活躍する女性像(66)
上村愛子(フリースタイルスキー モーグル) 「再スタート「愛子ではなく私」」
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メダルを期待されたトリノ五輪で、力を出し切ったにもかかわらず5位どまり。「けっこう点が出ないんだなあ」と世界トップへの壁を感じた。それから1年――。「今まで3回も五輪に出て、それでも気付かなかったことがあった。自分を変えなければならないんです。4年間かけて、バンクーバー五輪の金を目指します」と語る。【野口美恵】
長野県の白馬、ペンション経営の家に生まれ、雪山で育った。14歳の時、カナダのウィスラーを旅行し、偶然、モーグルの大会を観戦。セルゲイ・シュプレチョフ(ロシア)らの迫力ある滑りを見て、心を奪われた。「すごい、私もやりたい」。そのままペースを落とすことなく12年間走り続けた。
◆金メダルのためには休みも必要
もう1人の日本のエース里谷多恵とは対照的な性格だ。里谷が1点集中型で、金メダルの年もあれば低迷する年もあるのに対し、上村は常に期待に応えようとして成績を維持してしまうタイプ。五輪直後の3月、上村は「金メダルのためには、4年間全力で行くのは無理。バンクーバー五輪という1つの目標のためには、休みも必要と分かったんです」と話した。
これまでオフシーズンもフルに練習していたが、06年の夏はエアなどは行わず、ランニングなど基礎トレーニングに抑えた。「練習よりも、考える時間を大切にした。自分の滑りをどうするのかを決めた」と上村はいう。
新シーズンは06年10月のスイス合宿からスタートした。何の技も入れないストレートジャンプから反復し、これまでは取り入れなかったバックフリップも「4年後のためには今のうちにやっておくべきだ」と考え、練習した。
◆チームAIKOに支えられ
おっとりした性格で、周りに気を使う。他を蹴落としてトップになる強さがないのが、五輪アスリートとして欠けていると指摘されもした。そんな他人思いの性格から、「チームAIKO」という有志のサポートチームが立ち上がり、弱くなりがちな精神面を支えてくれている。
「チームAIKO」のメンバーは、トリノ五輪を現地で観戦し、モーグル決勝で5位となった翌日、パーティーを開いてくれた。そして、誰もがまだサポートを続けていく気持ちを上村に伝えた。
上村は「期待に応えられなかったのに・・・。また4年やってもいいの? って思ったら、もっと強くならなくてはいけないと痛感しました。今までは“金メダルを目指す”という言葉が言えず、メダルとしか言えなかった。もっと自分の考えをしっかり持ちたい」と決意。母も「みんなから愛されるようにと思って愛子と名付けたんですが、えらい大変な名前を付けてしまいましたね」と苦笑いした。
トリノ五輪直前に痛めた左ひざを06年10月に再び痛め、07年1月のワールドカップは欠場した。しかし目標をしっかり持った今、焦りはない。
「今までは自分のこと『愛子は』って呼んでたけど、『私は』に変えます。金への道はこれからです」と、真剣なまなざしで3年後の冬を見据えた。
2007年2月11日