戦車兵のブログ

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元陸上自衛隊の戦車乗員である戦車兵のブログ
北海道在住でマニアックなメカとしての戦車じゃなく、戦車乗りとしての目線から自衛隊や戦史、戦車を見る!!。
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三島由紀夫が東部方面総監を人質にして総監室に立て籠もった時に救出に行った当時の三等陸佐の制服が現存していた。

 

血染めのの軍服ならぬ血染めの制服だ。

 

生々しいね・・・・・。

 

 

 

以下時事ドットコムより転載

 

作家・三島由紀夫=当時(45)=が1970年11月、「楯(たて)の会」会員と陸上自衛隊市ケ谷駐屯地の東部方面総監室に立てこもった際、三島に切り付けられた当時の自衛官が着用していた制服が現存していることが分かった。

 

25日で事件から50年となるのを前に、元自衛官が初めて所在を明かし、時事通信は陸自小平駐屯地(東京都小平市)の倉庫に残されていた制服を確認した。

 

 

 取材に応じたのは、当時、東部方面総監部の会計課予算班長=3等陸佐=で、陸自中央会計隊隊長などを務めた元陸将補の寺尾克美氏(91)。


 寺尾氏の証言に基づいて確認した制服は、背中がコの字形に切り裂かれ、血痕のようなものが付着していた。

 

1958年に導入された「58式冬服」とみられ、寺尾氏の当時の階級を示す3佐の階級章と、総監部が所属していた東部方面隊の部隊章が付いており、内側に寺尾氏の氏名が手書きされていた。

 

 

 

 寺尾氏によると、事件当日、寺尾氏は三島らが立てこもった総監室と同じフロアの別室で会議中で、総監監禁の報を受け、同僚と総監室に飛び込んだ。

 

三島と共に自決した森田必勝=当時(25)=を押さえ付けた寺尾氏は、森田の手から短刀を奪い取ろうとした際、三島から日本刀で右腕と背中計4カ所を切られた。


 当初、寺尾氏は木刀だと思っていたといい、最初に切り付けられた右腕には何も感じず、次に受けた背中の一刀も「軽くたたかれたようだった」という。

 

三島は「(総監室を)出ないと殺すぞ」と脅したが、寺尾氏が応じなかったため、刃先に力を込め、最後に受けた一番大きな傷は背骨と平行に長さ23センチ、深さ5センチに及んだ。


 刃先は肋骨(ろっこつ)まで達していたが、寺尾氏は「森田を押さえて背中を見せてかがんでいた。(三島に)殺意があれば、一発で首を落とすことができたはずだ」と振り返った。

 

 

寺尾氏によると、制服は捜査に当たった警察が押収。三島と共に立てこもった楯の会会員の裁判終結後に返却され、会計科職種の教育も担う業務学校があった小平駐屯地に寄贈したという。

 

時事通信の問い合わせを受けた後、「寄贈品」として登録した陸自は当時の総監室を保存した「市ケ谷記念館」(新宿区)での展示も検討している。

 

                     (時事ドットコム)

     

 

この時の三島の抵抗を再現する。

 

昭和45年11月25日11時20分頃のことだった。

 

 

室内から「来るな、来るな」と森田必勝が叫び声を挙げ、ドア下から要求書が差し出された。

 

それに目を通した原1佐らはすぐに行政副長・山崎皎陸将補(53歳)と防衛副長・吉松秀信1佐(50歳)に、「三島らが総監室を占拠し、総監を監禁した」と報告。幕僚らに非常呼集をかけ、沢本3佐の部下が警務隊に連絡した。

 

 

総監室左側に通じる幕僚長室のドアのバリケードを背中で壊し、川辺晴夫2佐(46歳)と中村菫正2佐(45歳)がいち早くなだれ込むと、すぐさま三島は日本刀・“関孫六”で背中などを斬りつけ、続いて木刀を持って突入した原1佐、笠間寿一2曹(36歳)、磯部順蔵2曹らにも、「出ろ、出ろ」、「要求書を読め」と叫びながら応戦した。

 

この時に三島は腰を落として刀を手元に引くようにし、大上段からは振り下ろさずに、刃先で撫で斬りにしていたという。

 

この乱闘で、ドアの取っ手のあたりに刀傷が残った。

 

 

彼ら5人を退散させている間に、さらに幕僚副長室側から、清野不二雄1佐(50歳)、高橋清2佐(43歳)、寺尾克美3佐(41歳)、水田栄二郎1尉、菊地義文3曹、吉松秀信1佐、山崎皎陸将補の7人が次々と突入してきた。

