がんと闘う(24)
小橋復帰戦に超満員1万7000人が熱狂=ノア
ノア「Winter Navigation’07」最終戦トピックス
2007年12月03日
鉄人”小橋建太復活!
2日のプロレスリング・ノア「Winter Navigation’07~最終戦~」(日本武道館)で小橋が昨年6.4札幌メディアパークスピカ大会以来、546日ぶりにリングに復帰。昨年7.16武道館で実現するはずだった幻のカード、小橋、高山善廣組VS三沢光晴、秋山準組で「プロレスラー」としての生きざまを見せつけた。
すでにチケットは一般発売翌日に全席完売。チケットショップではプレミア価格で取引され、会場前には当日販売の2F立見席を買うための長蛇の列が出来た。
会場入口には歌手の松山千春さんや脚本家の内館牧子さん、俳優の萩原聖人さん、佐々木健介など多数の関係者から贈られた花が飾られ、試合前には小橋の出身地である京都府福知山市の梶村誠悟副市長や高校時代の柔道部の顧問であった高橋征夫氏が激励に訪れ、小橋と笑顔で語り合った。
![]() 昨年7月実現のはずの幻のカード,小橋、高山組vs三沢、秋山組がついに実現 |
腎臓摘出からの奇跡の復活
小橋は67年3月27日、京都府福知山市出身の40歳。高校在学中からプロレスラーを目指していたが、全日本プロレスに3度も書類審査で落とされ、一度はサラリーマンとなった。
しかし、夢があきらめきれず、87年についに全日本に入門。同期で大相撲出身の田上明と違い、格闘技でのバックボーンがないゼロからのスタートとなったが、人一倍の努力とトレーニングでメキメキと力をつけていった。
90年代は三沢、川田利明、菊地毅とともに「超世代軍」を結成。故ジャンボ鶴田さんやスタン・ハンセンらと激闘を繰り広げた。全日本時代は三冠ヘビー級王座、世界タッグ、アジアタッグを獲得。年末の「世界最強タッグ決定リーグ戦」や春の「チャンピオン・カーニバル」でも優勝を飾った。
00年からはノアに移籍し、リングネームも本名の小橋健太から建太に改名。しかし、以前からの激闘でひざを痛めており、01年1月の後楽園ホール大会を最後に長期欠場へ。5度にわたるひざの手術の末、02年2.27武道館での三沢、小橋組vs.秋山、永田裕志組で1年1ヶ月ぶりの復帰を果たしたが、この試合で左ひざを負傷。同年の7.5後楽園での第1試合で再復帰した。
03年3.1武道館では同年のプロレス大賞ベストバウトを受賞する死闘の末、三沢を破りGHCヘビー級王座を初戴冠。その後、05年3.5武道館で力皇猛に敗れるまで2年以上、13度にわたってベルトを守り続け、「絶対王者」の称号を得た。
昨年6.4札幌では本田多聞とのコンビで森嶋猛、モハメドヨネ組を倒し第12代GHCタッグ王者となったが、その直後に腎腫瘍が発見され、王座を返上した。
![]() 以前よりもシェープされ、日焼けした体で復帰戦に臨んだ小橋 |
昨年6月の健康検診で腎腫瘍が発見された小橋は7月6日に体腔鏡手術で右腎臓を摘出。検査の結果、腫瘍は悪性の腎臓がんであることが判明した。
8月からリハビリを開始し、同年の12月10日の武道館大会に来場すると、ファンの前で「必ずリングに帰ってきます」と力強く宣言。年明けから「年内復帰」を目標に本格的なトレーニングを行い、定期検診の結果と照らし合わせながら、6月にはロープワークを再開した。
一時は血液の数値が悪化したが、食事制限を行いながらさらに練習量を上げていき、10.7後楽園で小橋自身のメッセージとともについに復帰が発表されると、観客は大興奮。小橋は10.27武道館にも来場し、ファンの前で自ら復帰戦のカードを発表。その後で、高山、三沢、秋山とガッチリと握手をかわした。
