昨日は、7回目の講座でした。
内容は、セックスについて。
このセックスという
言葉そのもの・イメージ・行為に対して
私は長らく(小学生〜30年!)
ものすごい罪悪感があり、それゆえ
”恥ずかしい・隠さなければならないもの”
という価値観を持っていました。
でも、興味もかなりあったので、余計に
”ダメなものに興味がある私”に対する
後ろめたさ・罪悪感もありました。
そして
人間関係や自分の心の持ち方につまづき、
心理学を始めとして色々学んだ結果。
そんな(セックスに対する)
罪悪感は不要だな、とか、
偏った知識・価値観を持っていたんだな、とか。
気づきを積み重ねて、昔みたいな
抵抗感や恥ずかしさは薄れたのですが。
(とは言え、この手の話、相手は選びます)
完全には無くなってなかったんです。
なんとなく、恥ずかしい感が残っていて
どうしたもんかなー、と思っていました。
それが。講座中に、
”恥ずかしい”と思っていた裏には
傲慢さがあった!ってことに
気づいてしまいました。
また出たよ、傲慢…と思いつつも、
ウケる🤣って感覚の方が大きい
(=どんな自分でも受け入れられる)のは
まなゆい効果だと思います
ここからが、本題。
セックスという行為に限らず、
日常においても、なのですが
「それは”ちょっと”嫌」
(小さなNOを伝える)
「こうして欲しい」
(リクエストする)
ができなかったんです、私。
"ちょっとしたことなら、言わないのが大人"
"性的なリクエストは恥ずかしい"
と言った思い込みがあったから、なのですが。
いずれにしても、その前提のもと
自分で自分の行動(=言わない)を
選んだはずなのに
相手に対する不満を溜めていたんです。
言わなくても気づいてよ!
ってやつ。
恥ずかしいこと口にさせないで
って思いもあったかな
言わないくせに
相手のせいにするって傲慢ですよね。
自分が言葉にするのは恥ずかしいことを
相手に求めるってのも、どうなん?
と、今は思います。
(そういえば、拗ねる、も同じ原理ね)
そして、もう一つ。
性について学ぶ中で(今受講中の講座の他でも)
「男性は女性を喜ばせたい」
ってことを教わったのですが。
へぇ〜、そうなんだ、とは思いつつも
それ、本当?という疑いがあって。
(しかも、自分が疑いを持っていることには無自覚だった)
夫のすることに対して
素直に"私のためにしてくれている"とは
受け止められず
私自身の嬉しい/嬉しくないって感覚のもと、
"私を喜ばせようとしている/していない"
をジャッジしていたのです。
私が嬉しい=喜ばせようとしている
私が嬉しくない=喜ばせようとしていない
ってね。
これ、自分が逆(夫)の立場だったら
めっちゃ嫌です
常に評価されてるんだもん。
しかも、滅多に良い評価されることが無い。
ダメ出しがほとんど。
…自分でも、書いていて気が滅入るぐらい。
実際の、夫の気持ちやいかに。。。😱😱😱
で、何が問題かと言うと、
そもそも、嬉しい・嬉しく無い、が
体感覚(女性性)に基づいたものではなく
思考的(男性性)な判断だったから。
私を喜ばせることができる?って
疑いを持って
つまりはテストしてたんです。
もっとストレートな言い方すると
私を愛してるなら
私を喜ばせてみなさいよ
って思ってました。(←無自覚に、ね)
めっちゃ上から目線。。。
何様?ですよね🤣
なんかもう、あまりの傲慢っぷりに
笑ってしまいました。
結局はね。
この”私を喜ばせてみなさいよ”って想いは
私の中の女性性が、
私の中の男性性に対して放っているもので。
欲しいもの(感覚)を
具体的に口に出してお願いしろや!
って怒ってたんですね・・・。
*口に出す=行動する=男性性だから
やっぱり、
自分の内側が外側に現れてました。
ちなみに
「望みがあるなら自分の口で言いなさい」
って、私、しょっちゅう息子に言ってました。
ホント、口にしている言葉は
自分へのメッセージだわ
ちなみに。
「傲慢」で検索すると、
男性のイラストが多かったです。
夫に対する傲慢さは
私の男性性によるもの、
でもあったのかも。
”お前にできるのかよ?”的な。
自分(男性性)にできないことを
他者(夫)にされると困るから
上に立ちたかったんだろうなぁ。
それぐらい、(自分の中においても)
男性性は女性性を喜ばせたい
ものなんですね♡