 

 

副長の吉松1佐が、「何をするんだ。話し合おうではないか」と言うが乱闘は続き、古賀浩靖は小テーブルや椅子を投げつけ、小川正洋は特殊警棒で応戦した。

 

 

森田も短刀で応戦するが、逆に短刀をもぎ取られた。

 

三島はすかさず加勢し、森田を引きずり倒した寺尾3佐、高橋2佐に斬りつけた。

 

総監を見張っていた小賀に、清野1佐が灰皿を投げつけると、三島が斬りかかった。

 

清野1佐は、地球儀を投げて応戦するが躓いて転倒。

 

山崎陸将補も斬りつけられ、幕僚らは総監の安全も考え、一旦退散することにした。

 

 

この乱闘により自衛隊員8人が負傷したが、中でも最も重傷だったのは、右肘部、左掌背部切創による全治12週間の中村菫正2佐だった。

 

三島の刀を玩具だと思って左手でもぎ取ろうとしたため掌の腱を切った中村2佐は、左手の握力を失う後遺症が残った。

 

 

しかし中村2佐は、三島に対して「まったく恨みはありません」と語り、「三島さんは私を殺そうと思って斬ったのではないと思います。相手を殺す気ならもっと思い切って斬るはずで、腕をやられた時は手心を感じました」と述懐している。

 

 

森田必勝が三島由紀夫の介錯をした際に思うように行かず三度もやり直したことや、三島に比べて切腹の際に浅くしか腹に刃が入っていなかった背景に、自衛官らと揉み合った際、森田が握りしめた脇差をなかなか放さなかったために木刀で何度も前腕を打たれていたことが原因であったという。

 

森田必勝の名誉のためにも知られてほしいエピソードだと思います。

 

市ヶ谷の防衛省の見学ツァーへ行くと三島が残した総監室の扉の刀傷が今も観ることができます。

 

 

札幌はコロナで・・・・・、というほど閑散もしてないしスーパーへ行けば人も結構いる。

 

飲食店はかなりやばいと言うが、ランチとかは結構人がいるけどね。

 

何にしても、今年はコロナ禍で往来は減り、必要最低限でしか行動しないほうが賢明だろう。

 

 

結局最後は自己防衛でしかないからね。

 

それをしていてもダメな時は感染してしまうのだろう。

 

だからと言ってマスクやうがい手洗い等最低限のことくらいはしないとね。

 

雪が降ると、ただでさえ外出が減るし行動半径は狭くなる。

 

積雪があると行きにくくなるところとか行ける時に行っておこうと自転車に乗って行って来た。

 

 

マスクとか除菌スプレーとか安価で売っている店へ行って購入してきた。

 

近くに古本屋があったので本も買う。

 

多分このままでゆくと「緊急事態宣言」みたいなのがまた発令されそうだものね。

 

本を思いのほか買ってしまった。

 

200円から110円くらいの本ばかりだけれど自宅に引きこもるなら・・・って読んでない本が文字通り山になっているのに・・・・。

 

 

 

今回は漫画が多かったよ。

 

DVDも安くていいのがあったんだけれど、既に持っているのばかりだった。

 

多分、冬の間はここの店には来ない可能性大だからね。

 

今年も残り一月ばかりとなった。

 

越冬準備だけはしっかりしないといけないのと、コロナ対策は考えないとね。

 

特にマスクとかまた品薄になったりすることもあるから洗えるマスクはちょっと多めに買ったよ。

 

買い物をして外に出ると雪が降ってきた・・・・・。

 

コロナと雪との戦いが始まるね。

 

自衛隊は団体生活をしている。

 

特に教育隊は団体生活の最たるものだから・・・・。

 

教育隊っておそらく陸曹教育隊だろうね。

 

通称「陸教」・・・・・、朝霞の女性自衛官のクラスターも陸教の陸曹候補生だった・・・・陸曹候補生がしっかりしてなくて陸上自衛隊の将来は暗澹たる感じがするよ。

 

すくなくとも陸曹候補生が宴会とか行ってはいけない、やってはいけないことをして感染したのなら陸曹候補生の指定を取り消すくらいの・・・それは厳しいか・・・・。

 

でもね、女性自衛官の時は全国へ感染を広めた、しかもやってはいけないと知りながらの宴会をしてだからね。

 

以下毎日新聞より転載

 

 

防衛省・自衛隊における新型コロナウイルスの感染者数が11月、月間で初めて100人を超えた。

 

