人の体は70%の水と食べ物で作られています。


硫黄島

戦後、アメリカの対日政策の最大の目的は「優秀な日本人を潰す」ことにあった。いろいろな政策の中のひとつに「食糧政策」、すなわち日本古来の食生活を崩壊させることと、日本をアメリカの「食民地化」することがあった。
日本兵の精神的肉体的強さと優秀性は、硫黄島の戦いで証明されている。絶体絶命の中でもアメリカ軍を苦しめた驚異の日本兵。アメリカの戦後の世界支配戦略に「優秀な日本民族を保全すること」は、いつの日かまたアメリカの脅威となる。このことは絶対に許されることではなかった。

農業の近代化の名のもとに、大量に残った弾薬の原料を化学肥料として日本に売りつける政策。日本の古来の農業を崩壊させて自給率を低め、アメリカの化学肥料、農産物の大きな市場として利用すること。日本古来の食生活を崩壊させ民族の弱体化を計ることなどが計画され実行された。
例えば塩ひとつとっても、塩は私たちの祖先は体にとって大切なものとして醤(ひしお)と言ったが、戦後、専売制にして塩作りを禁止した。私たちは醤ではなく塩のミネラルを取り除いた塩化ナトリウムを採らされ続けてきた。

日本人には日本古来からの食文化があった。日本古来の食文化が崩壊した結果、今の子供たちは「病気」を食べさせられている。写真でご紹介している小冊子「子どもは病気を食べている」の前書きをご紹介する。(念のため申し添えれば、「病気」を食べているのは我々大人も同じである)

私が医者になった1955(昭和30)年の日本の年間医療費は2,388億円でした。50年経った現在の医療費は31兆5,000億円。何と130倍にもなっています。
また65歳以上の高齢男性がそれ以下の男性の葬儀を出すようになりました。(女性も後を後を追うようになると思われます)つまり、順番に死ねなくなったのです(逆さ仏)

生涯平均出産率(一人の女性が一生の間に産む子供の数)が1.29と、かつては考えられなかったほど低下しました(昭和20年代4.32、大正時代5.15)。
こうした異常事態を生じた原因の一つに終戦(昭和20年)以降の食文化の変化があります。
弥生時代以降3千年間、ほとんど変わらなかった和食(ご飯、野菜、海草、小魚など)を食べ続けてきた日本人が、終戦後たった60年間で日本人の体に合わない欧米食(パン、パスタ、肉類、牛乳、乳製品など)を摂るようになってしまったからです。
食事の摂り方も全く変わりました。終戦前には、ほとんどの家庭で家族そろって食卓を囲むのが常でした。今や核家族化・個室化の普及とともに、家族バラバラの食事、家族が揃っても、それぞれが別の種類の食べ物を食べている個食・孤食がごく一般になりました。

こうした現状を元に戻すのは容易ではないでしょう。しかし、人間関係が稀薄になってしまった現状に歯止めをかけて、家族のつながりをとりもどしていただきたいのです。
それがまた、さまざまな病気、特に心のかたよりから生み出される異常行動や犯罪を防止するよすがになるに違いありません。困難は伴いますが、かつての日本の良さを復活し、家庭の団欒を取り戻していただきたいものと願っております。

医学博士:真弓定夫



有機農業の取り組み

子供たちは「食」を選べない。大人、とくに母親から与えられたものを食べている。その食や水によって子供たちの体や心、そして健康が作られていく。子供たちだけではなく家族全員のを支え、社会を支えているのが、女性であることは明らかである。

母親によって育てられた子供たちが、やがて大人になって社会を作っていくのですから…。
戦後60年、アメリカの押しつけ政策からの脱皮が起きつつある。その一つとして、今、民間の草の根運動的に、日本式農業が復活している。その代表的な存在が「米沢郷牧場」である。日本の農政が曲がり角を迎え、農業従事者の80%が65歳以上、しかも後継者不在という現実の中で(あと10年で日本の農業は自然消滅する)、若い人たちが参加して、確実に発展している。しかも、安全で安心でそして美味しい農作物の供給が始まっている。

家庭でも、家族の健康を守ることから電解還元水を利用するご家庭が増えている。還元水を飲むことによって健康を守るということの他に、食材に使用することにより、スーパーで買った食の安全性を高めることも可能であると考えます。



今の世の中は商業主義に流されて、国民の健康よりも国家企業の利益が優先され、子供たちの健全性や健康が損なわれて行く。子供たち(家族の健康を含めて)の健全で健康を作るのも女性の力次第ということです。