【最終更新】COZY The R.A.Y.S MIO ライブ〜 Jz brat〜
先日、カメラ担当で渋谷JZ BRATに行ってきた!

有坂さん/澤田さん/mioさんのセッションコンサート

澤田さんワンマンライブ

このJz bratでは、大分顔なじみになったかな?と思っております。
支配人の谷口さんは本当すばらしい方でお話しているだけで、本当綺麗な気持ちになれます。
この日は、
COZY/The R.A.Y.S /mioさんのthree session LIVE

※写真はNo Pain No GainにおけるCOZY
この三組とはNo PAIN No GAINというイベントで前々から顔なじみと言うこともあり、Jも大分、最近では気楽に写真が撮れるなぁというのがあります。
歌唱力はJが知っているアーティストの中でも究極に上手いベスト10に入るレベルの3組なので、写真を撮る担当ではあるものの、楽しみにしていたコンサートだ!
ちょっと、今回の記事ではチラリズム程度で次回再更新した時に、写真はどしどしアップしていきます!

MIOさん




もうなんだかんだで、お会いして4回目くらいになる。最初にお会いしたのが有坂さんとのステージだけ会って、Jも思い入れが非常にあるシンガーなんです。
可愛らしい笑顔とは裏腹の本格派ジャズシンガーの実力!
そしてMCで垣間みる九州のなまりww等々ギャップが非常にあるシンガーです。
女性ファンが非常に多いシンガーであり、また気品溢れる大人が片手にブランデーを持ちながら聞ける歌!どれをとってもやはり素晴らしいですね★
また12月27日にNo Pain No Gainでお会いできるが楽しみですね!

THE R.A.Y.SのRINOさん

ギターのyoshikiさん





The R.A.Y.SのRINOさん、Yoshikiさんは前回のNo Pain No Gainから一緒にやらせてもらっている。正直な話、前回のliveではほとんど絡んでいなかった。この日がある意味初めて的な感じです。Rinoさんとはそこまでお話しなかったが、ギターのyoshikiさんとは結構お話しすることができた。youtube動画や過去のMCでも結構雰囲気のいいかただと思っていたのですが、イメージ通りの人柄で素朴なしゃべり方の中にユーモアが凄くある方でしゃべっていて凄く楽しかった!次はRINOさんとしゃべってみたいな。
歌唱力は以下のyoutubeを聞いていただければ分かります!素晴らしい英語の発音!そしてキレイな歌声!!!パーフェクトです。ギターのyoshikiさんも以下のyoutube動画の4.08らへんの弾き方を見ていただければわかります!叩きながらなのに、ちゃんと音を出している!Jのように素人はその見た目だけでも惹き付ける!
この動画をみて「夫婦か?」という風によく言われるということを「違いますよ~」と反論しているyoutube動画もアップしています。結構おもしろいwww
http://www.youtube.com/watch?v=y_YPGBrSKzs&feature=related
この日はCDを売ってもらって大満足!!!

COZY ※左:Gu.かんちゃん、 中央:Vo.Marくん 右:Dr.アミーゴ






cozyとは実はBAND名。Jも最初はボーカルのMAR君がCOZYという名前だったと思っておりました。
本物のBANDだとJは思っております。
MAR君の歌唱力は、おそらくJが知る限りでピーク時の玉置浩二の歌唱力と比較しても退けを足らないくらいのレベルだと思っております。この日はMAR君とも初めてかな、結構お話したと思います。今後ともいい写真を撮っていく上でコミニュケーションをはかっていけたらと思います。やっぱ歌い手と撮り手は良い関係でいてこそいい写真が撮れるというのが経験弾なものです。
ギターのかんちゃんとは、もうかなりの仲良しなので出番の前はひたすら格闘技の話をしておりました。ステージではさすがのギターリストです。アコースティックな雰囲気だけでなく、COZYにはかんちゃんという人柄や雰囲気あってこそいいステージを作り出す!というのがJの目線です!
ドラム・パーカッションのアミーゴ、過去に都乃ちゃんのサポートドラムをやっていたこともあり、以前から顔見知りの存在だ!過去にドリカムと一緒のステージでドラムをやっていたりとキャリアが凄い!いろいろなアーティストからサポートドラムの引っぱりだこである。いつも、、、、写真を撮る時はドラムは後ろのほうになってしまうので、、、構図が非常に難しい。。。いつかナイスな写真を撮ってみたい!!

