がんと闘う(10)
がんと闘う番外編=Macyobiotique 2005.4.23より
ある方から一枚のコピーをいただいた。船瀬俊介氏が「Macyobiotique」に書かれた記事のコピーである。がん治療に対する現代医学の実態が過激な言葉で綴られている。言葉は過激だが、すでに私たちが、どこかで聞いていることである。
「がん」が告知され「余命○○」と宣言され、悲しみの奈落の底に叩き落とされる患者とその家族。「がん」=「死」。まず助からないというのが一般的な印象、だから皆「
がん」を恐れる。がん患者に対する病院の治療とは一体何なのだろう。医師は「死ぬ日が決まっている患者を、予定通り、死に至らしめる。一体がん治療って何んなのだ?
いただいたコピーは文章が途中までしかないがご紹介しよう。何かの考えの足しになると思うから…。
がんにならないゾ宣言 がん患者の7~8割はがん治療で”殺されている” -毎年22万~25万人…”白い巨塔”で”虐殺”の戦慄- 消費者・環境問題評論家 船瀬俊介 |
告発書「抗がん剤で”殺される”・」毎年、日本では31万人ががんで亡くなっている。ところが何人もの専門医が「…実は、がん患者の7~8割は、がんで死んでいるのではない」と声を潜める。「…患者は抗がん剤や放射線治療、手術で”殺されている”んです…。」というのだ。
つまり毎年、22万人~25万人もり人々ががん治療の名のもとに”白い巨塔”で”虐殺”されている…というのだ。
最近「抗がん剤で”殺される”・」(花伝社刊)という本を書き上げた。その取材の過程で、何人もの良心的な医師たちがこの戦慄の事実を認めたのだ。(以下、概説する)。
がんの3大治療とは・抗がん剤、・放射線治療、・手術である。
これらが患者を救うのではなく、殺戮、虐殺に使われている。まさに第二次世界大戦中のアゥシュビッツ、旧日本軍の731部隊の狂気に匹敵する惨劇が、いまも平然と静かに、あの白いガン病棟の中で進行しているのだ。それも医師や看護婦たちの”善意”と”熱意”によって…。
厚労省も「抗がん剤でがんを治せない」
驚いたことに、監督官庁の厚労省が、その事実をほぼ認めたことだ。
「抗がん剤でがんを治せない…。それは周知の事実です」
厚労省、K専門技官の言葉にわが耳を疑った。
私は、彼に重ねてたずねた。
「抗がん剤は猛烈な発がん物質でしょう?」
「そうです…」
さらに問いつめる。
「抗がん剤を打ったら、体の他の場所に新たに発がんするでしょう?」
「それも周知の事実です…」とK専門技官は淡々と答える。
以下、やりとりを要約する。
船 瀬「抗がん剤を投与してもがん細胞は、耐性を持ちますよね?農薬散布しても昆虫が耐性を持つように」
厚労省「がん細胞か耐性を持つのも周知の事実です」
船 瀬「1985年、アメリカ国立がん研究所(NCI)のデビュタ所長が、この反抗がん剤遺伝子(アンチ・ドラッグ・ジーン:AGC)の存在にふれ「抗がん剤による化学療法は無力だった」議会で証言しました…ね」
厚労省「その通りです。ですから抗がん剤の種類を変えていく…」
船 瀬「でも抗がん剤そのものが”毒”でしょう? ”細胞毒”として明記している。免疫細胞を殺し、がんへの抵抗力、免疫力を殺ぐ…」
厚労省「そうです」
船 瀬「投与して”4週間”で腫瘍が、わずかでも縮んだら”有効”の判定もおかしい。それも10人に一人…。残りの9人は変化なし。さらにADGで半年、1年半後にはがん細胞はリバウンドして大きくなる…」
厚労省「ですから、現在のがん治療には問題も多い。見直しをしているところです」
読者は、厚労省がアッサリ抗がん剤の無力さを認めていることに愕然とするだろう。医者の間にも、これら”虐殺”に耐えきれず、内部告発と氾濫の動きが澎湃と起こっている。
抗がん剤、放射線、手術に頼らない
「抗がん剤、放射線治療、手術は受けてはいけない!」「がん検診はかえって危険!」
一般のがん専門医が、驚愕するような本が出版された。「がんで死ぬ人、がんが治る人…の違いを医学教授が解明したのである。
