「いじめ」問題

水からの伝言深刻な結果をもたらす「いじめ」が子供の世界にはびこっている。もちろん、昔から「いじめ」はありましたが(実は私もいじめられっ子でした。)、でも最近では幼稚園や低学年の子供でもかなり陰湿で狡猾ないじめが発生しているようです。

学年が上がると、自殺に到るようなケースも後をたちません。

もっとも、「いじめ」は子供の世界だけでなく大人の世界でも広まっているようで上司の「パワハラメント」によって部下が自殺するという事態も起きているようです。

わが母校、都立葛飾商業高等学校は卒業する生徒の就職確定率は非常に高く(途中退学者の数も他の都立高校と比較して極端に低い)、例えば今春卒業した生徒180名中進学も就職もしなかった生徒はわずか8名。他校だと2~3割の進路未定者が出るそうです。
ところが、就職した生徒は就職して2~3年で転職していくケースが多いという。今、学校ではその原因を追跡調査して、就職後の定着率(数)を上げていこうという努力をしている。

実は、その原因のひとつに職場での「いじめ」があるらしい。
私たちが就職した、かつての日本企業は、職場で人材を教育しながら育てていた。新入社員は就職して3年間は「教育期間」と言われたものである。
ところが成果主義が導入されてからは、自己の評価を高めるためには新人なと教育していたらマイナスになってしまう。自己保身を優先させれば、新人は足手まとい、邪魔者。そこに「いじめ」の温床が作られる。

話は今から10年ほど前に溯る。長野市に私どもの取引先の「波動クリエィティブセンター」がある。I.H.M総合研究所「江本 勝」氏の主宰する「波動クリエィティブセンター」の拠点のひとつで金子栄子氏が開いている。
その金子氏が、当時「いじめ」問題について私に話してくれた。

長野県は「日本でも有数な教育県」だそうた。ところが小学校での「いじめ」がひどく、長野市のある小学校では子供を麻袋に詰めて、叩く蹴るの暴行をしてあわや殺してしまうかもしれないということもあったそうだ。
そこで、ある市議会議員が、子供たちの情操教育の教材として、I.H.M総合研究所が発行する「水からの伝言」という本(写真)を自費で購入し学校に配って道徳の授業に使ってもらうよう働きかけた。結果として教育現場に広まっていったようである。

「水からの伝言」は、水の氷結結晶写真集である。音楽や言葉によって美しい「結晶」や「醜い結晶」が作られる。例えば、「ありがとう」という言葉を貼った試験管の水は「美しい結晶」となり、「ばかやろう」という言葉を貼った試験官の水は「醜い結晶」となる。子供たちに、「言葉の大切さ」(範囲を広げて言えば、「思いやりの心」の大切さ)を知ってもらおうというものである。
この教育の成果が「いじめ問題」の解決にどれだけ効果があったのかは私の知るところではない。しかし、あれから10年、「水からの伝言」がますます教育現場で広まっているとみえて、激しい批判が起きている。

批判の急先鋒は、お茶の水女子大学の「水商売ウォッチング」だろう。これでもかと、第三者が見たら嫌になるほど江本 勝氏を攻撃している。
そして、子供たちに「先生の言うことを信じるな」というメッセージを発信している。

理由としては、まず「水の氷結結晶」はできない。写真はインチキ、ということだろう。第二の理由として「物体に過ぎない水が言葉や音楽によって違った反応をするという事は科学的にありえない」というものである。

つまり、水の氷結結晶写真は科学的にありえないものであり、エセ科学、疑似科学である、と断言しているのである。

これに対して「水は変わる」(写真)で吉岡英介氏は次のように述べている。

1
水は変わる
真の科学者で、水の結晶に関心があるものは、江本氏を師と仰いで、その門を叩くべきである。そして一緒に実験観察をすればよい。簡単な話だ。
(そう、簡単な話なのだ。ところが批判者はその簡単なことをしないで自論(空論)を振り回しているだけだ。現場主義という言葉がある。まず現場をみることだ!)
2

江本氏が撮影した「水の氷結結晶写真」が作為的に操作されたものなら問題だが、
・水の入った試験管に「ありがとう」と書いた紙を貼ってできた「結晶の写真」
・水の入った試験管に「ばかやろう」と書いた紙を貼ってできた「結晶の写真」
・水の入った試験管にある音楽を聞かせてできた「結晶の写真」