mioさん、The RAYS 、COZYの特別アンコールセッション







それぞれの自分の歌う時間を終えた後ということもあり、良い意味で緊張感が解けアットホームなステージ空間になったのが、、、、このアンコール合同セッションのステージでした。
この日ステージにたったボーカル、バックのバンドメンバー全員が一同に音楽を奏でる非常に素晴らしいステージでした。
また、最前列に座っていたお客さんにマイクを向けたり、お客さんにアンサーを求める大合唱!
高級感溢れる渋谷Jz bratにさらにディナーショー的な雰囲気を入れたような、エンターテイメントであった。
このような、イベントを今後も見れると思うと本当に心が躍ります。
オーガナイザーのSyu君にも感謝の気持ちでいっぱいですね!!
最近は自分の雰囲気にあったところを選んで写真を撮っているような気がします。
職場のセンサー開発にも、「この部分をこういう風にした方が良い!」等々、、、、
写真撮影の究極と言われるライブ写真で得られた問題点を撮影者として&技術者としてカメラにフィードバックすることができました。
ある意味、ライブ写真を仕事の一貫と最近は捉えておりますww
今後も楽しみの一つですね★
それではまた次回どこかのイベント会場でお会いしましょう。

有坂さん/澤田さん/mioさんのセッションコンサート

澤田さんワンマンライブ

このJz bratでは、大分顔なじみになったかな?と思っております。
支配人の谷口さんは本当すばらしい方でお話しているだけで、本当綺麗な気持ちになれます。
この日は、
COZY/The R.A.Y.S /mioさんのthree session LIVE

※写真はNo Pain No GainにおけるCOZY
この三組とはNo PAIN No GAINというイベントで前々から顔なじみと言うこともあり、Jも大分、最近では気楽に写真が撮れるなぁというのがあります。
歌唱力はJが知っているアーティストの中でも究極に上手いベスト10に入るレベルの3組なので、写真を撮る担当ではあるものの、楽しみにしていたコンサートだ!
ちょっと、今回の記事ではチラリズム程度で次回再更新した時に、写真はどしどしアップしていきます!

MIOさん




もうなんだかんだで、お会いして4回目くらいになる。最初にお会いしたのが有坂さんとのステージだけ会って、Jも思い入れが非常にあるシンガーなんです。
可愛らしい笑顔とは裏腹の本格派ジャズシンガーの実力!
そしてMCで垣間みる九州のなまりww等々ギャップが非常にあるシンガーです。
女性ファンが非常に多いシンガーであり、また気品溢れる大人が片手にブランデーを持ちながら聞ける歌!どれをとってもやはり素晴らしいですね★
また12月27日にNo Pain No Gainでお会いできるが楽しみですね!

THE R.A.Y.SのRINOさん

ギターのyoshikiさん





The R.A.Y.SのRINOさん、Yoshikiさんは前回のNo Pain No Gainから一緒にやらせてもらっている。正直な話、前回のliveではほとんど絡んでいなかった。この日がある意味初めて的な感じです。Rinoさんとはそこまでお話しなかったが、ギターのyoshikiさんとは結構お話しすることができた。youtube動画や過去のMCでも結構雰囲気のいいかただと思っていたのですが、イメージ通りの人柄で素朴なしゃべり方の中にユーモアが凄くある方でしゃべっていて凄く楽しかった!次はRINOさんとしゃべってみたいな。
歌唱力は以下のyoutubeを聞いていただければ分かります!素晴らしい英語の発音!そしてキレイな歌声!!!パーフェクトです。ギターのyoshikiさんも以下のyoutube動画の4.08らへんの弾き方を見ていただければわかります!叩きながらなのに、ちゃんと音を出している!Jのように素人はその見た目だけでも惹き付ける!
この動画をみて「夫婦か?」という風によく言われるということを「違いますよ~」と反論しているyoutube動画もアップしています。結構おもしろいwww
http://www.youtube.com/watch?v=y_YPGBrSKzs&feature=related
この日はCDを売ってもらって大満足!!!

