このニュース、何人かの医療者の方のブログに取り上げられてますね。
記事を読んで「闘病」ということを改めて考えさせられました。
デジタル大辞泉の解説
「病気を治そうという強い意志で療養につとめること。」
精選版日本国語大辞典の解説
「病気とたたかうこと。病気を治そうという強い意志をもって、ある期間療養につとめること。」
これが一般的なイメージですよね。私もそう思ってました。手術の痛みを乗り越え、薬の副作用に耐え、リハビリに精を出す、みたいな。
でも最近思うのです。闘う相手は病気だけじゃない。
病気以外に闘わなきゃいけない相手、それは他ならぬ自分ではないか?
今日、私は自分に負けました。
ちょこちょこ書いていますが、私は休日恐怖症です。土日なんてなくてもいいのに、とすら思ってます。金曜日はいつもメンタル不調です。
寂しい。
心細い。
怖い。
誰とも喋らずにウチにいると、たまらない閉塞感があります。一人だけ取り残された感じがします。
仕事からの帰り際に、久しぶりに職場で泣きました。
様々な負の感情や、芳しくない情報との闘い。それらに負けそうになる。
でもね、どこかに冷静な自分も残っていて、その彼女(彼)は「もうイヤだ、たくさんだ」と弱音を吐くもう一人の自分すらを相手に孤独に闘っている。
それが闘病なんじゃないか。
孤独というのは、孤立とは違います。
孤立すると手を差し伸べてももらえなくなります。たいていの人は落ち込んでいるときに声をかけてくれる人や、泣いているときに慰めてくれる人が周りに一人や二人はいるでしょう。
それでも心に食い込むのが孤独です。なぜなら、最終的に他の人にはどうしようもできなく、自分を救うのは自分しかいないからです。
「それは病気じゃなくても同じでしょう?」
本来的にはその通りです。だけどそれを実存的に感じるかどうかは、環境要因…端的に言えば「命の危機を肌で感じているか」によって大きく異なるでしょう。
「人はみないつかは死ぬ」
と
「◯◯がんの人(≒あなた)が5年後に生きている可能性は△%」
を同じ重みで受け止められるでしょうか。
たとえ後者が「単なる中央値で、自分がそれに当てはまるとは限らない」と理性で分かっていても、やはり「人はみないつか死ぬ」というぼんやりとした真理より身に迫るのです。
これは一例ですが、理性は、このような理屈抜きの恐怖感や不安感とも闘っているのだと思います。それが闘病なのだと感じた週末でした。
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違う意見の方もたくさんいらっしゃると思います。ですので、十人十色の感じ方のうちの一つ、と思って読んで頂ければ幸いです。
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