病院の怪
当社が「取り付け」を依頼しているN氏の体験である。
それは、3年前のことである。
毎年定期検診を受けている医院で「『血便』が出ているので病院で検査を受けたほうがよい」といわれたそうだ。
「先生、私は痔があるので、そのせいですよ」と言うと「検査の結果『痔』だったらそれでいいではないですか。調べてハッキリさせたほうがいいですよ」と先生。
紹介された病院で検査すると、即座に「大腸ガンです」。
N氏は、頭がまっ白になったといいます。「本人に直接、検査してその場で『ガン』を告知する医師なんているのかな。もう落ち込んでどうしていいのか分からなかった」。
大腸にポリープがあって、それがガンだという。即、入院して手術。
1ヶ月後に退院。翌日仕事に出た。腹痛が始まって我慢してたが退院3日後に「再入院」。N氏は退院してすぐに仕事をしてしまったのが悪かったのかもしれないと、最初は医師に負い目を感じていたそうですが、どうもおかしい。
医師の診断は「腸閉塞」ということで処置が続いたが、お腹が膨らんでくる、腹の肌の色が黒くなってくる。苦しい。
「どうなってんてだぁ!」と看護婦に怒鳴り込んだら、医師があわててやってきて、「腸が破裂した。手術して人工肛門をつけることになる」という。
そして、開腹手術。そのころは、N氏苦しくて意識朦朧状態だったといいます。本人もご家族も「病院に殺される」と思いはじめたそうです。
手術の時も朧気ながら、腹部が目に入っていて、開腹したところから何かがもくもくと噴き出る様子が見えたそうです。化膿した膿のようなものがたくさん出たそうです。
それから人工肛門をつけて、化膿した腸内(腹部の中)を洗浄するために管をいれて「洗浄水」を流し入れて、そして一方の管から汚水を流し出すという状態が3ヶ月続いたそうです。最初は膿が混じった汚水が出ていたそうですが、3ヶ月になるころには、洗浄水は入っていくのに汚水の排水がなくなった。医師に聞いても「大丈夫です」というだけ。
しつっこく聞くと「胃も腸も水中に浮いたように存在しているので、水が出てこなくても大丈夫です」という信じられないような説明。
Nさんは、すでに病院に対して不信感をもっていました。手術のミスでお腹の中が化膿して腹が膨らんだ。病院はミスを隠すために「腸閉塞」だとか「腸が破裂した」、そして人工肛門をつけるという説明をせざるを得なかった、と考えました。
話のつじつまを合わせるために人工肛門をつける手術をおこなっただけで、本当は、そんな手術は必要なかったのだ。ミスを隠すためのインチキ手術だったのだ!…と。
そもそも、最初の「大腸ガン」という診断も「嘘」で病院の金儲けのために、不要な手術をしたのだろう。「ガン」でないから、告知の仕方もいいかげんだったんだ。
このままでは「殺される」という恐怖心がずーっと続いていたが、ついに堪忍袋の緒が切れたNさんは「病院を出るから他の病院を紹介しろ」と渋る医師に迫って、紹介状を書かせて病院を移ったとそうです。
「医療ミスだと訴えてもいいけど、そこまではやらないが、入院費は支払わない」といって病院を出たそうです。50万円の請求書が送られてきたそうですが、もちろんビタ一文、今日にいたるまで支払ってないそうですが、病院から一度の督促もないそうです。
紹介先の病院で人工肛門を外す手術を受けたそうですが、もちろん、そこの病院では、前の病院の処置については「ノーコメント」。「あいつら同業だがらつるんでいるのさ」とN氏。そして、「病院でおとなしくしてたら『殺される』。自分の場合は、何回もどなり込んで騒いだから、最後には真剣になって対応したが、静かにしてたら死んでいた。おとなしい人はヤバいですよ」とN氏。
「入院費の督促ができないこと事態、病院に後ろめたさがある」とN氏。
その後の検査で、ガンの転移や再発は見つかっていないそうです。もっとも、何度も書きますが、そもそも最初から作為的な「ガン」という診断。「ガン」でなかったのだろうと今でも疑っているN氏です。
