ご無沙汰しております。ミル姉さんです。
「どうする家康」「大病院占拠」
大好きな方々が、主演を務めるドラマの初回がそれぞれ放送され
そして、放送された第一話の完成度の高さに、ただただ感動しております。
家康の、元康と瀬名のかくれんぼを微笑ましく見ながら
あれを、子役ではなく(信長にしごかれていたころは子役が演じているにもかかわらず)
わざわざ、松本さんと有村さんで演じるあたりに
歴史として『これから』を知っている身としては、なんと恐ろしい演出をしてきたのだ、と。
その時に、大泣きするであろう自分が容易く想像できてしまい、
脚本と演出のすごさ、役者陣の演技力の高さに、ただただ慄くばかりです。
(脚本が、私の想像通りで来てくれるとは限りませんが^^)
逆に、かくれんぼの場面は松本さんが演じたのに対し、
信長と一緒にいる頃の元康(竹千代)が子役なのも、
幼少のころに植え付けられた強烈な恐怖体験(元康曰く、狂気)を
我々視聴者にも同様に強烈に印象付けてきていて、あな恐ろしや。
第2話の予告をみただけで、なおもワクワクさせて頂いております。
撮影手法(インカメVFX等)に対し、辛辣な意見もお見受けしましたが
その方々が、そう感じるのなら、それはそうなのでしょう、と。
私は、正直まったく気にならなかったので(むしろ、絵巻物のように美しいとさえ思った)
「へぇ」という感想しかでませんでした。
ただ、「馬」「馬」「馬」「馬」「馬」「馬」「馬」「馬」…
なにかの一つ覚えのように、馬のことだけを執拗に叩いている人を見ますと
見る番組を、そもそも間違えていらっしゃるのではないか、と。
競馬中継をご覧になったり、馬場にお出かけになれば
本物の馬の駆け行く姿が見られますのにね、と
あのアングルでのぞき込んだら後ろ足で立たれてしまうかもしれませんのにね、とか
牛は内心呟いておりました。
馬の持つ気質と、撮りたいアングルの関係もございますしね、ドラマは。
真田丸の時も、アングルによっては馬の模型を使っていたことは
それだけ馬馬言うのであれば知っているだろうに、と。
(もちろん、その理由も)
朝ドラにしても、何にしても、「反省タグ」というものが存在していることは承知しておりますが
そもそも反省する立場にない方々がなにをほざい仰っているのだろうと。
反省と言うのは、当事者がするものであって、無関係な人間がするものではない。
無関係な人間が述べるのは、ただの感想であり、「私はこうして欲しいのに」という要望でしかない。
いけません、少し興奮して参りました、牛。
面白いのは、なんとか文句をつけようとする方々というのも(やはり)一定数いて
大高城から逃げた先が海なのはおかしい、と騒いで。
大高城は伊勢湾のすぐそばなのですよ、と専門家から正されても
じゃあ、外海みたいに波がざっぱんざっぱんしてるはおかしい!とか(笑)
もう、なにがしたいのやら。
そして、これは以前から感じていたことなのですが
大河ドラマ=歴史(史実)
そう思っている方って、結構な数存在するのだな、と。
史実を知りたいのであれば、歴史を学んでいけばよいし…
家康研究はかなりの進度だそうなので、
昨日まで「こう」と思っていた「史実」が今日には「そう」に変わることもある。
楽しいと思います、そういう意味でも「史実」を学ぶのは。
(その進度についていけていない方々が文句をいってらっしゃるようにお見受けできてしまうのがなんとも…)
ただ、ドラマというのは、「事実」に焦点を当てるのではなく、
そこから派生する、その時代に生きた人々の感情に焦点を当て、彩っていくもの。
そこを理解していないと、ドラマを楽しむのはなかなか難しいのかもしれません。
「鎌倉殿」の時も、最初のころはひどい言われようで
頼朝が主役みたいだ、義時が地味だ、軽いだなんだ…
個人的には「義時の目を通して見る、義時の人生」だと思っていたので
先述のような感想の方々には「?」でした。
ですから…まぁ、あまり気にしなくて良いと思っています。
今回、あまりの言われように、大河ファンの方々の方が怒っていらっしゃるのが
おお…となりました(我々、アンリーで慣れちゃっている部分もありますものね…)
なんだか、色々と愚痴めいたことを書いてしまいましたが
「どうする家康」、まだ1話のみの視聴ですが、ドラマとして非常に面白く
また、殺陣のレベルの高さにも感動しております。
役者陣が、それぞれ本当に際立っていて、見ていて心の底から楽しい。
本日、いよいよ第2話。
白うさぎは、どうなってしまうのでしょうか。
とても、とても、楽しみです。