少し前。コレ↓に

やめるって、変えるって怖い。
けど、その怖さを超えていきます。
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jsta-morisachi/entry-12191468812.html

違和感を感じるにもかかわらず
その行動を続けていた理由として

自信や実績がなくても
「そうである」
かのように行動せよ
と学んだし


と書きました。


その意図は

この"教え"が間違っていた

ではなく

"私の"解釈が間違っていた

ということです。


この教え。
前提としてね。

「そうである」の

「そう」に
コミットしている

が必須なんです。


私の場合にあてはめると

「そう」
=「"恋愛カウンセラー"になる」


コミットしている
=決意している

って状態がね、
前提だったのです。


でも
私は決意していなかった。

決意した「つもり」だった。
↑これを認めたくなくて
自分を騙し騙し続けてきたのです


決意しているなら。
決意したなら。

迷うな。
「そう」であれ。
「そう」を先取りせよ。


私が改めて決意したのは。

自分で自分を
丸ごと受け入れること。

自分の存在価値を
自ら認め明確にし
その価値を役立たせること。


そのために

自分の感覚に正直になる。
それを表現する。


自分を丸ごと受け入れるって
世界に自分を差し出すこと

だと思うから。