臨時ニュース(2)

電解透析水整水器
河北新報(本社:仙台)2010年5月15日(土)朝刊に下記記事が掲載された。
 



東北大学院医学系研究科が研究に取り上げたのが、当社の電気分解整水器によって生成される還元水。水素を含んだ還元水が活性酸素を消去する機能が注目され電解透析水整水器が共同開発された。

透析をされている方、またはご家族の方はご存じでしょう。透析すると体がだるくなって、その日は一日何もできない。
ところが電解還元水を飲用すると透析の「だるさ」がないから透析終了後の日常生活に支障がなくなるという体験がでている。その情報も開発に寄与していると思われる。
なぜならば科学とは事象現象の因果を究める学問だからである。

当社のユーザーでも還元水と透析について以下のような体験例がある。

「以前は暑くてもあまり汗をかくほうではなかったのですが、還元水を飲み始めてから汗がよく出るような気がして、体に熱がこもらなくなり気分も良いのです。透析終了後もあまり辛くないです」というお便りもきている。

また、還元水と同じような機能水の利用者の体験を以前この「つぷやき(08年04月)」でご紹介した。

週3回透析を受けているスナックのママさんの話である。
以前、彼女は透析を受けるとお店に出るまでの時間横になって休んでいた。
あるとき、お友だちから機能水(当社の還元水と同じように力のある水)を勧められて、この水を飲むようになって、透析後も体かだるくならず、お店に出るまでの時間、自転車で買い物をしたり楽しんでいる。
もちろん、透析を受けているわけだから、我々のように一日2リットルの水を飲むというわけにはいかない。医者から許された2~300mlの飲み水を変えたのである。その他調理に使う水も含めてすべて機能水である。

 このとき「がん」のことも書きましたがあれから2年。医者は切りたがっているようですが、いまだ手術をしていない。

このコラムを書いた時も批判をいただいた。

ここで、もう一度以下のことを再確認していただきたい。

1.我々の住む世界は酸化還元反応の世界であること。
2.病と老化の元は活性酸素。
3.この世の中は因果律によって成り立っている。

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(2009/10/10)
提橋和男の新☆管理人のつぶやき 1184

続・病と老化の元は活性酸素 

今回の話の前段として何度も書いていることですが以下のことを再確認させていただきます。

電解還元水を否定している方々でも「病と老化の元は活性酸素」ということを否定する方は稀であろう思います。
また、このことを言い出したのは我々業界人(水商売人も含めて)ではなく、医学が言い出したことであることも周知の事実であることは誰もがご存知のことでしょう。
そして、医学は20世紀の終わりに「21世紀は酸化を還元して病を予防する医療が主流になる」という主旨を発表しています。

つまり医学の本来のあり方は、活性酸素による酸化障害(疾病)を還元によって障害を還元してしまう医療が主流になるということです。


医療の本流は「酸化還元」方法である。(これは医学が言っていることです。)
今回のニュースはまさに医学が「医療の本流」に踏みだした第一歩ではないだろうか。ちいさな第一歩ではあるが「堅固な堤防もありの一穴」から崩壊する。
すでにメーカーには「電解透析水整水器」の引き合いがきているという。
実際に病院に「電解透析水整水器」が導入されて稼働が始まるとどんな事が起るか考えてみれば、次のような事が当然のこととして予測される。

すなわちA病院で
「電解透析水整水器」による透析を受けている患者さんは、透析後も元気はつらつ、帰りにイオンでお買いもの。一方、従来通りの透析を行っているB病院では患者さんが透析に苦しみ、透析後も体を休めている。そこへA病院の患者さんの噂が風の便りで聞こえてくる。
B病院の患者さんはどうするでしょう。
そうです! 「電解透析水整水器」は嫌でも急速に普及せざるを得ない。それとともに「酸化還元医療」という考え方が医学会に広まっていく。

もはや「電解還元水」インチキ論や「自爆する水商売人」などと呑気に批判している場合ではない。また、東北の一地方紙の記事と馬鹿にしている場合ではない。化学音痴がはびこっている、そんな時代はお終い宣言に等しい記事であることを認識しなければならない。

なお、「河北新報」という新聞社の名前は、明治維新で「逆賊」扱いされた東北人の反骨精神がその由来となっている。当時、東北地方は「白河以北ひと山百文」と薩長政権に蔑まされた。
「この屈辱を永遠に忘れぬ。今に見ておれ」という東北人の心意気が社名となった。電解還元水が批判されてきたこととどこかで重なる話である。この記事が「河北新報」に載ったことは何かの縁だったのかもしれない。