頑なに怒りを態度で表現していた私が

急に普通になって、

夫はどう思っているんだろう?キョロキョロ

 

表面的には、波風は立っていないけれど

相変わらず心のうちのコミュニケーションは

取れていない(とっていない)私です。

 

そう、まだ怒りは消えてないの。

ちゃんと、ある。

昇華させる機会を伺っているのです。

ただ、怒りの中に居続けるのをやめただけ。

この状態が、昨日書いた

"怒りはありつつも落ち着いた心境"、ね。

これって、今までに無かった状態。

 

なぜ、ココに至れたか、を考えてみたら。

出てきた結論は2つ。

 

1つは、

怒りに自覚的であり、

そんな自分にダメ出ししなかったこと。


これまでの私なら、

いつまで怒りの中にいるの?!

って自分を責めていたんだけど。

自分の怒りの気持ちに正直というか

怒りを無くそうとしなかったの。

それが、変化への一歩だった。

 

そして、もう1つは、

怒りの中に居続けている自分の

身体感覚を自覚できたこと。


ずっと怒り続けていると、しんどいの。

気分も良くないし、体が重い感じ

(実際、体重も増えてたし)

前向きな気持ちになれないし。

常に頭の中を怒りに支配されている感覚もあって。

そんな状態に、嫌気がさしたのです。

もう、この状態に居続けるのは嫌だ!って。


そこから、

"自分が今の状況を選択し・創造している"

という自覚はあったので

もう怒りに居続けるのは辞めよう、と思えたの。

 

つまり、怒りの中に居続ける、という行為を

良く言えば、やり切った

言い方を変えると、飽きた

のです。

 


美味しくても、ひたすら甘いものばかりだと飽きるよね。

コーヒーの苦味がお互いをひきたたせてくれる✨


 

怒りを感じ切った、と言えば、

なんだかカッコイイ(気がする)けど

怒りを感じるのに飽きた、がリアルかな爆笑

 

んで。

”辞めよう”と思って

スグ切り替えられたか、と言うと

そんなことはなくて。

ちょっと抵抗もありました。


許したくない!とか、

なんで「私が」態度を改めなきゃならないのよ、

(いつも私からやん)とか。


それでも、

もう疲れた・もう嫌だ ネガティブ

の方が強かった


切り替えられたのは、

怒りに居続けるのをやめる方がラクだった

ただそれだけなんです。


カエルカエルカエルカエル

 

実は、

もっとドラマティックな内面の変化

を期待していました。

心のどこかで。

 

なんかすごい気づきがあるとか。

自分の中で壮大な許しが起こるとか。

何かが砕け散る、みたいなやつ。

明確な、自分の変容を感じれるような、何か。

 

でも、そんなの、全然なくて。

まさかの、飽きた、です。ウケる爆笑


残念ながら、

生まれ変わるような体感は

得られませんでしたが。


振り返ってみると、

 怒りを否定しない

 怒りという感情(が在ること)を認める

これが一つのパラダイムシフトでした。

 

これまでは、

怒りの下には悲しみや寂しさなどがある、という

心理学の知識を使って、なんとか

その悲しみや寂しさを癒そうとしていたんです。

 

ちゃんと”感情を感じる大切さ”も

教わっていたし、感じているつもりだったけれど。

実際は、怒りの感情を感じるのが怖くて

何が原因だ?と思考を使って感じることから逃げてたの。

 

それが、逃げなくなったのは、

身体に向き合って、身体の感覚に意識を向ける

という練習を積み重ねたからだと思う。

 

身体感覚は、感じて怖いってことが無かった。

快か不快、そのどちらかしかないから。

 

(もしかしたら、「性」というものに

 ものすごい抵抗感を持っていた頃なら

 快を感じることも、怖かったかもしれない。

 身体的な「快」って性的快感だけじゃ無いのに

 変に意識して抵抗していただろうな、と思う。)

 

えみこさんのセルフプレジャーレッスンを皮切りに

長期講座も受講して。

私、順調に変化してるやん♪って調子に乗ってたら

停滞しちゃった、どころか、後退してる?驚き

焦りも感じつつも、怒りを感じ続けられた。

今となっては、

この過程そのものも、すごい成長だな、と思えますニコニコ

(渦中はしんどかったけどね💦)

 

今回の一連の体験を経て、

感情を感じるのは怖くない

むしろ、感じ切った方が良い、と

身をもって学べました。

(これも知識としては知ってたことなんだけど…^^;)

 

もうこれからは、ビビることなく

自分の感情に自覚的にいられることでしょう。

私の男性性、かなり成長したよ合格