前回からの続きです。

 

 

 

 

前回の記事にも書いていましたが、車を手に入れた私が実行に移したのは九州への一人旅でした。

 

今にして思えば、富山県から九州への移動は狂気の沙汰としか思えませんが、若さが成せたのか、A社からの開放感からなのか、あるいはその両方が作用したのかもしれません。

 

そんなこんなで、九州には2週間ほど滞在していました。

 

宿泊に関しては、その頃は宿に頓着していなかったこともあり、

カプセルホテルに泊まるか道の駅で車中泊をしていました。

 

そして何をしていたのかといいますと、ひたすら暴飲暴食を繰り返していました。

いや、本当に九州のご飯が美味しいのが悪い!と今でも本気で思っています。お酒、魚、肉、そしてラーメンなどなどお金や体型に与える影響など全く考えておりませんでした。

 

その結果、2週間で5キロ以上(10キロ太りました)体重が増加し、とてつもなく後悔したのはいうまでもありません。

 

また、九州滞在の中でとても気に入り長期にわたって滞在していたのは、大分県でした。

やはり、いろいろなことがあり疲れていたのだと思います。

思い返せばずっと温泉に入っていました。

 

特に印象深いのは、砂風呂と泥風呂です。

生まれて初めての砂風呂でしたがとても気持ち良く、海を眺めなが入っていたこともありとても癒されました。

 

※真ん中のメガネが私です。

 

そんな楽しい時間を過ごした、九州と別れ、地元の役場であるB役場での業務がスタートします。

 

前回からかなり間が開きましたが続きです。

 

 

1ヶ月間の京都での観光を終えた私は、京都に別れを告げて地元富山県に帰ってきました。

 

富山に帰ってまず始めにしたこと、それは... 

車の購入です。

 

詳細な場所は言えませんが、私の地元は車がないと何もできないところなのです。

※比喩でもなんでもなく事実です。田舎にお住まいの方はわかっていただけるのではと思っています。

 

私は身長180cmのなかなかに大柄な男なのですが、何を思ったのか購入したのはMINIでした。

※写真がありませんでした。イメージしにくく申し訳ありません。

愛車を購入した私が計画したのは、B役場への入庁まで一人で愛車に乗り国内の行ったことのないところへ旅行へ行くというものでした。

この時の私はA社との縁を切りたい余り、A社より貰った退職金を使い切って手放そうと考えていました。

そこまでしなくとも...と思われるかもしれませんが当時の私は本気でした。

 

車を買っていますし、次の転職先があったからよかったですが、真似はしない方がいいと思います。お金は大事です。

後悔はしていませんが。

 

そんな私が、旅行先として選んだのは九州でした。

次回は九州で何をしていたのかを書こうと思うのですが、

そんなことよりB役場でのことを書いてほしいという方がおられましたらコメントください。

 

 

 

 

子どもが風邪をひき、その培養された風邪を貰うという凶悪コンボが炸裂したためしばらく寝たきりになっていました…

子どもの風邪って凄まじいなと改めて感じました。

 

予定ではA社の次の就職先である地元のB役場について書いていこうと思っていたのですが、私の経験したことの何かがこのブログを読んでおられる方の力になれればと思いましたので、A社退職後に何をしていたのか書こうと思いました。

 

A社を退職したのは2014年12月末でした。次の就職先であるB役場への入庁は2015年4月1日からでした。つまり3ヶ月ほどの期間があったのです。

地元である富山県への引越しを1月末に控えていましたので、初めの1ヶ月はひたすら京都観光をしていました。

 

A社に勤めてからというもの、休日もあまりなかったせいか観光らしい観光をしていませんでした。ですので、この1ヶ月は時間と体調が許す限り自転車に乗って観光地(主に寺社仏閣)に行き、写真を撮る。ということを繰り返していました。

 

特に思い出深いのは、京都の縁切り神社でお馴染みの安井金毘羅宮でした。あの時はA社との縁を本気で切りたいと思っていました。

※A社とは辞めたにもかかわらず、在宅で仕事をしないか?などと言われ続けていました。

 

このときの鬱の状態としては、A社をやめた解放感からか、とても良くなっていたように思います。

 

次は、地元に帰ってからのことを書きたいと思います。
 

前回からの続きです。

 

 

この頃から私の体に異変が起こり始めました。

 

  • 会社に行くときに玄関から出るときに時間がかかる。
  • 突然涙が出て泣き出してしまう。
  • 休日も一日中寝て過ごしてしまう。
  • 趣味などに興味が持てなくなった。
上記のような異変が起こりながらも、日々会社に出勤をしていました。
今思えば、確実に抑うつの症状だったと思いますし、無理をせずに休むべきでしたが、当時の私は「休めば職場に迷惑がかかる」とそれをしませんでした。
確かに職場はブラックではあったものの、そこで一緒に働いていた人たちはとてもいい人が多く、その方々のことを思うと...というような思考でした。
 
そんな状態が続く中で、頭の中にあったのは
「楽になりたい」
これだけだったと思います。
 
そして、私は自殺を試みました。
結果としてはこうやってブログを書いていることからも分かる通り失敗しました。
失敗したことで、自分が生きていたいこと、自分の状態が異常だということ、精神科に行くべきと思ったことなど結果としてプラスになりました。
が、私は今でも最悪の選択をしたと思っています。
 
精神科のクリニックを受診した結果、うつ病との診断を受けました。ここから私とうつ病との付き合いが始まります。
医師からは「うつ病の時には重大な決断をしないほうがいい」と助言を受けておりましたが、私はこのままA社にいたら今度こそ死んでしまうと思いましたので、A社を退職することにしました。
 
ここで、経歴を書き綴っている途中ですが、このブログを読んでいる方、ひいては当時の私に伝えたいことがあります。
 
辛いことから逃げることは悪では無いということです。
 
逃げても良いんです。休んでも良いんです。仕事は大切なのかもしれませんが、それ以上に自分の命が大切です。
あなたの心の叫びから目を逸らさないであげてください。
あなただけはあなた自身に甘く、優しくなってください。
 
以上です。
 
 

前回からの続きです。

 

 

 

 

「辛い中でも頑張ればきっと報われる」

そんな想いを打ち砕かれる出来事が2つありました。

1つは、ボーナスの支給についてです。A社では年2回ボーナスの支給がありました。

多い場合で2.5ヶ月分のボーナスが支給されるという話でした。

私も先ほどの頑張りが報われる気持ちでその日を待っていました。

結論から言えば、ボーナスが満足に支給されることは退職する間際までありませんでした。

理由は私が所属していた部署の売上げが低いことにありました。

※くれるだけ有難いというご意見もあるかと思いますが、私にとってはそれが唯一の希望でした。

 

私は、満額のボーナスを手にして喜ぶ同期を冷たい眼で見ていました。

同期たちも頑張っていることは理解していました。

それでも、私の精一杯の努力が「売上げが低い」の一言で0になってしまうのかという無力感、虚無感に包まれていました。

 

2つ目は、上司から言われた一言でした。

当時の上司は中々にキツイ性格の方でした。

※今考えれば明らかパワハラな方です。

そんな上司から言われたのはこんな一言でした。

「今の簡単な仕事からステップアップして欲しい」

 

当時の私の業務はシステムの設計、及びプログラミングでした。

所属して部署ではプログラミングができる人が少なく、教えてもらうこともできなかったので独学で習得したスキルでした。

独学ながらも、自身の仕事にはこだわりもありましたし、それなりのレベルにあることも私の自信につながっていました。

上記の一言はそれを否定する一言にに感じました。

 

そして、これらの出来事をきっかけに私の中で何かが折れてしまいました。