「今は、いい水を飲んでいるのですから、その水を、毎日たくさん飲んでください」と私はいいました。
![]() 手術イメージ |
![]() 人事ではない医療ミス。 写真は03年・慈恵医大青戸病院。会見で謝罪する病院関係者 |
![]() 病院風景イメージ写真 |
N氏の話から、かいつまんで書かさせていただきましたが、本当にN氏は死にかけたそうです。
その時は、生まれてから今日までのことが、走馬灯のように現れたそうです。「坂妻の映画を見ている自分」や、あれ、こんなことあったかなあ?と思う情景などが…。
死ぬ前に人は、自分の一生をもう一度映像として見るそうですが、初めて、そういう体験を実際に聞かさせていただきました。
ある、高名な方のお話しです。いろいろな問題が起こるのは「制度問題がある」と言われます。
友人のお医者様が言われるそうです。「病院にも経営がある」と。「収入のためには切らなくていいものも切る」ということです。
例えば「盲腸炎」。腹痛で白血球の数値が上がっていれば「盲腸炎」と言って切る。一人切って100万円の収入になるのだったら、一ヶ月に3,4人切れば400万円の収入になる。
白血球は免疫力である。頭痛でも数値は上がる。腹痛=盲腸炎は短絡的な判断であるが、その方が病院にとってはメリットがある。盲腸は体にとって重要な存在でないからあってもなくてもいい。だから医師も切りやすい。結果盲腸炎でなくても患者にはわからない。でも念には念を入れるマニアルがあるそうだ。「良かったですよ。もう少し遅かったら腹膜炎になるところでした」。「先生!ありがとうございまた」。
N氏の場合も病院の収益を考えたら「大腸ガン」の診たてのほうが経営的には良いに決まっている。医療制度がそうなっているのだから。ただ、病院がミスったのは、手術ミスをしたから、ボロが出てしまった。ボロがなければN氏は「大腸ガン」だったことを少しも疑わず,病院や医師に感謝していたかもそれない。まあ、悪事はバレるという見本だったのかもしれませんが、病院のお粗末さだけがクローズアップされる出来事であったと私は思います。
近藤誠医師の「検査が病人をつくる」という書も、病院の経営を考えたら常に患者の予備軍を作っておかなければならないことを言っているのかもしれない。医師の数が増えれば増えるほど新しい病名と患者の数が増えているのが現実である。それで経済が回っているのかもしれない。雇用も増えて社会性があるのかもしれない。
「まあ、そんなことあるかも知れないけれど、それは、運がわるかっただけで、そんな病院は希だよ」と思う方が多いとおもいますが、病院でご家族や親族を亡くされた方の中には、医療ミスを疑っている方々も多いかもしれません。
私の父の場合もそうでした。そして、実は、昨年12月に妹が56歳で、入院先の病院で突然死しました。命にかかわる病ではなかったのに…です。
医師の説明は「しどろもどろ」で臨終に立ち会った医師は、私たちが督促するまで、妹の死亡を確認しませんでした。茫然として、私たちかが「もう、死んでるのではないですか?」と言うとあわてて状態を診て、「O時O分、亡くなられました」と言いましたが、正確にはとっくに死亡していたのです。
医師が自分の処置に自信がなくて、うろたえている様子がありありでした。義弟は「医療ミスで訴える」と興奮していましたが、それを証明することは、私たち素人では無理です。しかし、明らかにおかしい。N氏はいいます。人間がやることだからミスはあるだろう。だけどN氏の場合は発端が作為的、その後の処置はいいかげん、大騒ぎしてさわいだら、ようやく医師が真剣になったが、嘘で固めた処置で必要がなかった人工肛門までつけさせられた。
書いている、管理人が興奮してきましたが、出来ることなら医者や薬のお世話にならないほうが宜しいようです。
ふだんから健康に気をつけて「予防」に心がけることが長生きの秘訣かもしれません。健康を守るのも自己責任の時代です。