教育課程で集団感染が発生した陸上自衛隊東千歳駐屯地(北海道千歳市)をはじめ、道内の感染者が押し上げた格好となっている。

 

 防衛省によると、11月の感染者数は25日時点で107人。うち9割弱にあたる95人が陸自で、その中で北海道関係が61人を占める。

 

道内の駐屯地6カ所と地方協力本部1カ所に勤務する隊員だった。

 

 

 このうち東千歳駐屯地は、道から3回にわたってクラスター(感染者集団)の発生が認定された。認定日は1回目が10月10日(同23日に収束)、2回目が11月2日(同15日に収束)、3回目が同16日。

 

道によると、道内で他にクラスターが3回認定された施設はない。

 

 3回目のクラスターは、東千歳駐屯地で10月初旬に始まった教育課程で起きた。

 

教育課程では、道内各地から集まった隊員約100人が4クラス(区隊)に分かれて活動。

 

同一のクラスで11月11~15日に10~20代の男性計16人の感染が確認された後、18日に別のクラスの20代男性4人の感染が明らかになった。

 

さらに25日、20代男性16人の感染が発表され、感染者は教育課程受講者の4割弱に広がっている。

 

重症者はいないものの、まだ検査を受けていない人もいるという。

 

 

 感染経路は不明だが、教育課程の開始前、受講者には2週間の健康観察が行われた。

 

1人目の感染判明まで2週間以上が経過しており、ウイルスは教育課程の開始後に持ち込まれた可能性がある。

 

陸上幕僚監部は「道内で感染者が増え、市中感染のリスクが高まっていることを再認識し、マスクや手洗い、3密回避といった基本を徹底するほかない」としている。

 

 

 防衛省の集計によると、防衛省・自衛隊の3~6月の感染者数は14人だったが、7月は37人、8月は61人と急増した。

 

9月は26人に減ったものの、陸自朝霞駐屯地(東京都、埼玉県)で行われた教育課程で集団感染が発生した10月には、再び65人に増えていた。

 

 

 防衛省は感染予防策として、全国の自衛官や事務官に対し、少人数での「会食」を除き、酒食を伴う業務の打ち合わせである「会合」や宴会、キャバクラなど接待を伴う店の利用を事実上禁じている。

 

また、各駐屯地・基地では、食堂の利用時間をずらすなどさまざまな3密回避に取り組んでいる。【松浦吉剛】

 

(毎日新聞)

 

 

陸曹候補生を教育する陸教は、卒業まで隔離しながらの教育と外出の一切の禁止、駐屯地での行動制限が不可欠だろう。

 

厳しくて酷なようだけれどそれくらいしなければクラスターは治まらない。

 

自衛隊は最期の砦なのだから、過酷でも外出の禁止と年末年始の忘年会などは中止して欲しい。

 

一人が感染したら瞬く間に感染は拡大するのだから・・・・。

 

 

南恵庭駐屯地の売店の紹介。

 

トッカグンは東北の部隊出身だけあって冬季の装備には興味あるようだね。

 

駐屯地祭とか駐屯地開放って北海道の場合は冬ってあんまりやらないから冬装備とか売っているのを一般人が見る機会は少ないのかも知れない。

 

昔は真駒内駐屯地がさっぽろ雪まつり会場だったので真冬の駐屯地へは入れたのだが・・・・。

 

昔は直営売店で自衛隊グッズが買えた。

 

階級章や防衛記念章、記章とか・・・・、今は共済組合だね。

 

予備自衛官で昇進した時に南恵庭駐屯地で階級章買った覚えがある。

 

今回トッカグンが紹介しているのはそういう自衛隊グッズではなく、自衛官が訓練などで使うと便利なグッズ類を民間の売店で販売をしている。

 

演習グッズとかね。

 

便利なんだけれど高いんだ。

 

私の時代は街中のミリタリーショップで買ったり、秀岳荘とか登山グッズの専門店でいろいろ購入していたよ。

 

 

 

コンビニが自衛隊の売店に入るようになっていろいろ様変わりした。

 

「ヤマザキ」は北海道じゃあんまり見ないコンビニ。

 

南恵庭駐屯地は施設科部隊の駐屯地のせいか「手袋」類が充実しているね。

 

どこの駐屯地へ行っても同じ物を扱っている物と、この駐屯地だから必要な物ってあるから。

 

これが北恵庭だと・・・あんまり特色もないし品揃えも南恵庭よりよくないね・・・。

 