COZY ※左:Gu.かんちゃん、 中央:Vo.Marくん 右:Dr.アミーゴ






cozyとは実はBAND名。Jも最初はボーカルのMAR君がCOZYという名前だったと思っておりました。
本物のBANDだとJは思っております。
MAR君の歌唱力は、おそらくJが知る限りでピーク時の玉置浩二の歌唱力と比較しても退けを足らないくらいのレベルだと思っております。この日はMAR君とも初めてかな、結構お話したと思います。今後ともいい写真を撮っていく上でコミニュケーションをはかっていけたらと思います。やっぱ歌い手と撮り手は良い関係でいてこそいい写真が撮れるというのが経験弾なものです。
ギターのかんちゃんとは、もうかなりの仲良しなので出番の前はひたすら格闘技の話をしておりました。ステージではさすがのギターリストです。アコースティックな雰囲気だけでなく、COZYにはかんちゃんという人柄や雰囲気あってこそいいステージを作り出す!というのがJの目線です!
ドラム・パーカッションのアミーゴ、過去に都乃ちゃんのサポートドラムをやっていたこともあり、以前から顔見知りの存在だ!過去にドリカムと一緒のステージでドラムをやっていたりとキャリアが凄い!いろいろなアーティストからサポートドラムの引っぱりだこである。いつも、、、、写真を撮る時はドラムは後ろのほうになってしまうので、、、構図が非常に難しい。。。いつかナイスな写真を撮ってみたい!!

mioさん、The RAYS 、COZYの特別アンコールセッション







それぞれの自分の歌う時間を終えた後ということもあり、良い意味で緊張感が解けアットホームなステージ空間になったのが、、、、このアンコール合同セッションのステージでした。
この日ステージにたったボーカル、バックのバンドメンバー全員が一同に音楽を奏でる非常に素晴らしいステージでした。
また、最前列に座っていたお客さんにマイクを向けたり、お客さんにアンサーを求める大合唱!
高級感溢れる渋谷Jz bratにさらにディナーショー的な雰囲気を入れたような、エンターテイメントであった。
このような、イベントを今後も見れると思うと本当に心が躍ります。
オーガナイザーのSyu君にも感謝の気持ちでいっぱいですね!!
最近は自分の雰囲気にあったところを選んで写真を撮っているような気がします。
職場のセンサー開発にも、「この部分をこういう風にした方が良い!」等々、、、、
写真撮影の究極と言われるライブ写真で得られた問題点を撮影者として&技術者としてカメラにフィードバックすることができました。
ある意味、ライブ写真を仕事の一貫と最近は捉えておりますww
今後も楽しみの一つですね★
それではまた次回どこかのイベント会場でお会いしましょう。
好きな・・・
好きな漫画、映画、シンガーがあるように、、、、
自分の専門の領域で好きな・・・というのはあります。
Jの専門は技術なので好きな技術者というのももちろんいます。
誰???
今日はそんな一人の技術者のポリシーと生き方を書きたいと思います。
近年、デジタルカメラというものは日常の生活には欠かせないものとなりました。
一昔前までは

写るんです。フィルムカメラで撮り終えたらコンビニとかで現像とかして写真にしておりましたね。
Jも高校/大学時代はそうでした!
それが今の時代では写メを代表に、すべてデジタル化したカメラになりましたね。

左:CCDセンサ搭載携帯カメラ 右CMOSセンサ搭載コンパクトカメラ
このデジタルカメラのデジタルフィルム部分を商品化に成功させた一人の技術者がJは世界で一番好きな技術者なのです。

トランジスタラジオを実用化させた岩間 和夫さん (ソニーの研究所所長であり、3代目社長)
デジタルカメラの礎、CCDカメラにに命をかけた方だ!
時は40年前の1970年
研究所のお遊び研究としてCCDを研究していたグループがある。
今では考えられない8画素のCCD使って撮った絵が出た。8画素とは、光を電気に変えてためる受光部とそれを運ぶ転送部の1組が、1個のCCDの中に8つあるということだ。画素数が多いCCDほど、撮影された絵はきめ細かくなる。
ついに8x8=64画素の画面に「S」の文字を浮かび上がらせることができた。CCDの生みの親であるベル研究所でさえも実用化を断念し、他社も息切れしていた1972年のことである。実用化など不可能だ。

