昨日、病院と予定が重なって、30分くらいしか参加できなかったお茶のお稽古。この日のお軸は、春らしく、
柳緑花紅
の4文字。一般的には、春の美しい景色を表す四字熟語で、禅語としては「あらゆるものがそれぞれの在りように安らいでいるさま」のように、先入観や偏見なく、目の前に見えている姿が本来の真実の姿である、というような意味で使われるようですが、出典となった元々の詞を調べてみると、全然様子が違ってました。唐の時代の魏承班という人の作で、この前後は、
離別又経年、独対芳菲景。
嫁得薄情夫、長抱相思病。
花紅柳緑間晴空、蝶舞双双影。
羞看綉羅衣、為有金鸞並。
となってました。全文はもっと長いですが、この部分だけ読むと、
別れてから年を経て、
今は独りで花の景色を見ている。
情の薄い夫に嫁ぎ、
長い間、恋の病を抱えている。
紅の花と緑の柳の合間の晴れた空に、
二匹の蝶が寄り添って飛んでいる。
私は恥じながら刺繍の入った絹の衣裳を見る、
金色の鸞が描かれ、私と並んでいるようだから。
…両想いの人がいたのに、家の事情か何かで別れざるを得ず、その後、結婚した夫は情の薄い人で、自分は孤独に花咲く春の景色を見ている。衣裳に刺繍された鳥だけが私に寄り添ってくれるようだ、というような、寂しい詩でした。
「柳緑花紅」も、春の美しい景色には違いないけど、「春なのに」という気分なんですね…。
最近、某県の知事が「切り取り報道」発言をしていましたが、原文の意図と全然違うという意味では、柳緑花紅の方が上を行ってますね。禅語の解説じゃないけど、先入観や偏見なく、そのまま読めって感じ。調べてみて何だか考えさせられる句でした。
お花は白いヤマブキと、オダマキ。
ヤマブキって黄色しかないと思ってた。