「貧しいがゆえに死なねばならぬのか」

首題は産経新聞の「明美ちゃん基金」に関する記事のタイトルである。心臓の難病だった伊瀬地明美ちゃんは寄金によって命を救われた。そして明美ちゃん基金が設立されたのである。昭和41年のことであった。

「神様はサイコロ遊びをなさらない」。
人の命の誕生が神様のサイコロ遊びによって左右されることはない。神様はみんな健康で元気な赤ちゃんが生まれるように、生命誕生のプロセスのプログラムを組まれたのである。つまり、プログラム通り赤ちゃんが誕生すれば、それは健康で元気な赤ちゃんのはずである。心臓に難病を抱えた赤ちゃんが誕生することはありえない。神様が気まぐれにそのようなイタズラをされることもありません。故に「神様はサイコロ遊びをなさらない」という言葉がある。

では、なぜ、障害のある子が生まれてくるのだろうか。外的要因によって赤ちゃん誕生のプログラムに狂いが生じるからである。外的要因から受ける遺伝子の障害が考えられる。
最近の妊婦さんの洋水はシャンプー、リンスの臭いがするという。洋水がドロドロだという。皮膚から浸透したシャンプーは真っ先に生殖器に行くそうだから、胎児にその影響がいってもおかしくはない。

羊水も水なら、人間の体の70%が水だという。赤ちゃんは90%。だとしたらお母さんが,普通の水から健康的な水に替えることも大切なことかもしれない。人間は水なくして生きていけないのだから・・・。

生き続ける基金

産経新聞に限らず、社会部には遊軍と呼ばれる持ち場がある。決まった担当もなく、普段は社内にたむろしている記者らのことだ。
昭和41年初夏、社会部に一通の手紙が届いた。いなかにいる小学生のめいが心臓の難病にかかっているが、手術を受ける費用がない。このまま見殺しにするしかないのか、という切々とした訴えだった。
投書を読んだデスクの曽我興三が遊軍記者の細谷洋一に「これをやってくれ」と手渡した。しかし、差出人は匿名。手がかりは「伊瀬地明美」という病気の少女の名と、「川崎市登戸」という消印だけだった。細谷は登戸周辺の交番を片っ端からまわり、巡回連絡簿を手がかりに投書の主にたどりついて少女の住む鹿児島に飛んだ。

「貧しさゆえに死なねばならぬか」と題された細谷のルポは読者に大反響を呼び、明美ちゃんの手術に要する何倍もの善意が集まった。
手術に成功した明美ちゃんの両親の意向もあり、この寄付を基に心臓病の子供を救う基金が生まれた。そして「明美ちゃん基金」と名づけられた。曽我も細谷もすでに故人となったが、基金は生き続けている。

明美さんは現在、44歳。岡山県で小児科の看護師としていまも病気の子供とともにある。二人の母親でもある明美さんは「スッパダーちゃんの話を聞くと、同じ境遇の娘を抱えた両親を思い出します。父は昨年1月に亡くなりましたが、妹が『命がもうないと思っていた子供が元気に育ったのだから、こんな幸せな晩年をおくれたんだ』と言ってくれた。私も母親として、看護師として、スッパダーちゃんにとにかく元気で育ってほしいと祈っています」と話している。


がんばれスッパダーちゃん
「みんな」で救った命。留学生、看護師…献身的サポート

眠りから覚め、じっと母、ダオポンさんの目を見つめるスッパダーちゃん=14日午前、東京都新宿区の東京女子医大病院集中治療室

スッパダー・ペッパンヤーちゃん(一つ)の手術のため、日本に向かう飛行機の中で父親のソムロットさん(35)は同行の記者に「あとどのくらいで着くのだろうか」「本当に日本に着陸するのだろうか」と興奮した様子で話続けた。母親のダオポンさん(30)は緊張を押し隠すように、眠っている娘の額にそっとキスし、これからの無事を祈った。

これまで電車に乗ったことさえなかった。海外に行ったのは、スッパダーちゃんの治療のために陸路で向かったタイだけ。未知の日本に向かい、娘の命を見知らぬ人間に託すことは、人生最大の決断だった。成田空港に着くと、ソムロットさんは、ほっとした表情を見せ、こういった。
「ここまで来たなら、もう私たちの娘は大丈夫です。みなさんの助けがあるから、私たちはここにいる。日本の人たちを信じています」

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そんな二人を今、さまざまな立場の人々が支えている。病院内での通訳や生活のサポートは、日本に留学中のウ゛ィエンシー・ケオクーンシーさん(28)ら、在日ラオス人やラオスで生活経験のある日本人が代行で行っている。朝から晩まで付き添っているケオクーンシーさんは「言葉の通じないタイに入院した母親を思い出し、不安な気持ちがよく分かる。元気になった姿をラオスで見るのがたのしみ」とスッパダーちゃんの将来を想像して笑顔を浮かべている。
日本の食事に慣れないダオポンさんを気遣い、ラオスでも使われている香辛料や調味料を大量に購入してきた。食べなれた唐辛子を口にしたダオポンさんは一言「おいしい」とつぶやき、ケオクーシンさんにほほえんだ。
医師や観護師も、家族が安心できるように心を配っている。自身も幼少時に手術を受けた経験があるという担当看護師、古城(こぎ)敦子さん(27)は事前にラオス語を勉強し「こんにちは」「お元気ですか」といった日常会話や「体温」「検査」といった医学用語を調べ、指を差せばわかるよう、日本語とラオス語を貼りつけたボードを用意。控えめなダオポンさんに気軽に声をかけてもらえるよう、非番の日も病棟に顔を出す。古城さんは「つらい入院生活も、できるだけ楽しく過ごしてもらいたいですよね」と話す。
「明美ちゃん基金」は、こうした人の温かい心で成り立っている。

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順調に回復に進むなか、ソムロットさんは「みんなに救ってもらった命を、今度は救う立場になって生かしてほしい」と、スッパダーちゃんが医師になることを夢見てる。ダオポンさんも「スッパダーが病気になったのも運命だし、救ってもらうのも運命。運命に恩返しするためにも、人を助ける仕事をしてほしい」と話した。
ソムロットさんはさらにこう続けた。「スッパダーのほかにも、世界には心臓病で苦しむ子供がたくさんいると思う。『明美ちゃん基金』で、スッパダーのような子供が、たくさん助かることを祈っています」