64画素数のSと言う文字だ。解像度が低いのでもはや5という数字にも見えるwww
また、半導体の欠陥が多すぎて筋だらけだ。
しかし、CCDがこんなヨチヨチ歩きの赤ちゃんのような状態の時に、この将来性を見い出した人がいた。当時副社長の岩間 和夫である。半ば遊びながら研究していた研究者たちに、
「CCDを何としてでもモノにしろ」
と本格的な開発開始の大号令をかけたのだ。
「CCDを使って5年以内に、5万円のビデオカメラをつくるんだ。競争相手は電機メーカーではない。世界最大手のフィルムメーカーのイーストマン・コダック社だ」。
明確だが謎めいた目標だった。確かにCCDを使えば、従来のフィルム・撮像管を使ったカメラに比べ、格段に小型で持ち運びが便利な、しかも画像が安定したカメラができるはずだ。
「しかし、なぜ畑の違うコダックなんだ?」
※今では、CCDを代表にフィルムからデジタルセンサにすべてのカメラで置き換わっている。カメラ・フィルムメーカーがすべて電子化されていることが、当時としては、考え方が先進すぎて技術者達がソニーは電機メーカーなのに何故??と思ったに違いない。
研究者全員が意味を計りかねていた。
1973年11月、研究員やプロセスのすべてが各工場から中央研究所へ集結させられ、電子の「眼」CCDの本格的な開発がスタートした。
何が研究開発の中心になったか?
今では当たり前となったが、とにかく感度や解像度(画素数に比例する)という基本的な性能を、上げていかなければならない。
同時に、微小なゴミによって発生する黒点、重金属の汚染による白キズなど、画像欠陥の問題を取り除いていかなければ、到底実用化には至らない。しかし、これが全然思うように進まない。
それでも何度となく、開発中止、時には禁止の危機が訪れた。
CCD開発は、使う装置などに莫大な投資を必要とし、社内で「金食い虫」と呼ばれ、肩身の狭い思いもした。
しかし、そんな彼らの後ろには、絶えず岩間社長が見守っていた。

1ヵ月に一度は中央研究所を訪れた。相変わらず、かろうじて何かが映っているのが分かるような、黒や白のスジだらけのぼんやりした画像を見て、
「どうしてもっとマシな画像が出ないんだ!」
と問いつめることもあったが、「諦めずに研究を続けよう」と進むべき方向を示し続けた。
実際、岩間社長も、予算を承認する立場にいた大賀さん(岩間社長の次の社長)に、
岩間社長:「CCDにはこれだけお金を使う。しかし、今世紀中に回収できるかどうか分からないよ」
現にCCDをモノにするために、開発に必要な関連会社を買ってしまうくらいに情熱を燃やした。
こうして岩間さんの情熱と、それを受け止める技術陣の奮闘の中で、画素数も着実に上がっていった。2000画素、8000画素、7万画素。そして、1978年には 12万画素になった。
必死の努力の末、1983年から鹿児島にあるソニー国分セミコンダクタ(現ソニー国分)で本格的な量産が始まった。
しかし、CCDの量産の開始、そしてそれを搭載した民生用カメラの登場を誰よりも喜んだであろう岩間さんの姿はもうこの世になかった。
1982 年、ソニー国分でCCDの量産化にめどが立った頃、「岩間さんが病に倒れた」との報告がもたらされた。
病床でも、「CCDの工場を必ず見に行く」と言い続けていた岩間さんだったが、結局新しい工場を見ることもなく、1982年8月に帰らぬ人となった。

先ほど出てきた岩間さんの後継者、大賀社長
大賀さんは岩間さんの後を継いで社長になり、CCDの量産化、事業化を進めていた、量産が始まると、最初の生産品の中からCCDチップを1個持って、岩間さんの墓前へ報告に行った。
そして、しっかりと墓石の後ろにそのCCDを貼り付けながら語りかけた。

※CCDが貼られた岩間さんの墓石※
大賀さん:「岩間さん、あなたが情熱を傾けたCCDがとうとう量産できるようになりました」。
今でもその 岩間さんがしっかり握りしめているかのように、風雨に耐えたCCDがその姿をとどめているという。
非常にすばらしい話であり、諦めない姿勢には尊敬です。
今は、Jはこのような遺産を受け継ぎ、カメラのセンサ開発している。
このような情熱を持っている遺伝子を大切にしていきたい。
自分の専門の領域で好きな・・・というのはあります。
Jの専門は技術なので好きな技術者というのももちろんいます。
誰???
今日はそんな一人の技術者のポリシーと生き方を書きたいと思います。
近年、デジタルカメラというものは日常の生活には欠かせないものとなりました。
一昔前までは

