がんと闘う(3)

世界的巨匠・今村昌平監督死去 
yahooニュース[ 5月31日9時19分 更新 ]

 人間の業や欲望を重厚なタッチで描き、「楢山節考」と「うなぎ」でカンヌ国際映画祭のパルムドール(最高賞)に2度輝いた映画監督の今村昌平さんが30日午後3時49分、転移性肝腫瘍のため都内の病院で死去した。79歳。長年、糖尿病を患っていたが昨年6月、大腸がんが見つかり、家族からがん告知された後、手術を受けたが、3カ月後には肝臓への転移が見つかり、以来、抗がん剤治療など入退院を繰り返していた。
 世界的巨匠は、入院先の都内の病院で眠るように息を引き取った。最期をみとった最愛の妻・昭子さんは、映画への情熱を最後まで失うことのなかった夫の耳元でそっと「お疲れさまでした」と声をかけた。
 長男で映画監督の天願大介さん(46)によれば、4月11日に風邪をこじらせ、再入院。食事を取れず衰弱し、約1週間前からは家族の呼び掛けにも「ああ」と反応する程度でほとんど意識がなかったという。


完成披露試写会「赤い橋の下のぬるい水」
2001.10.16

 それでも最後まで映画製作への闘志と映画界の未来を思う魂を失わなかった。入院後もリハビリを欠かさず、次回作「新宿桜幻想」を2度クランクインさせる執念をみせたが、願いかなわず、01年の「赤い橋の下のぬるい水」が遺作となった。
 58年の監督デビュー以来、人間の根源的な生や性に真っ向から挑む重厚な作品で、既成概念と闘い続けた。日本はもとより海外で高い評価を受け、日本人で唯一、パルムドールを2度獲得。世界でもフランシス・フォード・コッポラ監督ら4人しかいない“世界の巨匠”となった。
 父と同じ道を歩む大介さんは、今村監督から教わったことを問われると、「映画はもうからないということ。それは親父を見ていたら分かること。賞を取ればもうかるということではない」と唇をかみしめながら振り返った。
 一方、今村作品から巣立った“弟子たち”も悲しみにくれた。「楢山節考」の主演、緒形拳(68)は「私にとって監督といえば今村監督。“ヨーイスタート”という声に張りと色気があってかっこよかった」と惜しみ、「うなぎ」に主演した役所広司(50)は「日本映画の宝物。海外の記者に対しての堂々とした受け答えが頼もしかった。監督の現場を経験できたのは大きな財産だった」と悼んでいた。


1997年5月20日、カンヌ映画祭でグランプリの栄冠に輝いた
(左から)奥山和由氏、今村昌平監督、役所広司、清水美砂

今村昌平:死去に教え子たちにも衝撃

 映画監督の今村昌平氏が30日午後3時49分、転移性肝腫瘍(しゅよう)のため東京都内の病院で死去。今村監督の撮影現場やカンヌ国際映画祭を体験し、巣立っていった“教え子”たちも、突然の悲報に衝撃を受けた。「うなぎ」に主演し、カンヌでは代理でパルムドールを受け取った役所広司(50)は「独創的で力強い今村映画を見られないのは寂しい限り」としんみり。「楢山節考」など3作品に主演の緒形拳(68)も「私にとって監督といえば今村監督」と悼んだ。

 役所は4月下旬、出演した米映画「バベル」が今年のカンヌのコンペに選ばれた報告を兼ねて今村監督を見舞っていた。今月20日にカンヌ入りし「今回も“今村監督の映画はないのか?”という質問をたくさん受け、根強いファンが多いことを実感した」。その上で「監督の海外の記者に対しての受け答えは、そばにいて頼もしかった」と振り返る。帰国直後に接した悲報に「今村監督の現場を経験できたことは俳優としての大きな財産。たくさんのことを学びました。残念です。監督は日本映画の宝物です」と哀悼の意を表した。

