認知症(6) 復活

入院

認知症の友人の母のことを書くシリーズである。今回のタイトルは「最終章」だったかもしれない。自分に中に一時期そういう思いがあったから、今回のタイトルは「復活」とした。
母は8月で91歳になる。その友人の母が6月、ついに腸の手術をするために慈恵医大青戸病院に入院した。
後期高齢者医療制度についていろいろなことが言われているが、母は、まさにその制度の下に入院した。
90歳の高齢のため、様々なリスクについて病院から説明を受けた。手術で万一のことがあっても、90歳・・・まもなく91歳という年齢を考えれば「大往生」だろう。だから医者も心のどこかに逃げ道があるかなあ・・とか、私自身も「仕方ないよなあ」という心の中に逃げ道を作っていたかもしれない。
ちなみに7月31日に厚生労働省が発表した07年度の日本人の平均寿命は男性79.19歳、女性85.99歳。母は平均寿命より5年も長生きさせてもらっている。生きて欲しいという気持ちは強いが、万一のことがあっても仕方がない年齢ということになる

まず、腸の状態を診るのにカメラを入れる。この段階で麻酔によるショック死があるかも知れないこと。高齢のため腸も老化していてカメラが腸を傷つける、あるいは腸を破ってしまう可能性があること。また、心臓については、25年前、この病院で「狭心症」と診断されている。もちろん古いことなのでカルテは残っていない。そういうことも考慮して高齢が故のリスクについて説明を受けた。

先ほど、「私自身も「仕方ないよなあ」という心の中に逃げ道を作っていたかもしれない。」と書いたが、一方で還元水パワーの期待があった。
認知症になってからは、本人は還元水を飲むことなど忘れているから、電話で指示していた。5月になってからは還元水を飲む量も増えていたし、食欲も旺盛で「体力がついた気がする」と本人が言うようになっていたので、その期待もあった。
しかし、入院時、身長145cm、体重38kg。やせ細っていることは間違いない。

入院風景入院一週間。案ずるより生むが易しで検査は全て無事に終了した。この間、この年齢での入院患者としては手間がかからない優良患者だったと思う。ベットに「院内フリー」と書いてあった。自分で歩き回るし、トイレも自分で行く。オムツの必要もないし、目も耳も問題ない。食欲も90歳ではOKという先生のお話だった。本人の不満は「とにかく暇」ということにつきた。

手術

慈恵医大青戸病院外科の主治医は川村雅彦先生。お名前を書かせていただいたのは、慈恵医大青戸病院の外科にお若いのに腕の良い凄い先生がいる、ということを書きたかったからである。何しろ90歳の高齢者を一週間に2度も手術して生還させたのですから・・・。

手術は、腸の患部を切り取ってつなぐというものですが、高齢者のため繋がらない可能性がある。その時は、人工肛門の手術をすることになるという。繋がる可能性2割。人工肛門の可能性8割。
安全を考えれば最初から人工肛門にしてしまえばよいのですが、術後の生活を考えれば人工肛門は避けたい。先生も全力で腸を繋ぐことで手術をすると言ってくれました。
ところが翌日看護師(婦)さんの説明では100%人工肛門の話。「先生はまず腸を繋ぐと言ってくれましたが」と言うと「先生、そんなこと言ったんですか」と看護師(婦)さん。(先生は私たちに希望を持たせるために言っただけだったのか。腸を繋ぐのは無理なんだ)

手術は6月9日(月)、午前9時から。2時間ほどで看護師(婦)さんが「手術が終わった」と呼びにきた。手術室い向かう途中「手術時間が早かったから、人工肛門・・」という。しかし川村医師は嬉しそうな顔をして話してくれました。「腸を繋げました」。高齢だから今後の経過を見ないとわからないが第一段階は成功とのこと。
また、全身麻酔をかけると認知症が一気に進み、何もわからなくなることも起こりうるということでしたが、こちらもクリアーしました。

術後3日目には流動食となり、リハビリのためトイレは歩いていくなど、体力的には順調に回復しているように見えました。しかし術後の痛みに苦しんだようです。

再手術

痛みがひかないことと、発熱があることから、腸が繋がっていない可能性があり、開腹して腸の様子を調べて、ダメな場合は人工肛門の手術をすることになった。手術日は13日(金)。再び事前説明でリスクの説明を受けたが、麻酔については麻酔の医師から直接質問を受けました。
「狭心症であったということですが、どのような薬を使用して治しましたか?」
「食事療法で治しました」
医師は疑問を感じたようです。「本当に狭心症だったのですか?」
「一日4回発作を起こしていました」

前回の手術から4日目の手術ですから、体力が回復しているわけではありません。条件は最悪です。麻酔の先生も相当ヤバイと思ったのかもしれません。私は還元水パワーを信じるしかないと腹をくくっていました。
結果としては、手術は成功。術後の極端な体力の減退、認知症の最悪化もなく7月1日(火)退院いたしました。

退院前に川村医師からお話がありました。その折に私は御礼とともに「先生は凄い名医ですね。90歳のばあさんを1週間に2度も手術して成功させたのですから!」と申し上げました。
先生も満更ではないような顔をされながら「90歳以上の方の手術は年2,3回ぐらいですかね。お母さんの頑張りですよ。90歳で手術に耐える体力があったからです。本当に命と引き換えの手術でしたからね」