写るんです。フィルムカメラで撮り終えたらコンビニとかで現像とかして写真にしておりましたね。
Jも高校/大学時代はそうでした!
それが今の時代では写メを代表に、すべてデジタル化したカメラになりましたね。

左:CCDセンサ搭載携帯カメラ 右CMOSセンサ搭載コンパクトカメラ
このデジタルカメラのデジタルフィルム部分を商品化に成功させた一人の技術者がJは世界で一番好きな技術者なのです。

トランジスタラジオを実用化させた岩間 和夫さん (ソニーの研究所所長であり、3代目社長)
デジタルカメラの礎、CCDカメラにに命をかけた方だ!
時は40年前の1970年
研究所のお遊び研究としてCCDを研究していたグループがある。
今では考えられない8画素のCCD使って撮った絵が出た。8画素とは、光を電気に変えてためる受光部とそれを運ぶ転送部の1組が、1個のCCDの中に8つあるということだ。画素数が多いCCDほど、撮影された絵はきめ細かくなる。
ついに8x8=64画素の画面に「S」の文字を浮かび上がらせることができた。CCDの生みの親であるベル研究所でさえも実用化を断念し、他社も息切れしていた1972年のことである。実用化など不可能だ。

64画素数のSと言う文字だ。解像度が低いのでもはや5という数字にも見えるwww
また、半導体の欠陥が多すぎて筋だらけだ。
しかし、CCDがこんなヨチヨチ歩きの赤ちゃんのような状態の時に、この将来性を見い出した人がいた。当時副社長の岩間 和夫である。半ば遊びながら研究していた研究者たちに、
「CCDを何としてでもモノにしろ」
と本格的な開発開始の大号令をかけたのだ。
「CCDを使って5年以内に、5万円のビデオカメラをつくるんだ。競争相手は電機メーカーではない。世界最大手のフィルムメーカーのイーストマン・コダック社だ」。
明確だが謎めいた目標だった。確かにCCDを使えば、従来のフィルム・撮像管を使ったカメラに比べ、格段に小型で持ち運びが便利な、しかも画像が安定したカメラができるはずだ。
「しかし、なぜ畑の違うコダックなんだ?」
※今では、CCDを代表にフィルムからデジタルセンサにすべてのカメラで置き換わっている。カメラ・フィルムメーカーがすべて電子化されていることが、当時としては、考え方が先進すぎて技術者達がソニーは電機メーカーなのに何故??と思ったに違いない。
研究者全員が意味を計りかねていた。
1973年11月、研究員やプロセスのすべてが各工場から中央研究所へ集結させられ、電子の「眼」CCDの本格的な開発がスタートした。
何が研究開発の中心になったか?
今では当たり前となったが、とにかく感度や解像度(画素数に比例する)という基本的な性能を、上げていかなければならない。
同時に、微小なゴミによって発生する黒点、重金属の汚染による白キズなど、画像欠陥の問題を取り除いていかなければ、到底実用化には至らない。しかし、これが全然思うように進まない。
それでも何度となく、開発中止、時には禁止の危機が訪れた。
CCD開発は、使う装置などに莫大な投資を必要とし、社内で「金食い虫」と呼ばれ、肩身の狭い思いもした。
しかし、そんな彼らの後ろには、絶えず岩間社長が見守っていた。

1ヵ月に一度は中央研究所を訪れた。相変わらず、かろうじて何かが映っているのが分かるような、黒や白のスジだらけのぼんやりした画像を見て、
「どうしてもっとマシな画像が出ないんだ!」
と問いつめることもあったが、「諦めずに研究を続けよう」と進むべき方向を示し続けた。
実際、岩間社長も、予算を承認する立場にいた大賀さん(岩間社長の次の社長)に、
岩間社長:「CCDにはこれだけお金を使う。しかし、今世紀中に回収できるかどうか分からないよ」
現にCCDをモノにするために、開発に必要な関連会社を買ってしまうくらいに情熱を燃やした。
こうして岩間さんの情熱と、それを受け止める技術陣の奮闘の中で、画素数も着実に上がっていった。2000画素、8000画素、7万画素。そして、1978年には 12万画素になった。
必死の努力の末、1983年から鹿児島にあるソニー国分セミコンダクタ(現ソニー国分)で本格的な量産が始まった。
しかし、CCDの量産の開始、そしてそれを搭載した民生用カメラの登場を誰よりも喜んだであろう岩間さんの姿はもうこの世になかった。
1982 年、ソニー国分でCCDの量産化にめどが立った頃、「岩間さんが病に倒れた」との報告がもたらされた。
病床でも、「CCDの工場を必ず見に行く」と言い続けていた岩間さんだったが、結局新しい工場を見ることもなく、1982年8月に帰らぬ人となった。

