カミングアウトしたことで
気づいたあれやこれや。
まだまだ途中ですが
アップしていくことにしました。

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(9/10 に書いたものです)

昨晩、決死の覚悟で
(ってウソです、スミマセン
 怖さもモチロンあったけれど
 確信犯的なワクワクもありました)
私はムッツリでした
とカミングアウトした効果でしょうか?

今朝は 寝不足なのに
スッキリ爽やかな気分で
目覚めることができました♪


やっぱり隠し事がなくなると
気持ちがラクですね(๑´ڡ`๑)

隠れてないって声もありましたが(笑)

でも、それで解ったの。


「ウソ」とか「隠し事」ってね。

周囲にバレているか否かではなくて

ウソをついている
隠し事をしている
自分自身が自覚しているか否か

そして、そもそも
・ウソをつくこと
・隠していること
・ウソや隠し事の内容
悪いことである
って前提を持っているか否か

それが
自分自身の心の在り方に
大きく影響しているんですねぇ。


"私は悪いことをしている"
という罪悪感って
気持ちイイものでは無いですもんね。

私は、ずっと
気持ちワルイもの
(罪悪感)を
手放したかったんです。

だからカミングアウトしたかったの。


そして、もう1つ。

私以外の誰か
ありのままの私を、
どんな私であっても
愛して欲しい
受け入れて欲しい

って気持ちがあったのです。

これ↑ね、カミングアウトして。
「で?」
と尋ねられて解りました。

こんな(ダメな)私だけど
受け入れてくれる?

って。
暗に問うてました。
世界に対して。

「私」が存在している時点で
世界は受け入れてくれているのに。


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"ありのままの私を出せていない"
という感覚は

"私の「全部」は愛されていない"
と私の脳内で変換され

さらに
"私を曝け出すと嫌われる"
(客観的に見ると非論理的思考ですけれど
 こう考えてしまう人も多いのでは?)

というオソレを創り出していて。

嫌われたくないから
ありのままの私は出せない。

だから 私は 嘘つきだ。

からの、罪悪感。
罪悪感は感じたくない。

でも嫌われたくない
でも…
 ↓
出したい、でも、出したくない
のエンドレスループ。

書いてみると、客観視できると
滑稽ですけれど
渦中にいる時は深刻なんですよねぇ。


そもそも

ありのままの自分を
ていないのは
ないという選択をしているのは
自分自身なのに
ないと思っていた

不思議w


あ! (๑°ㅁ°๑)‼✧

スッキリ✨は。
自分で作っていた枠を
自ら壊した開放感
だったんですねぇ(笑)


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書き出すと
あっちこっちに思考が飛んで
とっちらかるのですが。
まだまだ発見があったので
順次書いていきます。