トリノ五輪・荒川「金」
ついに荒川がやったー。フィギュア女子フリーで、日本の荒川静香(24)=プリンスH=が125.32点の最高点。総合得点を191.34点として、ショートプログラム(SP)で先行していた米国のサーシャ・コーエン(21)、ロシアのイリーナ・スルツカヤ(27)を逆転し、見事に金メダルを獲得した。日本人としては92年アルベールビル大会銀の伊藤みどりを越える快挙で、アジア勢としても初の金メダル。今大会メダルゼロの危機に陥っていた日本勢を救った。SP4位の村主章枝は惜しくも4位。SP8位の安藤美姫(18)は4回転ジャンプの失敗など、15位に終わった。 =2/25夕刊フジ= |
フィギュア 荒川、勝因は後半の3連続ジャンプ これしかないという筋書きだった。荒川静香は、SP1位のコーエンと0.71点差で、ほぼ同格。上位3選手が同じだけの重圧を背負う中、フリー演技は始まった。
コーエンは、冒頭の連続ジャンプでまさかの転倒。2つ目のジャンプも手をつくなど、明らかに硬い滑り出しだった。得意のスピンも軸が安定しない。しかし中盤から意地で持ち直し、得意のスパイラルは満面の笑みで観客をひきこんだ。「自分の足でしっかり立てなかった」とこぼしたコーエン。SP1位の重圧は予想以上だった。
荒川は冷静だった。新採点方式になってから、複雑なジャンプのルールに戸惑い、今季はジャンプミスに悩まされた。跳ばなければいけないジャンプを抜かしたり、連続ジャンプを忘れたり。混乱した時の荒川は、少し体の動きが機械的になる。しかしこの日は違った。
プッチーニの歌劇「トゥーランドット」の流れに乗り、伸びやかに手足が動く。2つ目のジャンプでは、3回転-3回転の予定を、3回転-2回転に抑え、堅実に体力を温存。後半の、イナ・バウアーから続く3連続ジャンプに勝負をかけた。
今季のシーズン初めは、スパイラルもスピンも、思ったより点が伸びなかった。「点を取りこぼしている」と荒川は、手を離すY字スパイラルや、ドーナツスピンとビールマンスピンを組み合わせるといった、オリジナルの技を次々と開発。金メダルへの道を一歩ずつ進んでいた。
「いまだに信じられない。楽しく滑ることが出来たのが良かったのかも」と荒川。8年間待ち望んだ五輪の金メダルを胸に、満面の笑み。クール・ビューティーの目に涙が浮かんだ。
スルツカヤは無念の銅メダルに終わった。滑り始める前、何度もコーチから肩をたたかれたが、緊張が抜けきらない。いつもの小気味良さが潜め、力を出し切ることに専念したが、後半の3回転ループでの転倒が痛かった。
3年前、母親の看病と心臓病のためにスケートを断念。それでも「リンクを降りて、私はスケートが好きだと分かった」と、復帰を決意した。薬の副作用に耐えながら、世界トップの座に舞い戻ったスルツカヤ。世界選手権も、欧州選手権もすべて優勝し、手にしていないのは五輪の金メダルだけ。スルツカヤを強く支えてきた思いの強さが、この大舞台ではプレッシャーになってしまった。銅メダルを胸に、さみしそうに微笑んだ。【野口美恵】
=2006年2月24日(金) 毎日新聞=
フィギュア 周りに流されてきた自分と決別…頂点へ 荒川
![]() 優勝した荒川の演技 |
フィギュアスケート女子で金メダルを獲得した荒川は夢の中にいた。表彰式後、首から金メダルを下げながら「何が何だかわからず、頭の中が真っ白」な状態で、拍手の鳴りやまないリンクを回った。
起伏の激しいフィギュア人生だった。16歳で長野五輪に出場しながら、その後低迷して前回五輪は代表落ち。過去3年間の世界選手権は8位、優勝、9位。自らの才能の大きさに振り回されてきた結果だった。
最もつらかった時期は昨シーズン。04年3月の世界選手権で女王になり、引退のつもりだったが「次は五輪で金メダル」と期待され、その流れに逆らえずに身を任せた。「自分がどこに向かうか見えず、気持ちが乗らないまま」で練習も中途半端。「世界チャンピオンになんかなるんじゃなかった」。結局、1年後の世界選手権は惨敗した。
「宮城の天才少女」と呼ばれていた10歳の時から、日本スケート連盟は英才教育を施し、大きな期待を寄せてきた。日本スケート連盟フィギュア強化部長の城田憲子監督は「私は静香を言葉で何度も殺してきた」という。それほど厳しく叱咤(しった)激励し、才能に見合う猛練習を求めたという意味だ。