復活

退院後は、一人暮らしというわけにはいかないので我が家に引き取りました。印西市での受け入れ準備。ディサービスや訪問介護師の手当て、ベットや車椅子の準備をして我が家へ母を迎え入れました。
ところが食事がとれない。環境の変化や、術後の体力の衰えが重なったと思うのですが、食物が喉を通らない。飲み物も飲めない(喉や食道が詰まっている)という状態になってしまいました。こうやって衰えて死んでいくのか。もし、万一喉や食道に障害があってもう一度手術なんて出来ないぞ、といろいろな思いが巡り、やはり高齢の手術は無理だったかと思いました。一度は次女がお世話になった町の医院で点滴を受けましたが、7月12日(土)、再度慈恵医大青戸病院に「脱水症」で入院。検査の結果他に異常はなく、食事が出来るように回復する治療を受けることになり一週間で退院できました。

退院後2週間が過ぎましたが、この猛暑の中、食事は出来ていますし、ディ・サービスに元気に通っています。町内を散歩するときは車イスですが、家の中やディ・サービスは自力で歩いています。

実は、7月27日(日)と8月3日(日)の日曜日は母を車に乗せて事務所へ行きました。母を事務所の前の喫茶店で休ませて、私は仕事をしました。印西から池袋まで高速を使わないで片道2時間のドライブです。妻を介護から解放させてあげなくてはと考えてのことです

一番心配したのは、母が人工肛門になったショックを受けることでした。入院中「変だねぇ。おならがお腹で鳴っている」と不思議がったことはありますが、幸いというか、認知症のおかげか、人工肛門について質問もせず当たり前に受け入れています。ストーマーに溜まった排泄物を抜くのは私と妻ですが、嫌がらずに抜かせます。

還元水パワー

友人の母と還元水については、ずーと書いてきましたのでご存知の方も多いかと思いますが、もう一度、簡単にご紹介いたします

母は幼少のころから心臓が弱く、病弱の身でした。戦前、東京の姉の家に身を寄せていた母は、東京が空襲を受けた時も防空壕には息苦しくなって入れず、ひとり押入れで布団をかぶっていたそうです。
幸いに東京大空襲の時も千駄木町は焼けなかったそうですが、先に疎開をしていた姉夫婦が迎えにきて日野へ疎開しました。ところが日野は米軍の重点爆撃目標の日野重工がありましたから連日B-29の爆撃を受けたそうです。山には町民が避難できる防空壕があったそうですが、母はここでも押入れで布団を被って震えていたそうです。

65歳のころには一日数回の発作を起こすようになりお花茶屋の商店街で30分もうずくまっていることが多々あったそうです。慈恵医大で狭心症と診断されましたが、結局治らなかった。苦しんで寝込むことが多くなり「自分は死ぬだろう」と考える日々。たまたま新聞広告で見た「核酸食事法」の本を買って実践したところ治癒してしまった。その後私が電解還元水に出会い、還元水を飲用するようになり、母は健康に自信をもつようになりました。

母は70歳までは生きられないだろうと思っていたそうですが、最近は「不思議だねぇ。年をとるほど丈夫になる」というにが口癖でした。
肩や膝の痛みも慈恵医大では治らないと宣言されましたが、時間はかかりましたが還元水のおかげで今では何処のも痛みはありません。そういえば手術の痛みも有りませんね。

90歳で手術することじたい、とんでもないことだそうです。それを5日間に2回もしたんですよ。ご高齢の方がベットで寝たままの患者ばかりの病棟で母だけがリハビリで歩行訓練をし、歩いてトイレへ行っていたのです。もちろん失禁もありませんから紙おむつもありません。
手術前に体の動きのチェックがありましたが腕は上がるし回るし首も回る。動きは普通の人と変わりません。全て還元水パワーです。

医療介護イメージ後期高齢者医療制度と介護の問題

後期高齢者医療制度については巷間様々なことを言われていますが、医療面に関して、母は慈恵医大で十分な治療をしていただきました。
ただ、母の場合、治療すれば生きる、生きられるという状況だったから全力治療をしていただけたのかもしれません。これが終末治療だと医療費削減のため延命治療でもめるのでしょうか?
ということは還元水でそのような問題になるような高齢者にならなければよいということです。

長野の知人のKさんに友人の母のことを報告しました。Kさんのお母さんは今年94歳。昨年、大腿骨骨折をし、リハビリで歩けるようになったそうです。医師が90歳を超えて大腿骨を骨折して歩けるようになった例を知らないと驚いているそうです。今は市内の七夕祭りを見に行くと張り切っているそうです。これも還元水パワーだと私は思います。

ところで介護事業が成り立たないそうです。政治は制度は作ってもそこに心がないのです。母が介護を受ける様になって、介護に携わる人達のご苦労がわかります。特に訪問看護師さんは大変です。ただ報酬のためだけで出来る仕事ではありません。ご家族のご理解も必要です。
このままでは医療制度も介護制度も崩壊の危機が叫ばれています。
いずれ誰もがお世話になるのですから国も国民もこの問題は真剣に考える必要があります。そう、還元水のことも含めて・・。