カロリンスカへの道(2-2) 
   

“ルルドの奇跡” と ノーベル賞学者 アラン・カレル博士

アラン・カレル博士
アラン・カレル博士

後にノーベル生理・医学賞を受賞されたアレクシス[アラン]・カレル[Alexis Carrel]博士は、1902年、29歳のときルルドへの巡礼団に随行医師として参加され、彼自身「もう助からないであろう。」と診断をくだしていた末期の結核性腹膜炎で瀕死の状態であったマリーという患者が、マッサビエールの洞窟の前で、数時間のうちに治癒していく事実を目の当たりにされたのでした。 


その後、カレル博士が残された文書の中から、自らの体験をラレックという名(Carrelを逆から呼んだもの)の医師の体験談として綴った『ルルドへの旅』と題した物語が発見され刊行されました。
この物語の冒頭では、「ルルドで起っている状況を研究することは、つねに故意に避げられてきた。だが、どうしてやってみないのだろうか。
たとえそれが、単に気のうえでの回復にすぎなかったとしても、大した時間の無駄使いでもないだろう。それに、原因は何であれ、もしかして実際の効果があるならば、それは、たしかに科学的方法で検証された事実として、大きな意味を持ちうるだろう。」 と、ルルドにおける治癒に対して半信半疑な気持ちでルルドへ向かわれたことが記されています。
ところが、実際に奇跡的な治癒を目の当たりにされたことで、
「--前略-- 奇跡の事件にまきこまれたのは、確かに非常に具合の悪いことだった。しかし、彼はそれを見に来たのだし、見た以上は実験室での実験の場合同様、観察結果を変えるわけにはいかなかった。新しい科学現象だろうか。それとも神秘神学と形而上学の領域に属する事実なのだろうか。これは非常に重要な間題だった。なぜならこれは、単なる幾何学の定理を認めるかどうかというような間題ではなく、人の生き方そのものをも変えうるような問題だったのだから。」
と、博士自身のその後の生き方や考え方そのものにまで大きな影響を受けられ、1904年に渡米された後、1912年に“ノーベル生理・医学賞”を受賞されるほどの研究を成し遂げられました。
その後、数々の功績を残され、1944年11月5日パリにて71年の生涯を閉じられました。

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アラン・カレル博士の『ルルドにおける治癒』についての見解 

カレル博士は、ルルドでの治癒を証言しただけで医学界において微妙な立場に立たされ、自分の見解を弁護しなければならなくなったため、以下のような見解を発表しておられます。 
「--前略--毎年、何千人という巡礼や病人がルルドに赴き、そうした旅行の後には、カトリック系の新聞雑誌が『奇跡』と呼ぶ若干の不思議な事実を発表する。
予め調べることなしに事実の現実性を否定することは、科学者として重い遇ちを犯すことになるのであるが、永い間、医者たちはそうした治癒例を真剣に研究することを拒んできた。
  とても真に受げ難く見えても、ルルドには真正の事実があったかもしれないのである。それに、宗教や党派の間題がそこに加わって人びとを煽動することになった。真に不可欠な真剣な検討は、今まで少しもなされなかった。皆ただ徒らに、そうした事実がなぜ起るかあれこれ億測していた
のである。
--中略--
多くの人は、昔から観察され、科学理論に助げられて、多少なりとも人為的に分類されて書物の中に記録されているような事実の外に、自然の力の戯れによって生ずるものは何もないと考えている。
それで、公認された科学の非常に硬化した枠組にどうしても入らないような披いにくい事実が出てくると、否定するか、あるいは笑いものにするかのどちらかになってしまうのである。
どの時代にも、科学者の目に異常と思われる事実が出現し、それは人間精神が喜んで閉じこもっていた図式的定式を破壊するがゆえに危険と見られたのであった。
いわゆる科学的人間はそうした事実を否定し、それ以外の人びとは形而上的なものとみなす。
事実はその原因がわからないとき、形而上的なものと宣せられるのである。
--中略--
たしかに、本当に証明された科学的事実は決して疑ってはならない。しかし、若干の明らかな点を除げば、自然法則というものは非常に厚い闇に覆われているので、事を現在知られている法則だげに限定してしまうなら、認識の領域は非常に狭められることになるだろう。
おそらく、まだ他に多くの法則が存在するのであり、科学の進歩は新事実を求め、異常な現象を分析して、その特性を明確にし、既知の事実とどこで異なるかを見て、ついには新法則を見出すところに存在するのである。
科学はつねに、欺瞞と軽信を警戒しなけれぱならない。しかし、ある事実が異常に見え、科学がそれを説明できないというだげで、その事実を排斥してしまうことは控えるのが科学の義務である。
医学の世界では多くの人が、自分が観察したこともない事実を否定している。それでは判断において過ちを犯していると言わねぽならない。 --後略--」