先ほど出てきた岩間さんの後継者、大賀社長
大賀さんは岩間さんの後を継いで社長になり、CCDの量産化、事業化を進めていた、量産が始まると、最初の生産品の中からCCDチップを1個持って、岩間さんの墓前へ報告に行った。
そして、しっかりと墓石の後ろにそのCCDを貼り付けながら語りかけた。

※CCDが貼られた岩間さんの墓石※
大賀さん:「岩間さん、あなたが情熱を傾けたCCDがとうとう量産できるようになりました」。
今でもその 岩間さんがしっかり握りしめているかのように、風雨に耐えたCCDがその姿をとどめているという。
非常にすばらしい話であり、諦めない姿勢には尊敬です。
今は、Jはこのような遺産を受け継ぎ、カメラのセンサ開発している。
このような情熱を持っている遺伝子を大切にしていきたい。
美容院
髪の毛を切ってきた!
美容院で!!
いつも切ってもらっている美容師さんは
博学な方で、店長であり、いつもJの話にいろいろとのってきてくれる美容師さんだ!
専門外であろう、科学の話やエレクトロニクスやファッションなどなど!
さらには霊魂などのオカルト的な話までwww
変幻自在なまでの雑学を持っている。
髪の毛を切ってくれるときは、いつもお互いの持っている雑学談話をして二人で楽しんでいる!
本日は、幕末の話で盛り上がった!!
先日の沖田総司ネタでもお分かりだろうが、このJ!!
http://ameblo.jp/jstinger/entry-10729337820.html
伊達にも”関東の刺客”というブログ名を付けているだけあって、
幕末列伝や戦国時代のマニアだ!
歴史小説から歴史書までかなり読みあさっている!
そんな美容師さんも無類の新撰組好きで、今日はひたすら新撰組の話だった。
ある程度の有名な事は当たり前!大盛り上がりでした☆
ある意味、異様な空気感で、美容アシスタントの女性の方も二人の世界にドン引きwww
髪の毛を洗ってくれている時、「店長もいろいろ知っている方ですけど、Jさんもハンパ無いですね」
と言われるほどであったwww
その中で、新撰組の武勇伝で好きなシーンが一致した!
池田屋
函館戦争
芹沢鴨襲撃
でもない!!
永倉新八が翁になっての話だ!!!

永倉新八
かつては局長

近藤勇
鬼の副長

土方歳三
と並んで、新撰組の2番隊組長になるほどの剣客だ!!

池田屋事件の時は
敵方:30名以上
味方:近藤勇、沖田総司、藤堂平助、永倉新八
の四名のみで宿に突撃した
結局、沖田総司は喀血、藤堂平助は眉間を切られ戦線離脱
土方隊が遅れて来るまで、近藤と永倉新八二人で持ちこたえていた程の剣客だ!
新撰組の最終的な末路は、、、かなり寂しい者で、
近藤勇・・・賊軍という汚名を着させられ斬首
沖田総司・・・肺結核により病死
土方歳三・・・函館戦争で討ち死に
もともとは幕府側に仕えており、天皇・朝廷をお守りしたいたはずの新撰組は
朝廷が薩摩・長州につき最終的には朝敵として壊滅された。
その中で大正時代まで生き長らえたのが永倉新八だ!

