がんと闘う(6)
王監督 手術 きょう緊急入院 森脇コーチが代行
王監督が緊急入院、長期離脱へ―。福岡ソフトバンクの王貞治監督(66)が胃の腫瘍(しゅよう)摘出手術を受けるため、6日から東京都内の病院に緊急入院することが5日分かった。精密検査を行った後、来週中にも手術を行う予定。長期のチーム離脱を余儀なくされるのは必至で、来季の去就についても影響を及ぼしかねない状況となった。今後は森脇浩司チーフコーチ(45)が監督代行としてチームの指揮を執る。
パ・リーグ首位争いを演じるホークス、そして球界を予期せぬ衝撃が襲った。チームの象徴であり、求心力である王監督の長期離脱。3年ぶりのV奪回を目指すシーズン途中にして、球団副社長、ゼネラルマネジャー(GM)との“1人三役”を担う絶対的な指揮官を失うことになった。
王監督によると、胃の腫瘍が発覚したのは数日前。「最近、胃がムカムカしていた」と自覚症状があったため病院で検査したところ、異常が明らかになったという。「オレは痛いのが嫌いだし、切らずに治そうと思ったんだが…」。当初はチームに影響が少ない治療法も検討したが断念。医師から「できるだけ早く手術した方がいい」と促され、断腸の思いで現場を離れての入院、手術を決断した。
5日のナイター、西武戦の指揮を執った王監督は試合後、自ら選手、スタッフらにチームを離脱するに至った状況を説明した。6日に福岡から東京入りし、都内の病院に入院。精密検査を受け治療方針を再確認した後、来週にも摘出手術を行う予定だという。
もともと病気知らずの健康体だが、故・恭子夫人を2001年12月に胃がんで亡くし、04年3月に盟友の長嶋茂雄・元巨人監督が病に倒れて以降、自身の健康管理に気を配ってきた。ここ数年はオープン戦期間中の禁酒が慣例事項。一昨年からはガン早期発見のための「PET検査」も数度受けている。
「昨年12月の検査でも何にもなかった。だから安心していたんだけどね」と話した王監督。今年3月にはワールド・ベースボール・クラシック(WBC)日本代表監督として強行日程の激戦を指揮した。プレッシャーをはねのけて見事に世界一を勝ち取ったが、その後、シーズンに入りホークスの指揮を執るうちに病魔が忍び寄っていた。
松中ら一部の主力選手、コーチ陣にはこの日の試合前、関係者を通じて王監督の離脱が伝えられていた。「手術をしたら、最低でも1カ月はチームを離れることになるだろう。今後は森脇を中心に合議制でやってもらう」とした王監督。WBC期間中の不在時と同じく、森脇チーフコーチが監督代行を務め、各コーチが補助する形で現場復帰までを戦う。
ホークス監督就任から12年目、巨人時代を含めても初の長期離脱。王監督は「チームが(今季)戦っている間に帰ってくる」と今季中に復帰する意向だが、チームに及ぼす影響は少なくないだろう。現状では来季の去就を含めたチーム体制も流動的と言わざるを得ず、孫正義オーナーをはじめ球団の対応が注目されそうだ。
=2006/07/06付 西日本スポーツ=
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王監督一問一答 「好きな野球から離れるの悔しい」(王監督から報告)
「月曜日(3日)ですかね。その1週間前にちょっと胃の具合が悪かったので病院で(胃の)組織を取って検査してもらったところ、手術しないといけない腫瘍(しゅよう)があると診断されました。あす(6日)東京に行って、入院し、再検査をした上で、自分の感触ですが、来週にも手術をすると思います。そのため、チームを離れるのでご報告します。シーズン途中でチームを離れるのは大変、残念に思います。何よりも一番好きな野球から離れるのは悔しいし、残念な思いです。ファンのみなさんにも申し訳ない気持ちです。その分、コーチや選手が頑張ってくれると思う。自分はいつ帰ってこれるか分からないので、不本意ですが、こういうコメントしか今はできません」
―選手にはどう伝えたのか。
「ここまでいい状態になってきた。監督がいるいないじゃなく、自分のやるべきことをしっかりやってくれと伝えた。テレビで見ていると伝えました。若い力が出てきて、まあミスもありますが、チームにとっていい風が吹き始めている。やるべきことをやってほしい」
―今後の体制は。
「WBCで不在のとき、森脇コーチをチーフコーチとしてみんなで相談してやってくれた。その形を継承してやってくれと話をした」
―症状については。
「先月10日くらいから胃のあたりがもたれるといいますか、胸焼けがしました。それは初めてじゃないから気にしていなかったが、なかなかそれがとれなかったので検査しました。そのときは、こんなに大事になるとは思ってもみなかった。今は早く検査してよかったと思う」
―孫オーナーの反応はどうだったのか。
「予想しなかったことで驚いていると…。1日も早く手術を受けるのがいいし、最善を尽くしてほしい。1日も早く帰ってきてほしいとのことでした」
=2006/07/06付 西日本スポーツ=