私ね。
子供の頃から
ずーーーーっと‼︎
「居場所」を
求めてたの。

縛られるのは嫌いなくせに
どこかに所属したかった。
"仲良しグループ"に憧れてた。
"いつも一緒"が羨ましかった。

小学校も
中学校も
高校も。
友達グループ、は、
結局できなかった。

仲良くしている子はいたけれど
学年があがったり卒業したら
つきあいは続いていない。
それがコンプレックスだったし
私には、それだけの魅力がないんだ
と思っていた。

予備校(浪人)で
ようやく居心地のよい仲間ができて。

でも大学は当然バラバラだし
いつも一緒にはいられない。

で。
大学では
"常に一緒にいてくれる彼氏"
"どんな時も私を想ってくれる彼氏"
を求めて。
「重い」とフラれたり。
一緒に居てはくれるけれど
好きと思えなくて苦しかったり。
恋愛は、サッパリだったけれど
同級生は、みんなサバサバしていて
わりと居心地は良かった。

予備校も大学も。
皆それぞれ目標を持っていたし
自分軸で生きている人たちやったんやなぁ、
と今ごろ認識。

社会人となり。
再び、所属場を求めて
フラフラし続けていた私。

会社は、学校じゃない。
当然、ノリは違う。
そこにショックをうけ(笑)
それなら恋愛だ、とばかりに
彼氏探し一辺倒。
今となっては そない必死にならんでもw
と思うけれど、当時は切羽詰まってた

好きとか嫌いとか
いろんな感覚がマヒ(鈍化)した状態で
結婚して、離婚して。

再び
居場所とパートナー探しの旅。


結局は
自分で自分を肯定できなくて
「私の存在を認めてくれる人」
「私を求めてくれる人」
を探し続けていた。


少しずつ、少しずつ
自分を受け入れるほどに
日々の生活がラクになり。

パートナー探しを
一旦放棄した。

まぁ、いっか。
パートナーがいなくても。
私は一人でも日々を楽しめる。
無理に探さなくていい。

そう思えるようになった頃
夫に出会えた。

そして、手に入ったの。

子供の頃から求めてやまなかった
安心の場。

出会った当初から安心感はあったけど
一緒に過ごす中で
たくさん話して
時には喧嘩して。
どんどん安心感と信頼が増していった。

出会った頃のようなドキドキは
正直、減ったけど
(↑授乳中なせいもあるだろうし)
出会った頃よりも
もっともっと好きで安心できる。

そこが満たされると。

もっと大きな単位での
居場所が欲しくなった。

友達は いるけれど。
「仲間」への憧れ。

集団の中で、どんな私でいれば
認められるんだろう?

いつも
そう考えて、行動していた
(つもりだ)けれど。

TT3期の中では、その考えは捨てた。

ある意味、諦めてもいた
初めから
存在を認められる
(仲間意識を持たれる)ことを。
私は3期ではないし、って。

でも、仲良くやっていきたい
だから
全員とラポールをとる
(共にいて違和感のない状態になる)

と決めて。

内心ビビりながら。
自分から繋がっていくように心がけた。

認められる、という受け身ではなく
自分から関係性を
つくりにいく。

結果。
私は、ココにいてイイんだ、
という感覚を持てている。


******


つらつらと書いたけれど。

「仲間」って
入れて"もらう"
ものじゃない。
自分で
"つくり"あげて
いくもの。

この半年で、私が学んだこと。


******


パートナーも、仲間も。

相手に認めて「もらう」を諦めて
自分で自分を受け入れて

私はこんな想いや感覚を持っているよ

と、自分を見せていくことで
関係性を築いていくのね。

そして、築く、は、積み重ね


******


1つ前のブログ。
泣きごとでも、開き直りでもなく
ただ、今の私、を認める感覚だった。

でも、書き終わって感謝が溢れたの。

まずは、夫に。
いつも、迷った時は
背中を押してくれる。

あなたのおかげで
私はステキな仲間に会えたよ
ありがとう

そう伝えたら涙も溢れた。

夫は「そうか、よかった」と。
抱きしめてくれた。


そして感謝は、3期のみんなにも。

"今の私"は、
共に学んできた半年があったから。
受け入れがたい自分を、
まずは"そうである"と認める
(建設的自己否定はそのあと)
ことができたのは
お互いに内面を晒しあい認め合う
そんな時間があったから。


その背景には
智慧を伝え、見守ってくれている
凛子センセイや宇野さん
みっちさん、まゆちん、ワンコさん

息子を預かってくれる母

たくさんの人の支えがある。


******


。。。

TT、飛び込んで良かった。
ありがとう、大好き❤︎

を関係各位に伝えたくて
公開ラブレターのつもりで
書いたのだけど。

そこで満足してはアカンな、と。
ようやくスタート地点な心持ち。

さあ、ここから、どれだけ変化する?

私が、私に期待する。
そして、私は、私に応えるのだ。
私のために。