昨日トルコ料理を食べながら、久しぶりに会ったOBといろいろ話していたのですが…メンバーの一人が
「のぼるさんには悪いけど、私も死を身近に感じて生きてる、自分もいつ死ぬか分からないと思ってる。みんな同じだよ。」
と言い出して閉口しました。
別に私が死について語った…という状況ではなかったため、どういう脈絡でその発言に至ったのか謎なのですが。
その子の言うには、最近お父様が亡くなり、友人には過労死に近い亡くなり方をした人や、自殺された人もいて、だから上のような発言になったようですが……
私に言えることは
「はぁ、そうですか、それは大変でしたね。」
かなぁ…。だいたい「のぼるさんには悪いけど」って何だ?まるで私ががん患者の特権で死を語ってるような言い方じゃん。そりゃ久しぶりに会ったOBに病気の概要と「死ぬかと思いました。」くらいは言いましたよ。
私だって父を肺がんで亡くしてるし(だから自分もがんになるかも…っていう恐れはあって、がん保険に入ってた)、自殺してしまった学生時代の友人もいます。だから件の発言主の状況がそれほど特殊だとは思わない。
それに率直に言えば、
でも、それって全部他人の死だよね?
です。数ヶ月に一度、体の輪切り(造影CT、MRI)とガイコツ(骨シンチ)の画像を見せられ、頭痛のたびに脳転移、膝が痛ければ骨転移が頭をよぎる…というような生活をしてる者からすると、「何だかんだ言ってもその『死』は肌感覚じゃないよね?」と思ってしまう。
けれどこれは私が言ってはいけない言葉だな。図らずもその人が言ったように、がん患者がこれを言っちゃうと、妙な武器になってしまう。他の人が死について語るのをシャットアウトしてしまいかねない。
それに私だって、先日のNHKで放送された彼女は安楽死を選んだの女性みたいに、自ら命を絶とうと考えるところまで追い込まれてはいない。
あれやこれや考えた末に、暫定的に出した結論は…
・自分の生死の感覚と、他人のそれを比べても話はすれ違うだけ。
・だからこそ安易に「分かるよ」とか「みんな同じだよ」という言葉は言うべきではない。
・この話題のときは心理学的「共感」 ←ググってください。 のスタンスで聞くのがよいのでは。
というところかな。微妙な話題だけに取り扱いが難しい。…考えすぎかなぁ?