賃貸オーナーと入居者のニーズを第一に高品質の賃貸住宅を供給する
時代の一歩先を行く賃貸物件を提供
中央宅建は昭和46年に創業した老舗企業。堀井会長は昭和44年に長沼町から札幌に出てきて自己所有の賃貸アパートを建てたが、当時、札幌市中央区南14条西6丁目の自宅の近くにあった高野宅建の故・高野耕一社長が同郷だったので、よく会社に顔を出していたという。そこで出会ったのが当時の弘成産業社長の故・塩田計男氏。塩田氏から「おれのところに来ないか」と誘われて、同社に入社し、本格的に不動産業にかかわることになった。2年間勤めた後に独立し、中央宅建を設立。「いろいろな物件を手掛けるうちに、他人が造ったものに対して、ここはこうした方がいいのではないかと思うことが多くなり、それならば自分で間取りを考えた方がいいということで、会社を立ち上げた」。
その後、札幌市内で数多くの賃貸住宅を供給し、その豊富な経験やデータを生かして、使いやすい間取りなど時代の一歩先を行く物件を提供してきた。出窓があるデザインに先鞭をつけたのも中央宅建だ。こういう取り組みができたのも供給してきた物件の入居者からの要求や苦情をよく聞き、一つひとつ解決するという同社の姿勢があったからこそ。「アパートなんだからこの程度でいい」とは考えず、賃貸オーナーの財産価値と入居者のニーズを第一に考え、高品質の賃貸住宅の設計・建築をモットーとして事業展開している。
昭和63年には、当時新しい土地有効利用の手法として注目を集めていた土地信託制度を活用し、三菱信託銀行とタイアップした土地信託の地元第1号の契約も実現させている。この契約も以前からの取り引きによる金融機関との信頼関係に加え、中央宅建の賃貸住宅に関する実績と蓄え続けてきたノウハウが評価されてのものだった。
何事もとことん取り組む姿勢が原点
この間、堀井会長は北海道宅地建物取引業協会札幌支部の理事や不動産センターの常務取締役なども務め、故・塩田氏、橋本商事の橋本厚吉氏とともに北海道不動産会館建設の借入金返済のために奔走。「3人で不動産センター名義でのアパートの建売りに協力し、その利益で資金を生み出して返済を乗り切った」。昭和49年11月に完成した同会館は事業費総額1億5000万と、当時としては多額の費用を必要とし、「会員650社からの出資金の同意を取り付けた当時の幌南商事社長の故・野鉄蔵さんをはじめとする役員の方々のご努力の賜物でもあった」と振り返り、「こうした苦労や陰の協力があったことを話す人が誰もいないのが少し寂しい」と語る。
また、堀井会長は小学2年生のときに「隣に住んでいたおじさんからもらった」尺八を自己流で楽しんでいたが、やがて自己流では到達できない奥深い音色に魅せられて、小路流3代目家元松本晁章師匠に師事。腕前を上げ、民謡伴奏でテレビ出演したり、昭和60年の札幌市と中国瀋陽との姉妹都市友好5周年記念訪問や同62年にブラジル・サンパウロで行われた「移民80年祭式典」でも公演した。昨年2月には北海道民謡連盟から公認最高師範の称号を贈られている。
こうした「何事もとことんやらないと気が済まない性格」(堀井会長)が、中央宅建設立の動機となり、その後の同社の先駆的な取り組みや、妥協を許さない姿勢の原点になっているといえそうだ。最近気になっているのはこのところの住宅建築費の上昇と職人不足。「私たちの時代は農家から出てきて大工になったり、基礎掘りをやる人が沢山いた」と昨今の若者の建設業離れに「隔世の感を禁じえない」と危機感を抱いているところだ。
本記事は「住宅産業新聞」平成26年2月16日号に掲載した記事を再編集したものです。