トッカグンが南恵庭で取材したのは大正解だね。

 

 

一番人気が「足ゴム」とは納得です。

 

銃剣止め・・・確かにみんな持っていたけれど私はあんまり使った覚えが・・・・装填手の頃だけだから・・・。

 

でも銃剣止めは確かに持っていた。

 

サブマシンガンに銃剣は無かったからね。

 

ビニールテープとかって必需品じゃないの?って意外に思った。

 

雨衣はポンチョがいいよ、2千円なら安いね。

 

ただ・・・一般人だと駐屯地に入れないしいつでも買える訳でもないし・・・駐屯地祭では混むからね・・・・。

 

機会があれば駐屯地の売店でリュクとか買うのもいいね。

 

三島由紀夫が市ヶ谷駐屯地の東部方面総監部で自決してから11月25日で50年が経った。

 

ノーベル賞候補とまで言われた文士としての三島由紀夫とは違う憂国の士としての最期であった。

 

東部方面総監室のバルコニーで檄を飛ばす三島の肉声は自衛官の野次にかき消されながらも現代の日本の国防の問題点を突いている。

 

「自衛隊は違憲なんだ、憲法を守る自衛隊は・・・」今の日本を見て三島由紀夫はどう思っているのだろうか?

 

 

三島が演説する時に額には「七生報國」の鉢巻きをしていた。

 

「七生報國」とは七たび生まれ変わっても、朝敵を滅ぼし、国に報いるの意味だ。

 

三島は「憲法改正のチャンスはもうない」「自衛隊が軍隊になる日はない」「健軍の本義はない」と嘆いている。

 

これは日本の今の現状を見ても明らかだね・・・。

 

 

「自衛隊にとって健軍の本義とは何だ、日本を守ること、日本を守ることとは何だ!?日本を守るということは天皇を中心とする歴史と文化の伝統を守ることである」と三島は自衛官に問うていた。

 

本当にそうだと私は思うのだが、当時の自衛官の心には響かなかったのかも知れない。

 

 

その後、三島は野次でかき消される演説に「お前ら聞け!聞けぇ!静かにせい、清聴せい!話を聞けっ!男一匹が、命をかけて諸君に訴えかけているんだぞ」と・・・・。

 

三島の演説は悲しいけれど自衛隊には受け入れられない話だったろうし、聞いても貰えなかった。

 

 

「今、日本人がだ、ここでもって立ち上がらねば、自衛隊が立ち上がらなきゃ、憲法改正ってものはないんだよ。諸君は永久にだね、ただアメリカの軍隊になってしまうんだぞ。(中略)
おれは4年待ったんだ。自衛隊が立ち上がる日を。……4年待ったんだ、……最後の30分に……待っているんだよ。諸君は武士だろう。武士ならば自分を否定する憲法をどうして守るんだ。どうして自分を否定する憲法のために、自分らを否定する憲法にぺこぺこするんだ。これがある限り、諸君たちは永久に救われんのだぞ。 」

 

自分を否定する憲法にペコペコか・・・、それでも自衛隊は国を守らなければならないし、自衛官は有事になれば命を懸けて戦うだろう。

 

自衛隊と「軍隊」は違う、この辺を理解していないと日本人はいけない。

 

戦車があり、戦闘機があり、イージス艦を保有していても自衛隊は軍隊ではないのだから・・・。

 

 

三島は、「諸君の中に一人でもおれと一緒に起つ奴はいないのか」と叫び、10秒ほど沈黙して待ったが、相変わらず自衛官らは、「気狂い」「そんなのいるもんか」と罵声を浴びせた。

 

予想を越えた怒号の激しさやヘリコプターの騒音で、演説は予定時間よりもかなり少なく、わずか10分ほどで切り上げられた。

 

「健軍の本義とは何だ!?」との三島の問いにちゃんと答えられる日本人や自衛官がどれだけいるだろう。

 

 

 

 

三島の自決から50年、三島由紀夫の問いかけに自衛隊は未だ軍隊になれず、国防上のいろんな問題は50年前と変わらず支那、北朝鮮、韓国、ロシアといった危険な周辺諸国に囲まれながら脅威があっても憲法の改正すら行われないでいる。

 

「自衛隊はアメリカの軍隊になってしまうんだぞ」三島は叫んだ。

 

アメリカありきの自衛隊なのは間違いない。

 

今一度日本人は三島の演説を聞き真剣に考えて欲しい。

 

「健軍の本義とはなんだ!?」