入院中もたくさんのファンから千羽鶴や激励の手紙を受け、「ファンの応援が力になった」という小橋。武道館全体を包み込むような大「小橋」コールの中、両側に千羽鶴が飾られた花道から、「GRAND SWORD」に乗って小橋が登場。黒のロングガウンに身を包んだ小橋がガウンを脱ぐと、以前よりもシェープされ、よく日焼けした体と、新しい黒のショートタイツがあらわになった。
試合時間27分、容赦なしの壮絶復帰戦
![]() 秋山のアシストを受けた三沢の雪崩式エメラルドフロウジョンが試合のピリオドに |
試合は「復帰戦」というにはあまりにも激しすぎるほど、まったく遠慮のない攻撃が容赦なく小橋の全身に刻み込まれていった。
秋山の挑発に応じて先発を買って出た小橋は、自身の代名詞ともいえる逆水平チョップを真っ先に繰り出すと、三沢に対してもチョップ連打。コンビとしてはこれが初めてとなる高山とのタッグにも違和感なく、合体ショルダータックルなど随所で連係攻撃を繰り出していく。
小橋は三沢のエルボー、秋山のジャンピングニー、顔面ニーなどの厳しい責めに耐えながらも、三沢に袈裟斬(けさぎ)りチョップを連発。さらに、自ら高山にタッチを要求し、秋山をコーナーに詰めてマシンガンチョップを連打。チョップを放つ右手と同時に「バランスを取る」左手の拳も絶え間なく動き続け、秋山の胸板を見る見る真っ赤に染め上げていく。
さらに小橋はスリーパースープレックスを決めると、青春の握り拳からムーンサルトプレスへ。さらに三沢にもハーフネルソンスープレックスを決め、ついに豪腕ラリアットをさく裂。さらに、高山のエベレストジャーマンから、高山がアシストしての豪腕ラリアットでは三沢をカウント3寸前まで追い込みながらも、秋山にカットされてしまう。
ならばと小橋はバーニングハンマーを狙うが、三沢がこれは阻止。最大の勝機を失った小橋は、秋山のエクスプロイダー、三沢のランニングエルボーからのエメラルドフロウジョンをカウント2でクリアしたものの、秋山のアシストを受けた三沢の雪崩式エメラルドフロウジョンに力尽き、3カウントを聞いた。
「これからもプロレスラーとして生き続ける」
試合後、3人と握手をかわした小橋は「花道は勝者が歩くものだから」と通路から引き揚げようとするが、高山たちはロープをあけて小橋を花道へ誘導。「3人の気持ち、ファンの気持ちが花道を歩かせてくれた」という小橋は、3人があけたロープをくぐって花道を歩くと、観客は割れんばかりの「小橋」コールを起こし、小橋も両手をあげてその声に応えた。
試合後、「リングは最高だよ」と感慨深げに語った小橋は、「リングに上がったからには、さらに上を目指して頑張る」と、再びノアのトップ戦線に殴り込みをかけることを予告。「今日復帰したけど、これがゴールではない。これからもプロレスラーとして生き続ける」と、“生涯プロレスラー”を貫くことを誓った。
今後については明日病院で検査を受け、その結果いかんではドクターストップがかかる可能性もあるが、「リングに帰れたことよりも、負けた悔しさの方が大きい。この気持ちがあるうちは、例えドクターストップがかかっても、プロレスラー・小橋建太であり続けます」とキッパリ。21時半、武道館を去った小橋に、試合終了後1時間半以上も待ち続けたファンが再び熱い小橋コールを送った。
=2007年12月03日 スポーツナビ=
【小橋建太、腎臓癌を克服し復帰!】40代、これからです!
