「妄想、思い込み、気のせい」 

東京海上日動ビル
東京海上日動ビル

東京・丸の内・東京海上ビルの「バーバ宇田」の店長(60歳代の女性)が異変に襲われた。昨年の12月のことだそうだ。胃の上に大きな石がのっているような感じがして食べられなくなってしまった。
診療所で診てもらったがデーター上なにも悪いところが見つからない。
医師曰く、「検査の結果はどこも悪くありません。健康そのものです。気持ちの問題ですから、美味しいものでも食べてゆっくり休んでください」。
宇田さんをはじめ、お店の人たちは「唖然」。「美味しいものでも食べて・・といったって食べられないから医者に診てもらったんじゃないか。本人がこんなに苦しんでいるのに、データーがないから健康だって?気持ちの問題だって?!」
食べられないから体力が無くなって歩けなくなってしまった。体に震えが出るようになってしまった。
それでも医者からは「気分の問題」・・「気のせい」でかたずけられてしまったそうである。

実は私の母も同じような体験がある。昨年5月、呼吸が苦しいと言い出した。それでも1-2時間でおさまっていたが、ある日、大変苦しがっておさまらないので救急車を呼んだ。一旦、救急病院に運び込まれ、そこからかかりつけの慈恵大青戸病院へ移送した。救急病院でも慈恵医大でも、調べた結果は、胸も心臓も呼吸器も異常がない。医師の診たては「気のせい」。一応点滴をしていただいた。
数日後、また苦しみがひどくなって再び救急車を呼んだ。慈恵大青戸病院へ運ばれたが、件の医師が「何でもないのに救急車を使ってもらっては困る」と怒る。
どこも悪くないのだから・・と追い返されてしまった。結局、大腸に異常が見つかって手術をした。

「バーバ宇田」の店長は他の病院で検査した結果、肺のリンパに腫瘍が見つかったそうだ。

母も「バーバ宇田」の店長も、最初の検査では異常を見つけられなかった。苦しんでいる原因を示すデーターが出なかったので「気のせい」という結論でチョン。
私たち人間が五感、六感で見たり感じたりしたこと(現象)が「データー」で示すことができないと、それは「妄想、思い込み、気のせい」という台詞はどこかで聞いたことがあるなあ・・。
しかし、苦しんでいる人が、苦しんでいる原因について「データー」で苦しみを示すことは出来ない。苦しんでいる原因を探査し発見し治療するのが医師の務めなのに、発見できない。
発見できない原因は「探査能力の欠如」なのに、そのことは棚にあげて「妄想、思い込み、気のせい」では当事者は救われない。

病の元は「活性酸素」というのは医学界が言い出したのだそうだ。しかし実際の医療現場で診察や治療にあったって、体内の活性酸素について調べたという事例をきいた事がない。
「いやあ、まいったよ。健康の人より活性酸素が多いと言われた。このままだと病気になるから、活性酸素を○○の数値まで減らせと言われたよ」なんて話、皆さん聞いたことありますか?
人間の体の70%は水です。血液の90%は水です。貴方の体のこれらの水の質について健康診断で、あるいは病気の治療で調べたことがありますか?
体の70%、血液の90%の部分は無視して、30%、10%の部分でああだ、こうだとやってても病は治せないのと違いますか?

同じことが水の世界でも言えます。機能水によって起こる事象・現象について、データーが取れないという理由で「妄想、思い込み」で片付けている。
科学とは、私たち人間が五感、六感で見たり感じたりしたこと(現象)をとらえて、真理の一分一分を究めて研究していく学問といわれています。ところが「妄想、思い込み」で片付けている人(科学者?)達は真理の一分一分を究める研究など最初から放棄し「机上の空論」を振り回し、「エセ科学だ」「トンデモホイホイ」と騒いでいるエセ科学者(?)がいる一方で、真摯に事象・現象を捉えて「真理の一分一分を究める」研究をしている科学者もおられます。

「常識とは、18歳までに身に付けた偏見のコレクションである」とは物理学者 アルバート・アインシュタイン(1879~1955)の言葉である。「常識」の枠から、飛び出せ!

天文学の世界では新しい発見が続いている。18歳までに身に付けた偏見のコレクションでは「トンデモ」「エセ科学」になるのでしょうか。