成人式

今年の1月、友人の次女が成人式を迎えた。このコラムをご愛読いただいている方は次女の状況についてすでにご存じのことと思います。

次女は生後6ヶ月を過ぎたある夜、突然、原因不明で意識不明呼吸困難となりました。
かかりつけの医院を通じて、成田日赤病院に緊急入院、危ういところで一命をとりとめました。
医師のお話では「脳が萎縮し、水がたまっている。痙攣によってそれが起こったのか、そのような状況になって痙攣が起きたのか前後の関係がデータがないのでわからないが、今後とも痙攣が起こりやすく、『一生痙攣止め』が必要となるだろう。後遺症として言語障がい、身体に障害が出る可能性があり、薬の副作用も考えられるが、ともかく痙攣を抑えることが優先されるので、そういう症状が出たときは、その時々、対処療法でしのぐしかない」という。

結果としては、還元水に出会って、小学校6年生で薬からも病院からもかいほうされました。
ただ、学業は、教育委員会から特殊クラスを作る話がありましたが、娘が拒絶して実現しませんでした。しかし、中学に入ったら「特殊クラス」というのが教育委員会の方針でした。ところが娘はあくまで皆と一緒に学びたいとこれも拒絶。私は「授業の邪魔をするわけではないし、進学については考慮してもらわなくて構わないから教室に置いて欲しい」とお願いし、3年間普通クラスで通いました。(但し、友人はなかなかできなかったようです。)

娘は進学を希望しないだろうと思っていたところ、何と高校へ行きたいと言い出しました。幸い学校からご配慮をいただき愛国学園大学付属龍ヶ崎高等学校をお世話いただきました。高校卒業後は、子供のころからの夢であった「漫画家になりたい」という希望から、その方面の専門学校に進学し、この3月卒業いたします。

次女は私が40歳のときの子ですから、20歳になったとき、私自身、経済的にどうなっているだろうかという漠然とした不安もありましたが、とにもかくにも、一応、学業について親の責任は終了いたしました。
娘は「アルバイトをしながら漫画を書き続ける」といいます。まぁ、それも仕方ないだろうと私は思っています。

先日、アルバイトの願書を書いているのを妻が見て「そんなことは書かなくていいの!」と注意をしていました。
娘は、自分は「何万人に一人という脳の病気をして、今は完治している」と書いていたのです。

吉岡氏は、自身のブログで「科学者と呼ばれるにふさわしい人の、その心の根本は「愛」である」と書いています。
還元水について、世の中批判が渦巻いています。「一生痙攣の危険がともなって薬は手放せない」と医者から言われていた次女は還元水を飲み始めて4年で、「もう大丈夫です」と医者から言われました。

体力的には、娘が通っていた小学校では、毎年冬に長距離走が行われ、4年生になっても、下級生の、しかもビリグループで走っていました。
ところが、5~6年生のころは中段を走るくらいに体力がついてきました。そして薬と病院から縁がも切れました。

実は、わが家の向かいの男の子(娘とおない年)も障がい児で言葉を全く喋りません。小さいとき、一緒に町の更正施設に通っていました。娘と違って学校は特殊施設に通っていました。
友人は、平成5年ころから三菱樹脂時代からバブルの後始末や裁判ざたなどで朝早く家をでて、夜遅く帰る生活になってしまいましたから、近所の人と顔を合わせることもなくなりました。たまたま、遅く家を出た特に、その子が(青年?)「おじさん、会社へ行くの?」と声をかけてきたのでビックリしました。喋れるようになったんだ!
でも、娘と違って障がいが残っています。

私は、今になって反省しています。「その子の家に何で還元水を勧めなかったのか」と…。ご両親は一生その子を見ていかなければいけません。今からでも遅くないから「還元水」を勧めたら…と思うのですが躊躇する自分がいます。

「人の足元見て、如何わしいものを売りつけに来た」と思われるのではないか。
いくら還元水のことを説明しても受け入れては貰えないだろう。(今までそういうことがたくさんありましたから)