 同じく「うなぎ」でヒロインを務めた清水美砂(35)は「赤い橋の下のぬるい水」撮影時に長女・仁那ちゃん(5)を妊娠中だった。今月13日に見舞った際に、成長した愛娘の写真を見せたところ「にっこり笑って、うなずいてくださいました。その時のお顔と、“よーい、スタート”の声が心の中に響いて、今、悲しくて仕方ありません」。そして「天国でゆっくり、大好きな“うなぎ”でお酒飲んでね。心の中でおしゃくさせてください」と悲しみに暮れた。

 「復讐するは我にあり」で初めて起用され、「楢山節考」「女衒 ZEGEN」と立て続けに主演した緒形も、4月27日に見舞ったばかり。「いつもにぎやかな現場で、しかしビシーッとしていて、ああ男の仕事場だと思っていると、作品は見事にたくましい女のはなしでした。“よーい、スタート”の声にハリがあって、色気があって格好よかった」。同じく「楢山節考」に出演の坂本スミ子(69)は「今村さんは、おりん役の私を見初めてくれたようなところがありました。とても優しい監督でした」と思い出を語った。

スポーツニッポン 2006年5月31日

役所「もっと観たかった」…今村昌平監督死去

 最高賞の受賞作「うなぎ」に主演した役所広司(50)は「今村監督の現場を経験できたことは俳優として大きな財産です。たくさんのことを学びました。もっともっと今村さんの映画を観たかった。監督は日本映画の宝物です」と文書でコメントを発表した。

 この日、新作のロケ先で悲報を耳にした。今年のカンヌで監督賞を受賞した米映画「バベル」に出演した役所は先月、病室の今村監督を見舞った。「行ってきます」とカンヌ行きを報告。「今回のカンヌでも今村監督の映画はないのか? という質問を(海外のプレスから)たくさん受けました。監督の海外の記者に対しての堂々とした受け答えは、頼もしかったです」役所は通夜か告別式には駆けつけ、監督に最後の別れを告げるという。 
[ 5月31日8時0分 更新 ]

今村昌平監督の通夜に“教え子”約650人が参列

 「楢山節考」「うなぎ」でカンヌ国際映画祭パルムドール(最高賞)に2度輝いた世界的監督で、先月30日に転移性肝腫瘍(しゅよう)のため死去した今村昌平(いまむら・しょうへい)さん(享年79)の通夜が5日、東京・渋谷区の代々幡斎場で営まれた。

 弔問には「楢山節考」など3作品に主演した緒形拳(68)、「うなぎ」に主演し、カンヌでは代理でパルムドールを受け取った、役所広司(50)ら“教え子”や映画関係者ら約650人が参列。焼香を終えた緒形は「自分の中で監督といえば今村さん。撮影が何時までも終わらない監督だったけど今思えば楽しんでいたのかな」としんみり。小学校からの盟友で、葬儀委員長を務め弔辞を読んだ俳優、北村和夫(79)は、「今生きていたら、『新宿桜幻想』をやりたかったろう」と戦友の死に唇をかみしめた。

 長男で映画監督の天願大介さん(46)は「親父の背中を見ていたらこの仕事をやろうとは思わなかった。親父から離れようと思っていたのにこの仕事に…」と言葉を詰まらせ、幻の遺作となった「新宿桜幻想」の製作について「非常に大掛かりな映画なのでしばらく台本を見てみて」と映画化の可能性を示唆した。

 白とピンクの菊の花で彩られた祭壇で白い歯を見せる今村監督の遺影は、家族で選んだ「楢山節考」の撮影現場で写真家の石黒健治さんが撮影した写真。献花台をはさんで左に「楢山節考」、右に「うなぎ」で受賞したパルムドールのトロフィーが飾られ、棺の中には「新宿桜幻想」の台本、大好きだった東北の地図、タバコ、スーツが納められた。

 葬儀・告別式は6日午前10時から同所で。喪主は妻の昭子(あきこ)さん。

 
〔写真:祭壇でほほえむ在りし日の今村昌平監督。
大好きな映画を楽しそうに撮るこんな笑顔はもう見られない〕

(サンケイスポーツ 06月06日 08時00分