最後まで前向きに闘病
元NHKアナ、絵門ゆう子さん死去…転移性乳がん

(夕刊フジ 04月06日)

 がんを患っていたことを公表していた元NHKアナウンサーで、エッセイストや女優としても活躍していた絵門ゆう子(えもん・ゆうこ、本名・三門裕子=みかど・ゆうこ)さんが3日に転移性乳がんで亡くなっていたことが6日、分かった。49歳だった。

 絵門さんは津田塾大学芸学部を卒業し昭和54年、アナウンサーとしてNHKに入局。「池田裕子」として、ニュース番組や情報番組などを担当し、61年にフリーに。キャスターとして活躍する一方で、「桐生ゆう子」の名で女優としても活躍した。

 平成12年10月、乳がんの告知を受けたのちは、「絵門ゆう子」を新しいペンネームとして活動。自らの闘病経験などを元に、執筆や講演活動をはじめるとともに、厚生労働省認可の「産業カウンセラー」の資格を取得し、がん患者とその家族を対象にしたカウンセリングも行ってきた。

 15年に「がんと一緒にゆっくりと」(新潮社)を、昨年には続編「がんでも私は不思議に元気」を出版するなど、がん患者の立場から医療、患者環境の問題をテーマにした活動を展開。5匹の兄妹ウサギを主人公にした絵本「うさぎのユック」(金の星社)も同年に執筆し、演奏家らと朗読コンサートを全国各地で開いていた。

 同年11月からは朝日新聞で、コラム「がんとゆっくり日記」を毎週連載。最終回となった3月30日付の紙面では「今回からは報告として、今の状態に至るまでをストレートに書いてみようと思う」として、がん告知からの治療の経緯、闘病生活をしながらの講演活動をする日々を振り返り、文末には「経緯報告は、次回も続きます」とつづられていた。

 絵門さんを知る関係者は「自らの長所を『あきらめない・前向き』と話すなど、最期までがんばって生きようとしていた。彼女らしい生き方だったと思います」と話した。

 葬儀は7日午前10時半から、東京都中央区明石町10の1、聖路加国際病院礼拝堂で。喪主は夫、健一郎(けんいちろう)さん。

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闘病生活公表 絵門ゆう子さん力尽く
[ 2006年4月7日/スポニチ・アネクス ]

 エッセイストの絵門ゆう子(えもん・ゆうこ、本名三門裕子=みかど・ゆうこ)さんが3日午後10時43分に転移性乳がんのため東京・中央区の聖路加国際病院で死去していたことが6日、分かった。49歳。東京都出身。旧姓の池田裕子時代はNHKアナウンサーとしてお茶の間に親しまれた。00年にがん告知を受けたことを公表し、闘病生活を続けていた。

 関係者によると、絵門さんは3日夜、自宅でマッサージを受けている際に「息が苦しい」と訴え、救急車で搬送された。最期は夫の健一郎さん(44)にみとられて静かに息を引き取った。

 昨年末に風邪をこじらせて体調が悪化した際には、自宅での療養を選んだ。「病院には入らずに、なるべく家で過ごしたい」と強く希望した。

 00年に乳がんを公表した時には、すでに首の骨、肝臓、脊髄(せきずい)などに転移。それでも執筆や講演と活動の場を広げ、前向きに生き続ける姿をみせてきた。

 先週まで朝日新聞の東京版にコラム「がんとゆっくり日記」を連載。亡くなったことが公になった6日も講演の予定が入っていた。7月にはがんを公表した時の著書「がんと一緒にゆっくりと」(新潮社)の文庫化が予定されており、楽しみにしていたという。最近の口ぐせは「生きていなきゃしょうがない」。講演などで知り合ったがん患者らとの交流も生きる支えになっていたようだ。

 1979年(昭54)にNHKにアナウンサーとして入局。「ニュースワイド」「チャンネルNHK」などを担当。86年にフリーとなり、その後、美ぼうを生かして女優に転身した。

 キャスター時代は「池田裕子」、女優時代には「桐生裕子」「桐生ユウ子」を名乗り、さらに結婚を機に「桐生ゆう子」と改名。がんを公表してからは「絵門ゆう子」にかえた。改名のたびに多彩な才能を見せ、最後まで精力的に人生を駆け抜けた。

◆絵門 ゆう子(えもん・ゆうこ)
本名 三門裕子。
1957年(昭32)3月18日生まれ、東京都出身。津田塾大学学芸学部国際関係学科卒業。79年にNHK入局、81年から東京アナウンス室に。フリーとなった後はTBS「森本ワイド・モーニングEYE」のサブ司会を務めた。ドラマ出演作に「金曜日には花を買って」「八代将軍吉宗」など。81年に結婚、89年に離婚。96年に報道番組のディレクターの三門健一郎さんと再婚。