なぜならインターネットをあけて「還元水」を調べたら誹謗中傷が載っています。
その誹謗中傷を乗り越えて説明に行く「勇気」が私にはないのです。

娘に起こったことが「還元水」の力と言えるのか。
その子に「還元水」を飲ませたところで何の効果があるのか?
単なる金儲けだろ!
そんな批判が聞こえてきます。

でも、批判は正しいのだろうか?娘に起きたことは、私は還元水の力だと思っています。科学は、批判するのではなく、それを研究するのが科学だと思うのです。それが「愛」でしょう。もしかしたら、子供を救えるかもしれない。その可能性を調べることは無駄足かもしれないけれど、調べもしないで頭から否定することに、私は納得出来ません。

20世紀最大の物理学者アインシュタインは「宗教なき科学は不具である」と言っている。湯川秀樹博士も「科学は本来、中立性をもっているわけで、科学自身は本来、善でも悪でもない。(中略)原子力の場合などにハッキリと現われるように、科学は、良いことにも使えれば、悪いことにも使える。(中略)科学者が真理を発見しても、その真理は、人間の都合の良いことだけに利用されるとはかぎらない。悪用されるか、善用されるかは、人間の判断による」と指摘している。

つまり、科学に携わる人間の性格や考えによって、科学は悪にも善にもなる。
だからこそアインシュタインは科学に携わるものに宗教心を求めたのだろうし、言葉を変えれば、吉岡氏が言う、「科学者と呼ばれるにふさわしい人の、その心の根本は「愛」である」ということになると思います。

吉岡氏のブログ(ホームページ)からご紹介いたします。(「水は変わる」科学者群像  2008.02.09 より)

高尚で有能ですがすがしい科学者群像を紹介したあとでは、ばかばかしくて、あまり言う気にもなれないが、天羽氏の周辺でおべんちゃらを言っている者たちは、自分がどういう人間を支持しているのか、その現実を正しく認識すべきである。
(まぁ、同類だから言っても仕方ないか)

彼女は1年半前にキクログ(kikulog)で、K氏の批判に対して次のように言っている。

90   k  September 1, 2006 @01:29:31
天羽氏は残念ながら狭量な学者です。机上でのお話が多すぎる。現実でのできごとは現場で起こっています。裁判官のようなことはやめて自分の研究に没頭したほうが良いでしょう。世間は白から黒、そして灰色といろんなことで構成されています。一面ではその判断はつきません。科学には愛が必要です。いや科学自体がじつは愛から始まっています。そこに根本的に大きな愛が見られない学者は科学をやる資格はありません。

95   天羽優子  September 2, 2006 @02:24:37
科学が愛から始まるだなんて初耳ですね。
私ゃ、科学は好奇心から始まったと思ってたもので。
期待に添えなくて悪いが、私は今後も「愛」などというどうにでも解釈できる「ご都合主義」なものに基づいて科学と関わるつもりはありません。むしろ「野次馬根性万歳」ってのが私の立場ですね。
もっと言うと、「現場でコトが起きている」という「思いこみ」「妄想」を振りまかれちゃ迷惑なんですよ。こっちの商売の邪魔になる。何せ、黙ってると、どう見てもヘンテコな製品に補助金がでちゃったり、そういうテーマ限定で競争的研究資金が配分されかねない。それに、今時のことだから、黙ってたら、被害が発生した後で「ダンマリを決め込んで一体何をやっとったんだこの役立たず」と普通の善良な市民から叱られる立場でもあるのでね。
まあ、科学を騙った時点で、学説の流通競争やら研究費のパイの奪い合いやらに参戦したとみなされたってしょうがないと思ってください。

K氏の指摘と批判は正鵠を得ている。

それに対する天羽氏の反論は、彼女の、科学に対する、人生に対する、他者に対する、心の持ち方を如実に表していて、まことに「おぞましい」と言うしかない。

このような心の持ち主が、やがてどうなるか。

すでに1年半前に、彼女の今日の狂乱は、彼女自身によって予言されていたのである。

私も最近は有名人になったようで、インターネットの世界で私に「悪徳商人」というレッテルを貼って下さっているありがたいお方がおられるようです。一方で私の生き方に共鳴してくださって本にして下さった方もおられます。評価は世間の方々がそれぞれのお考えで下されることであって、自分自身は己の信じる道を歩んでいくだけです。
結果は自ずとついてきます。
友人の娘の成人式に当たって、「電解還元水」の伝道師として正義の道を歩んでいく事を改めてく決意いたした管理人です。