仰木彬さん/ファンに元気ありがとう 2005/12/18 ・神戸新聞社説より 何かやってくれそうだという期待感と任せて大丈夫という頼もしさ。それを併せ持つリーダーが、オリックス・バファローズの前監督、仰木彬さんだった。巧みな選手起用術と人心掌握術は「仰木マジック」と称(たた)えられ、多くの野球ファンを魅了した。 ダンディーで、人当たりがソフトだったが、それだけではなかった。ここぞというところで、ものすごい形相で抗議する闘将の一面をのぞかせた。 グラウンドで、絵になる監督だった。 その仰木さんが亡くなった。たぐいまれな指導力と強烈な個性を失ったことが、何より惜しまれる。もう少し元気で、プロ野球を引っ張っていってほしかった。 古いプロ野球ファンの間で今も語り草になるのは、昭和三十年代前半の西鉄ライオンズ(現西武)のことである。選手たちに個性があった。そして、強かった。三原脩監督の下で黄金時代を築いたその時期、仰木さんは二塁手として活躍した。 大下弘、中西太、豊田泰光、稲尾和久。野性味あふれる集団にあって、仰木さんは控えめで、守備の人に徹するようなところがあった。その評価や名声が高まったのはむしろ現役を退いてからだろう。 すぐにコーチになり、経験を積んで監督になった。十四年間の監督生活で三度のリーグ優勝と一度の日本一を成し遂げ、昨年はついに野球殿堂入りを果たした。近鉄やオリックスなど、関西のチームで指導者としての経験が長く、親しみが持てた。 忘れがたいのは、阪神・淡路大震災が襲った一九九五年の活躍だ。「がんばろう神戸」を合言葉にチームを優勝に導き、打ちひしがれた被災地を元気づけた。 病をおして、最後までグラウンドに立ち続けた律義なところも、この人らしい。 人の気持ちがよくわかり、また、その気持ちを大切にする人だった。 だからこそ、仰木さんの下で個性あふれる選手が数多く育ったのだろう。 プロ野球に入るくらいだから、どの選手も強い個性の持ち主だ。それを欠点として型にはめてしまっては、せっかくの個性が育たない。仰木さんは、選手の特性を伸ばすことに努め、大きく開花させた。 野茂英雄投手やイチロー選手など、とりわけ多くの大リーガーが巣立ったこととも無関係とは思われない。 「よっ」と、肩をたたかれただけで元気になった、というプロ野球選手もいた。 「腐らずに、元気でやろう」。仰木さんのそんな声も聞こえてくる。人と社会に向けた優しいまなざしを忘れない。 | ||||||||||||||
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写真:SPONICHI ANNEX |