人ずつのチームをつくり、東京電力福島原発から約20キロの高校体育館で検視を続けた。
最初の遺体を見て絶句した。泥で真っ黒になった顔。体は傷だらけ。次から次に運ばれてくる遺体に、番号札を付ける。抱っこひもをした女性もいたが、抱いていたはずの赤ちゃんはいない。
数々の事件現場を経験したが「災害はこんなに多くの罪のない人の命を一瞬で奪うのか」と、やるせない感情が押し寄せてきた。
消防車の高圧放水で泥を流して服を脱がせ、1体ずつバケツの水で手洗いする。「少しでもきれいにして家族に返したかった」。どの警察官も同じ思いだった。「みんなが遺体を自分の家族に置き換えていた」
体育館の中は静かだった。黙々と検視を進める。休憩時間になっても誰もしゃべらない。死因は溺死がほとんど。遺体の胸を押して、口から水が出るのを確認した。身元不明遺体は指紋を採り、DNA鑑定のために血液や爪を採取した。
一方、余震や原発事故の影響で、検視作業は度々、中断させられた。食事は自分たちで調達し、車内で宿泊することも。「放射線の状況は何も分からない。余震もあり、正直怖かった」。それでも、誰も帰りたいとは口にしなかった。
妻からは「一人でも多くの人を家族の元に帰してあげてね」とメールが届く。
警部補のチームは1週間で約50体を検視したが「何もできなかった」と無力感にさいなまれた。任務を終えた帰りの道中、南相馬市は雪が積もっていた。
「この下にはまだまだ千人以上の人が眠っている。また、助けにくるから」。そう誓わずにはいられなかった。(産経ニュース)
未だに多くの御遺体が埋葬もされずに放置されていると聞く。
胸が痛む、ここが同じ日本だとはね・・・・。
原発、いつになったら落ちつくのかね。
その間、御遺体は・・・・・、考えるのが辛い。