これまでにも書いていましたが

年末、息子と毎日のように大喧嘩してました。

元旦からようやく2人っきりを脱して

ちょっとずつ書いていた記事を見返してます。

 

 

鏡開きは11日でしたね。勘違いしてました💦

まぁ、これは食べられないんだけど。

そんな今日は小正月。

 

 

かつて通っていた心理学スクールで

「怒りは感情の蓋である」

「怒りは二次感情である」

って教えてもらったの。

 

要は、

 

表面的には怒っているように見えても

本当は、悲しさや寂しさなど

別の感情があって

それを素直に表現できない時に

怒りという表現形をとっている

 

ってことなんだけど。

 

(あと、自分を守るためのもの、って説もある)

 

私は、どうして、息子や夫に

怒っちゃうんだろう?

 

感情的に怒っても、

あまり良い結果が得られないからこそ

アンガーマネジメントとか

"怒っちゃダメ"みたいな

暗黙の了解のようなもの(常識?)が

あるんじゃなかろうか、と思うし

自分でも、やらかした後、ホント嫌になる。

 

 

 

 

昨日ね、また息子と

大バトルしちゃったんですショボーン

まなゆいの「ま」の字すら

頭に浮かばなかった汗

 

息子の怒りに感化されて

私も怒っちゃうパターン。

 

疑問が解けるか、分からないけど

ちょっと考えてみます。

 

ハリネズミ

 

バトルの発端は、

息子が学校から帰ってきて

父(夫)が居ないことにがっかりして

拗ねたこと、でした。

 

背景を説明すると。

 

平日だけど夫が休みだったので

登校前に、息子は

「お父さん、僕が帰ったら

 家にいるよね(遊べるよね)」

と確認しており

「出かけるけど帰ってくる頃にはいるよ」

と伝えていたのです。

が、夫は帰宅できず。

 

…ここまでの話なら、たぶん私も

息子が可哀想だな、と

スグに寄り添えたと思うのですが。

 

息子は息子で、

友達を4人引き連れて帰宅し

すぐに遊びに行ったのです。

 

なので、私は、結果的に夫が不在でも

問題ない、と判断したのでした。

 

ところが。

息子は1時間ほどで帰宅。

仲の良い子が1人帰ってしまい、

つまらなくなった模様。

(おそらく、ここで

 最初のガッカリがあったのでしょうねうーん

 

そして、帰宅すれば父がいる、という

「期待」を持って帰ったのに

期待外れだった、という経緯です。

 

私は私で、息子の

予定外だった)友達と遊びに行く

からの

(さらに予想外の)すぐ帰宅

という行動に面くらい

私の予定が狂ったことにイラっとして

 自分勝手に行動しておいて

 文句を言うとは何事だ

と思ってしまったので

拗ねてる息子を放置しました。

(拗ねていることに触れないで

 淡々と日常生活をするってことです)

 

拗ねる=かまってほしい、なのに

放置される=無視される、なので

息子はますます拗ねまくり

変なちょっかいを出してきます。

それを、ウザく感じる私。

 

結果、喧嘩勃発爆弾

 

 帰宅時の、彼の”がっかり”に

 共感してあげられたら良かった

 

と気づいたのは、

息子が怒り狂ってギャン泣きしてから驚き

 

でも、気づいたものの、

私自身がイライラムカムカしていたので

即その行動を取ることはできませんでした汗

 

ヒートアップしている息子に対し

 いきなり

 ”ガッカリしたよね”

 と共感を示したところで

 この状態の彼には響かないよな

なんて思考も動きました。

(これ、単なる言い訳な気もする・・・)

 

そんな中、

息子は私を叩いたりするようになり

私は寝室に閉じこもりました。

(大声や暴力で人をなんとかしようとするのは

 ダメ、と伝えてはいるのですが…

 ヒートアップすると、どうしようもなくなるみたい)

 

息子は、始めこそは、ドアをどんどんと

必死に叩き、開けて!と叫んでいましたが

5分もしないうちに諦めて静かに。

 

少し時間をおいてから

私が部屋を出て、息子と話をして

なんとか仲直り(?)となりました。

 

ハリネズミ

 

こうやって、

冷静に・時系列で振り返ってみると

息子と私の怒りポイントは見えてきました。

 

息子は

期待が外れたガッカリした)こと

・母が気持ちを分かってくれないこと

→これも、期待外れ、ですね

 

私は

・自分の思い通りにことが進められないこと

(息子も夫もいない!ブログ書ける!と喜んだのに)

→これも、期待外れ、ですな

 

結局は、

 自分の想い通りにいかない(期待が外れる)と

 怒りを覚える

ということのようです。

 

おそらく、近しい人に対しては特に

期待値が高くなるんでしょうね。

お互い、甘えが出るというか。

 

うーん。。。

 

ハリネズミ

 

ここまで↑が細切れに書いてたもの。

近しい人に対して期待しちゃう、は

間違い無いんだけど。

この場合の"期待"は、おそらく

(子どもの頃の)私が親に対するもの。

 

子どもに親を投影とか、

もうなんだかアベコベ驚き

 

まなゆいを学ぶ前までの私は

ここまで分析はできても、変われなかった。

 

"親のせい"にするのは簡単だけど

それじゃあ、いつまでも変わらない。

そんなことは分かっていたけれど

どうしようもなかった。

インナーチャイルドワーク、が

どうしてもできなくて。

変わる術がなかった。

 

今なら、インナーチャイルドワークも

自分の中の男性性と女性性の関係も

全部原理は同じって分かる。

 

自分で、自分を抱きしめて許せたら

親がどうこう、って関係ないのよね。

 

いつもの呪文(まなゆい)を唱えてみる。

 

私は、

 息子に対して親を投影してしまった

 何やってんだろ

 でも、私も分かってもらえなかったし

 どうしたらいいか分からなかったんだもん

と思った私を受け入れ、認め、許し、

愛しています。

 

たったこれだけ、言葉にするだけなのに

フワッと全身の力が抜ける。

 

どこまでも、自分。

自分を許し、愛せた分だけ

周囲の人を、世界を愛せるんだな照れ