往年の永倉新八
往年の永倉新八は映画が大好きだったようだ。
このようにも語っている
「ああ、わしは長生きをしたので、こんな文明の不思議を観ることができた。 実に何とも妙な気もちだよ。 近藤(勇)や土方(歳三)が、もしも生きていて、この映画という代物を観たら、どんな顔をするかなあ」
美容師さんと二人で一致した名場面とはこのお翁ちゃんになってからの永倉新八だ
永倉新八はお孫さんを伴ってよく映画館に足を運んでいたようで そんなある日。
下足所でやくざ者七、八人にからまれ、
ちょいちょいと小突きまわされた永倉新八、
フイに眼光も鋭く背筋もぴぃんと張り 凄まじい気合を発してやくざ者を睨みつけた!
途端にやくざ者は蒼くなって逃げ出していったそうだ。
「おじいちゃん強い!」と感嘆するお孫さんに向かって新八翁「あんなのは屁みたいなものだよ」
かっこいい!!!なんてカッコいいお爺ちゃん!!!!
若い頃に池田屋など、命をかけてきた修羅場は数知れず、たかが町中のヤクザなど恐れに足らずみたいに軽くあしらったのでしょう。
このシーンを知っている人はそうはいないので、
店長であり美容師さんもこのマニア的なシーンが好きで、二人で大盛り上がりww
お互い、「よく知ってますね!!」的な感じ楽しかったです!!!
美容院で!!
いつも切ってもらっている美容師さんは
博学な方で、店長であり、いつもJの話にいろいろとのってきてくれる美容師さんだ!
専門外であろう、科学の話やエレクトロニクスやファッションなどなど!
さらには霊魂などのオカルト的な話までwww
変幻自在なまでの雑学を持っている。
髪の毛を切ってくれるときは、いつもお互いの持っている雑学談話をして二人で楽しんでいる!
本日は、幕末の話で盛り上がった!!
先日の沖田総司ネタでもお分かりだろうが、このJ!!
http://ameblo.jp/jstinger/entry-10729337820.html
伊達にも”関東の刺客”というブログ名を付けているだけあって、
幕末列伝や戦国時代のマニアだ!
歴史小説から歴史書までかなり読みあさっている!
そんな美容師さんも無類の新撰組好きで、今日はひたすら新撰組の話だった。
ある程度の有名な事は当たり前!大盛り上がりでした☆
ある意味、異様な空気感で、美容アシスタントの女性の方も二人の世界にドン引きwww
髪の毛を洗ってくれている時、「店長もいろいろ知っている方ですけど、Jさんもハンパ無いですね」
と言われるほどであったwww
その中で、新撰組の武勇伝で好きなシーンが一致した!
池田屋
函館戦争
芹沢鴨襲撃
でもない!!
永倉新八が翁になっての話だ!!!

永倉新八
かつては局長

近藤勇
鬼の副長

土方歳三
と並んで、新撰組の2番隊組長になるほどの剣客だ!!

池田屋事件の時は
敵方:30名以上
味方:近藤勇、沖田総司、藤堂平助、永倉新八
の四名のみで宿に突撃した
結局、沖田総司は喀血、藤堂平助は眉間を切られ戦線離脱
土方隊が遅れて来るまで、近藤と永倉新八二人で持ちこたえていた程の剣客だ!
新撰組の最終的な末路は、、、かなり寂しい者で、
近藤勇・・・賊軍という汚名を着させられ斬首
沖田総司・・・肺結核により病死
土方歳三・・・函館戦争で討ち死に
もともとは幕府側に仕えており、天皇・朝廷をお守りしたいたはずの新撰組は
朝廷が薩摩・長州につき最終的には朝敵として壊滅された。
その中で大正時代まで生き長らえたのが永倉新八だ!

往年の永倉新八
往年の永倉新八は映画が大好きだったようだ。
このようにも語っている
「ああ、わしは長生きをしたので、こんな文明の不思議を観ることができた。 実に何とも妙な気もちだよ。 近藤(勇)や土方(歳三)が、もしも生きていて、この映画という代物を観たら、どんな顔をするかなあ」
美容師さんと二人で一致した名場面とはこのお翁ちゃんになってからの永倉新八だ
永倉新八はお孫さんを伴ってよく映画館に足を運んでいたようで そんなある日。
下足所でやくざ者七、八人にからまれ、
ちょいちょいと小突きまわされた永倉新八、
フイに眼光も鋭く背筋もぴぃんと張り 凄まじい気合を発してやくざ者を睨みつけた!
途端にやくざ者は蒼くなって逃げ出していったそうだ。
「おじいちゃん強い!」と感嘆するお孫さんに向かって新八翁「あんなのは屁みたいなものだよ」
かっこいい!!!なんてカッコいいお爺ちゃん!!!!
若い頃に池田屋など、命をかけてきた修羅場は数知れず、たかが町中のヤクザなど恐れに足らずみたいに軽くあしらったのでしょう。
このシーンを知っている人はそうはいないので、
店長であり美容師さんもこのマニア的なシーンが好きで、二人で大盛り上がりww
お互い、「よく知ってますね!!」的な感じ楽しかったです!!!