映画「中江藤樹」(矢田清巳監督)とDVDプレゼントについて

注文が入りました。通信欄に「東映太秦映画株式会社で勤務しているフリーの映画監督」とあります。
数あるウエブ・ショップの中からご指名いただき感謝感激です。

ところで、意外と有名な方からご注文をいただくことが多いのです。例えば「エイトマン」の原作者の方ですとか、先日は「アンビリバボー」のキャスターを務める俳優のスタッフの方からお話かあったり…。

エイトマン

話を戻しますと、フリーの監督の方は矢田清巳監督と仰います。といえ、その世界に疎い管理人ですからどのような方か想像もつきませんでした。
早速、小次郎クンこと営業マン佐々木クンがインターネットで調べてビックリ。
TVの時代劇はほとんど関わっている監督です。
例えば「水戸黄門」「大岡越前」「暴れん坊将軍」旧くは「長七郎江戸日記」…。

ところで、監督の人となりを知りたく思って調べてみましたが、インターネットではわかりません。作品や主演俳優の紹介はあっても監督は黒子なんですねえ。監督の情報は見つかりませんでした。
佐々木クンと監督とのメールの交換の中で、監督の最新作のDVDを2枚送っていただきました。(写真)


近江賢人・中江藤樹(文部科学省選定)
=作品の紹介から=

概要
昨今の混迷するわが国の社会事象をみると、凶悪犯罪の増加、さらには青少年による犯罪の低年齢化や家庭内暴力などが新聞上をにぎわし、日本の将来に暗い影を落としつつあるかのようであります。
こうした現実を直視するとき、これまでの教育の在り方をめぐって国民的議論が展開されようとしていますが、なによりも大切な視点は「一人ひとのり人間としての心と、その生き方にある」のではないでしょうか。

中江藤樹先生は、すべての人間には「明徳」というこの上のない美しい心を持って生まれてきたのであるから、それを磨き、日常生活の中で発揮することが人間として最高の生き方だということを、サムライの門人や近郷の村びとにわかりやすく説き示しました。

この度計画いたしました映画「中江藤樹」は藤樹先生のうつくしくも苦闘の人生をおくった教育者としての41年の生涯を描くことにより、この憂うべく社会の暗い影にひとすじの明かりを灯し、学校教育現場のみならず、家庭や社会全体に心の教育の大切さを訴えた文化教育映画であります。

物語
大洲藩で若くして郡奉行となった中江藤樹は、不作により減租を願う農民の声にこたえる。そんな藤樹に多くの若い藩士が共鳴し、ともに学問を学んでいたが、近江の小川村で一人さびしく暮らす母のことを思い、ついに武士を捨てて帰郷する。脱藩は死をも覚悟しなければならない厳しい選択であったが、藤樹は母への「孝」を選んだ。

小川村に帰った藤樹は、家族や村人たちの暮らしの中で、出世や名誉のためではない自らの学問を確立していく。人はこの上なく美しい心をもっていると信じ、学問を暮らしの中で実践していく真摯な生き方に、村人たちは次第に魅せられていく…。

後日、監督からメールをいただきました。
「佐々木様
流石!還元水は良いですネ。朝から料理に飲用にと楽しんでいます。手際よく段取りして下さって感謝しています。有り難う御座いました」
ところで「中江藤樹」は皇太子様がご覧になられていたく感動されたということもお知らせいただきました。

 

■矢田清巳監督


(一言)
水戸黄門をずーっと撮っていて思うことですけども、あれって人生の応援歌なんです。でも、同じように見えて実は毎回微妙に違った作りをしているんです。

(座右の銘)
動きは言葉のあまりなり、言葉は心のあまりなり。
=山崎弘士の人巡り、言葉めぐり=
「若菜爛漫」

時代劇ファン必見の美女剣士が登場。
斬られ役・福本清三、初めてのオリジナル。

京都撮影所を担う若手俳優たちが、持ち前のお色気とアクションを思う存分発揮した異色作。
撮影所に働く多くの若手俳優は、時代劇を支え、通行人、あるいはチョイ役として活動している。

観客の意識に訴えない出演だが演じていることにし違いはない。
今回彼らを起用し、彼らの持つ生き生きとした姿でドラマを制作したい。

俳優陣の本来持っている力を映し出すということで、人が生きる道というものを表現してみたい。

その姿は万人の共感を得るはずである。

それが、このドラマを観た観客に残したい「生きる意味」に通じると信じる。

作品の紹介の文を読んで、陽の当たらないところにも光をあてる矢田清巳監督の温かい心が伝わってくる。それは「水戸黄門」「大岡越前」「暴れん坊将軍」…などの作品からも溢れ出ている。