と、その実験の結果を載せているのであって、出来た結晶は「結果」であって、それ事態はインチキではない。ただし、水か「言葉」を理解するかどうかは別の議論となる。

3自分たちが気に入らないからといって、江本氏の思想そのものを集団的に攻撃することは、日本国憲法が保証する、言論の自由や思想信条の自由に抵触するだろうと私は考える。まして、大学の公式サイトからそのような攻撃を加えることは、さらに不当だろう。

先日、長野の金子氏に電話をした。この問題について、実際の現場ではどうなっているのかを知りたかったからである。批判の影響は教育現場に及んでいた。ある小学校の校長がつるし上げられているという。
「いじめ」は悲惨である。人間の行動は習慣化する。「いじめる」方は「いじめる」ことが止まらなくなる。いじめられている子は悲惨である。この問題解決に有効だと思われるから、教材に「水からの伝言」が使われているのだろう。私が耳にしてから10年だから、教材として適切だと判断されて広がったのだと思う。

批判者たちは、自殺まで追い込まれる子供たちの問題を、子供たちの心をどう考えているのか! 子供たちの命をどう考えているのか!

この本が全くのデタラメだったら批判は許されるかもしれない。
しかし、どうやら「水の氷結結晶写真」の撮影は可能だという。
ひとつの水に対して、50サンプルを観察し、完全な奇麗な結晶の出来る確率は2~3個。後は結晶になりかけの状態やそれ以下の状態ということなにる。もちろん水によっては100%結晶ができない水もある。
サンプルに言葉を貼った場合の結晶の出来る割合も同じような比率かもしれない。
「江本氏は結晶を恣意的に選んでいる」という批判もあるようだが、50サンプルの中から選んでいるのであって、たとえば「ありがとう」の結晶を、他のサンプルから流用して入れ替えて写真集に載せているわけではないのだから、批判はおかしい。

子供たちを救うために行われていることを自分たちが気にくわないからといって「批判」を展開する人たちの「心」はどうなっているのだろう。
子供たちは「先生からデタラメ」を教わっていると混乱し、教育現場に良い影響は残らない。まず、子供たちが救われない。そんな行為をくり返している批判者たちの(しかも、社会的地位があると思われる方々)の人間としての基本はどうなっているのだろう。

当の江本氏はこの問題に対し、どう思っているのか金子氏に聞いてみた。江本氏は「実験いつでもお見せいたしますからお越しください」と彼らに呼びかけているそうですが、誰一人として訪れるものナシだそうだ。それでいて批判だけはすさまじい。(…ニセ科学批判者たちの引きこもりはオタッキーなところで、誰も、江本氏にさえ会おうとしない。社会人として幼稚である。=水は変わる:吉岡英介=)

10年前、「水の氷結結晶写真」のことを知って、私は機械で生成された還元水の結晶写真の撮影を金子氏を通じて写真撮影を申し込んだ。
実は金子氏は「波動」にかかわっていましたが=電解還元水も良いものだからと普及に力を貸してくれていました。ですから「どんな結晶が撮れるか」と期待していたのですが、100%完璧な結晶写真は1枚も撮れませんでした。二人ともショックを受けたのを覚えています。
ところが、後でわかったことですが、撮影用のサンプルの還元水をI.H.M総合研究所に持ち込むことを委託した方が、実際にI.H.M総合研究所に持ち込んだのが、委託したから1ヶ月以上経っていたことがわかりました。そこで「新鮮な還元水」で再チャレンジ。撮れた結晶写真がこれです。

そこで、ホームページに載せたところ、「水商売ウォッチング」で批判の対象として取り上げられました。
私は素人ですから、批判を素直に受け入れて、「科学的にインチキなもの」ということを信じて、ページを削除いたしました。

しかし、どうやら「水の氷結結晶写真」はインチキではない。批判派には技術がなくて「写真が撮れない」だけのことで、批判の根拠は「空論」のようだ。
これまた、かつて「水に水素が溶存するなんて科学の非常識」と公然といわれていた時代があったわけですから、いつか来た道の繰り返しでしかありません。
そうであるならば、あの批判を受けたページの復活です。

最後に、首題の「いじめ」問題について話を戻しますと、実は批判派のバッシングこそ「いじめ」そのものだろうと気がつきました。天下の国立大学が「いじめ社会」の増長推進役をやっている。こども社会のいじめ問題など、彼らにとってはどこ吹く風だったのです。彼らの体内の水は果たしてどんな結晶になるやら…興味ありませんか?