だが、他人と競うのが嫌いで「試合で何番になりたいと考えたこともない。順位のつかないアイスショーで滑りたい」というのが荒川。一つの夢をかなえると満足してしまうから、伸び悩みや停滞を招く。宮城・東北高時代はスケート漬けの生活を拒み「トップ選手の中で最も普通の高校生活を送ったと思う」と、ひそかに誇りにしている。スポーツ選手向きの性格ではないが、能力の高さを周りは放っては置かず、そのギャップに苦しんできた。
そんな荒川が本気になった。5歳でスケート靴をはき、青春をかけてきた競技を「気分の悪いままやめたくない。達成感を得てやめたい」と思った。シーズン前の夏場の練習はハードで「米国へ練習を見に行ったら、空気がピリピリと張り詰めていた」(城田監督)。昨年12月にコーチを変え、先月にはフリーの曲を世界選手権で優勝した時の曲で「一番好き」というプッチーニ作曲「トゥーランドット」に変更。周りに流されてきた自分と決別し、自らの意思で動いた。
この日は演技中、過去の試合の場面が何度も脳裏をよぎったという。「あそこに行ったな、あんな試合もあったな、という感じで。この試合がスケート人生の集大成と思った」。今季限りの引退は決めている。プロになり、アイスショーで滑るつもりでいる。
普通でありたいと願った女性の波乱の物語は、この上ないハッピーエンドだった。【来住哲司】
=2006年2月24日(金) 毎日新聞=
フィギュア 金の荒川、完ぺきな演技 各国メディアも賞賛
![]() 国旗を片手にウイニングランをする荒川 |
海外メディアもフィギュアスケート女子で金メダルを獲得した荒川の演技を高く評価した。ロイター通信は、使用曲「トゥーランドット」が「ビンチェロ!(私は勝つ)」と、最後に歌い上げることに触れ、「彼女は歌詞通りに、ライバルのスルツカヤとコーエンを倒した。完ぺきな演技で初の金メダルを手にし、日本フィギュア界の歴史を作った」と絶賛した。
また、AP通信は「日本選手団はここまで成績が上がらなかったが、荒川は素晴らしかった。五輪で2連覇しているカタリナ・ビットさん(ドイツ)が、演技が終わる前から立ち上がって拍手を送っていたほどだ」と紹介。
米紙「ニューヨーク・タイムズ」(電子版)は「コーエンやスルツカヤが致命的なミスを犯す中、エレガントな演技で金メダルを手にした」などと報じた。【安藤由紀】
= 2006年2月24日(金) 毎日新聞=
フィギュア 強敵2人を五輪の大舞台で乗り越えた 荒川
フィギュアスケート女子。昨季世界女王のスルツカヤ、2年連続世界選手権2位のコーエンを両脇に従えるように、荒川が表彰台の真ん中に立った。昨季以降、一度も勝てなかった2人を五輪の大舞台で乗り越えた。
勝因は序盤だった。冒頭の3-2回転ジャンプの後の3-3回転連続ジャンプ。「挑戦したい」と言っていたが、「跳んだ瞬間、強引に行ったら回転不足になる」と感じて3-2回転に自重した。無理をしない演技を心掛けたことで、本来の伸びやかさが出た。左手を離すY字スパイラルは、観客からどよめきを誘い、上体を反らしたイナバウアーからの3-2-2回転の3連続ジャンプは大歓声。ミスは3回転ループが2回転となったことくらい。最後のI字スピンが終わった時、誰もがメダルを確信した。
「ループは悔しいし、3-3回転に挑戦できなかったのは残念」と言いつつ「やってきたことが出せた」と満足そうだ。今季はスパイラルやスピン、ステップのきめ細かさに欠けて得点を取りこぼすケースが多かったが、この日は6種類中5種類で最高のレベル4と認定。昨年12月から教わるニコライ・モロゾフコーチから、スパイラルの姿勢の3秒間保持やスピンの回転数などを徹底して仕込まれた。3秒間の数え方は「ワンアイスクリーム、ツーアイスクリーム、スリー……」と大好物をつぶやくと明かし、報道陣を笑わせた。
「金メダルに届くと思っていなかった。スケート人生の中で最高の舞台にしたいという思いが強かった」。SP、フリーとも自己ベストを更新。荒川は「トリノの恋人」になった。【来住哲司】
=2006年2月24日(金) 毎日新聞=