タイトネは「がんは自分で治せる」(マキノ出版)。著者は「薬をやめると病気は治る」などの勇気ある著作で、医学会に衝撃を与え続けている新潟大学医学部安保徹教授。
彼は明言する。
「これからは、がんを減らすことができる」
「がんが起こるしくみさえ理解すれば、だれもが自分でこの病気を治せるようになる」
実に心強い宣言ではないか。「”自分で治せる”とは、従来行われてきた抗がん剤治療や放射線治療、手術などに頼らず、私たちの体に備わっている自然治癒力を高めてがんを自然退縮させる」という。
3大療法が、がん治療をはばむ
安保教授は、これら「がんの3大療法」が、がん治療をはばむ-とまで言い切る。これでは医学会どころが、全国のがん専門医、病院、製薬メーカー、さらに厚生官僚から利権につるんだ厚生族の政治屋センセイたちまで、すべてを敵に回してしまう。
抗がん剤、放射線、手術…は、がん治療の”3大利権”である。国民医療費は年間31兆円。うちがん治療に割かれる(流れ込む)医療費の膨大さは、想像するだけでもめまいがする。
例えば肺がん患者一人、平均650万円の医療費が注ぎ込まれる、という。まさにがん治療の現場は、膨大なカネが吸い込まれていく底無し沼だ。
安保教授は断言する。
「医学の進歩にと伴い『がんの3大療法』と呼ばれることからこれらの治療法は、その目的を達成しつつあるような印象を私たちに与えます。しかし、残念ながらこれらの治療法こそが、リンパ球(体を病気から守る血液中の成分)を破壊し、生命体に消耗をもたらしてがんの治療をはばむ最大の原因になっています」(前著)
それを立証したのが、「福田-安保理論」である。
船瀬俊介公式ホームページ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
朝日新聞9/11夕刊に森 千夏さんの追悼記事が載っていたので、再びとりあげる。
女子砲丸投げ日本記録保持者・森 千夏さん。
「4年後のオリンピック(北京)で必ず入賞すること!! また4年後のオリンピックで必ず金メダルをとること!! 辛いことやかなしいことがあっても妥協せず必ず、達成するまで陸上を続ける」
2年前の8月18日。アテネ五輪で予選落ちに終わったその日、自分のナンバーカードの裏に8年後の目標まで書き込んでいた。鉛筆で丁寧に力強く。しかし、その時すでに体は病にむしばまれていた。大会前から微熱が続いていた。
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8月9日 死去(虫垂がん) 26歳 8月12日葬儀 |
最初の診断は膀胱炎だった。昨年7月にようやく虫垂がんだと分かった。余命1年ほど。このころ、母校・東京高校の恩師、小林隆雄教諭には強気にこう話ている。
「先生、あと1年って言われたんですけど、そんなに簡単に死ねません。私はまだ元気ですし、北京五輪はあきらめても、次に向けて頑張ります」
中学で砲丸投げと出会った。高校3年の四国大会で優勝した。ハンマー投げの室伏広治選手の父重信さん(中京大教授)から「ハンマーで五輪を目ざそう」と誘われたこともあったが、砲丸投げにこだわった。
国士館大2年だった00年、16メートル43の日本新記録を樹立。以後7度にわたって日本記録を更新する。スズキに所属した04年には日本女子選手として初めて18メートルを超える18メートル22をマークした。何度も中国・上海に渡り、技術を学んだ。
「いつもニコニコ。どんな練習でもニコニコ」。あるコーチが言った。
そんな笑顔を取り戻してもらおうと、陸上関係者を中心に治療費支援の輪が広まった。
スイカ、たこ焼き、肉まん。小林教諭は見舞いに行くたびにお土産をせがまれた。ただ、辛いものが苦手だった。合宿でカレーが出たとき、「これ入れていいですか」とチョコレートを取り出した。
6月ころ、病室でノートに「最初にやるのはストレッチ、WALK、軽く階段登り」と書き込んだ。重さ4キロの鉄球を、再び青空へ突き出す日が来ると信じていた。(堀川貴弘)