日経ネット がん乗り越えリング復帰 プロレスの小橋選手
がんで右の腎臓を摘出という苦難を乗り越えたプロレスリング・ノアの人気レスラー、小橋建太選手(40)が2日、東京・日本武道館で約1年半ぶりにリングに復帰した。タッグマッチでフォール負けしたが、超満員の観衆が大歓声を送った。/小橋選手は「ファンの声援があったから復帰できた。今度は自分が勇気を与える番。誰にでも元気を与えられるレスラーを目指す」と今後の健闘を誓った。
京都府出身で「鉄人」のニックネームを持つ同選手にがんが見つかったのは、昨年6月。翌月の手術は成功したが復帰は絶望視され、医師からも「まず生きること」と言われた。/リングへの思いを捨て切れず、懸命なリハビリや食事制限に取り組み、驚異的な回復力を見せて復活。「これがゴールじゃない」とファイトをアピールした。
スポニチアネックス 小橋生還!不死鳥チョップ217発
![]() 不死鳥チョップ217発 |
超満員1万7000人の「小橋コール」が館内に響き渡った。三沢、秋山にこん身の逆水平、大根斬りチョップを叩き込む。圧巻は15分すぎ。秋山に61発の逆水平を見舞うと「青春の握り拳」を振り上げる。さらに69発、計130発のマシンガンチョップ。真っ赤に染まった秋山の胸こそが、鉄人復活の証だった。/心を鬼にしてエルボーを打ち込んできた三沢には、堂々月面水爆でお返しした。剛腕ラリアットもさく裂。チョップは計217発にも達した。飛び散る汗。魂の雄叫び。何もかもが、全盛期の雄姿と同じだ。最後は三沢の雪崩式エメラルドフロウジョンに屈したものの、その三沢と涙の抱擁をかわした小橋は「オレは生きている。リングは最高!」と絶叫した。(中略)手術後、初めて有明の練習場を訪れたとき、真っ先にリングで大の字になった。「自分の居場所を確かめたくて。ああ、生きているんだなって」。練習を開始しても、1つしかない腎臓がリング復帰への最大の障害となった。ハードな練習で生じる老廃物を処理できず、食生活も制限された。/転機は昨年12月10日の武道館だった。小橋コールで埋め尽くされた会場で「必ずリングに帰ってきます!」と約束した。「ファンの声援が、一番のリハビリだとあらためて感じた」。この宣言のあと、腎臓の検査の数値は少しずつ回復に向かっていった。
「病気をしている間に40代になった。40からが勝負。オレを見てみんなに元気になってもらいたい」。リングを取り囲んだ女性ファンのほとんどが泣いていた。「勇気をありがとう」と書かれた横断幕を横目に花道を戻る際には、足元がふらついて倒れそうになった。それでも奇跡を起こした男は言った。「これがゴールじゃない。これで止まらないし、レスラーとして生き続ける」。人生最大の敵を倒した鉄人が、再び力強く歩き始めた。
【インタビュー】
試合後のインタビューは、一言一言が、重い。死の淵を見て来た人間ならではの魂の言葉だろう。名言をここに記しておこう。
「俺が素晴らしいんじゃない!ファンが素晴らしいんだ!」
▼小橋さんにとってプロレスって何ですか?というインタビュアーの問いに対して、
「それが解らないから、リングに帰って来ました!」▼実況のヤッシー(矢島アナ)もすこぶる良かった!次は名実況のプレビュー↓
俺は死ぬのかな? 夜も眠れない時もありました!!
三沢が小橋をフォールした、その瞬間の実況!!
勝ちました!小橋が腎臓癌に、勝ちましたぁあ~~っ!!!
( ;∀;)ズルイゾヤッシー!
試合後、リングドクターに診てもらった結果は良好とのこと。
スポーツナビ 腎臓がんから復帰の小橋「さらなる飛躍目指す」-一夜明け検査も良好=ノア
誰もが驚いた27分にも及ぶ546日ぶり復帰戦。その激闘の代償、後遺症が心配されたが、やはり小橋は“鉄人”だった。「今日は試合をやった後で、どういう検査結果が出るのか確認のための検査を受けたんですが、数値は良好でした。今の状態を続けていく分には問題ないとのお墨付きをいただきました。数値が良くてホッとしています」/晴れやかな表情で第一声を語った小橋。この数値の良さには主治医である横浜市立大学付属病院の中井川昇医師ですら驚いたという。「プロレスのような過酷な運動をすれば色んな良くないものができてますので、正直言って、今日の数値は悪いだろうなと思っていました。でも、思ったほどというか、ほとんど影響はなかったですね。今までと比べて悪くなっていることはありませんでした。今のペースであれば問題ないですね」/それもこれも、これまでの復帰に向けたトレーニングの賜物であるという。「今までのトレーニングが試合と同じくらいの負担があったんでしょうね」と中井川医師が話せば、小橋も「トレーニングでだいぶ無理していたんで。でも、復帰戦に挑むまでにどれだけ体をならしてきたか、それを証明できたかなと思っています」と胸を張った。