「今日は雨がザーザーひどいね。
だけど、こんな時には、撮りためたアニメを見るのだ!二次元は私の栄養なんだもんね。
そういえば、今日も午後からレッスンなんだけど、久しぶりに弁当を作ったんだよ。 けど、撮影し忘れちゃった。テヘペロ。 自分で言うのも変だけど、上手に出来たんだ。だから、みんなにも見て欲しかったんけど。 また今度の機会ねっ。 週末のライブ待ってるよ。 新曲も披露するから、楽しみに待っててね。 今日も1日、がんばろうね^_^」
通勤の電車の中で、日課となっているSNSを見ていると、顔も名前も知らないローカルアイドルのブログ情報が流れてきました。
全く知らないわけですから、もちろんフォローもしていません。本来なら流れてこないのですが、僕がフォローしている方がその娘のファンだったようで、転送された情報が届いていたのです。
ブログにはカワイイ自撮りした写真が掲載されており、何の気なしに読んだブログの内容が、冒頭にご紹介したものです。
(✳︎先にお断りしておきますが、オリジナルの文章の意図を、僕なりに解釈し、書き換え及び脚色しております。
また、ここで使用した写真のアイドル「神田みつき」さんは、ブログの内容とは一切関係ありません。イメージです。)
いまどきのアイドルのブログっぽいなぁ、と思いながら読んでいたのですが、ふと、思った事があります。
「アイドルヲタクは、一般的にあまり理解されてないな」
アイドルに限らず、アニメやゲームも含めた「サブカルチャー」を好きな人を、総称して「オタク(またはヲタク)」と呼ぶ事がありますが、これら全てが一般にはあまり理解されていないと思います。
僕もゲーム(特にレトロゲーム)が好きですし、見ていて面白いと思った作品はアニメも見ます。マンガは貴重な情報源ですし、長く連載の続いた「カーチューニング&首都高バトル」のマンガ「湾岸ミッドナイト」は僕にとって経書です。
しかし、それらサブカルチャーに興味のない人にとっては「無駄」なものでしかなく、そして理解出来ないものなのだと思います。
先日も、アニメが嫌いな人と話をしている時に、「アニメは子供が見るものだから、いい加減辞めたら」と言われた事がありました。
何なら良いの、と聞いてみると実写のドラマなら良いと。
それなら原作が小説ならどうなのかと聞いてみました。具体的には「時をかける少女」を例にしました。
ご存知のとおり、時をかける少女は約50年前に発表され、原作である小説はもちろんのこと、それ以外にも映画、ドラマ、アニメなど、あらゆるメディアで作られ続けている、誰もが認める不朽の名作です。
これについての答えは「アニメ以外は良い」でした。つまり、内容が「子供向け」という問題ではなく、アニメ自体が「子供向け」という認識です。
この理屈でいくと、「アダルトアニメも子供向け」という事になるのですが、これについては男性でも拒絶反応を起こす方がいますので、「アニメは子供が見るもの」というよりは、理由はともかく「アニメが嫌い」と認識した方が良さようです。
そんなアニメ嫌いの人に、どんなにアニメの素晴らしさを伝えようとしても、理解出来ません。
以前、ある人気同人ゲームに登場するキャラクターのセリフにあったのですが、「最初からダメと思っていれば、どんなに正論であってもダメと思うし、ダメな理由を探す。結論は話を聞く前からダメと決定しているので、実際のところは聞く耳を持っておらず、正しい判断が出来ない」。
アニメに限らず、嫌いなもの、理解出来ないものに関してヒトは、この状態ではないかと思います。
そして、理解出来ないものには恐怖を抱くと聞いた事がありますが、それはまさに本能だと思います。ヒトは先の見えない暗闇には恐怖を感じ、それから逃れるために照明を作りました。そして、電気の発明により、一晩中明るくする事が出来るようになりました。照明には、夜でも作業出来るようにしたいという欲求もあったと思いますが、恐怖の克服という面もあったと思います。
恐怖を克服したいと思う事がヒトの欲求ならば、お互いが理解し合うように努力しなければなりません。しかし、「全てを理解する」ことが不可能なのは、多くの方がご存じだと思います。
上記の理由から、理解出来ないものを排除したくなるのも、本能だと思います。しかし、本能だから仕方がないと言ってその事を肯定してしまったら、世の中はギスギスしたものになるのは、わかると思います。
それならどうしたら良いのか。僕は「理解出来ないけど認める」ことが最良ではないかと思います。
理解出来ない事を認める事は、本能に反するわけですから、とても勇気が必要だと思います。
しかし、「周囲に危害が及ばず」「生活に支障がでない」のであれば、それで良いのではないでしょうか。
それはちょうど、夫婦関係に似ていると思います。絶対に理解し合えない男女が生活を共にするわけですから。夫婦でなくとも、親友と呼べる人がいるいるのなら、その人との関係を思い浮かべても良いと思います。
関係が近くなればなるほど、嫌な部分が見えるものです。しかし、それを容認しているからこそ、同じ道を歩めるのではないでしょうか。
日本の神様は「八百万の神」と言いますが、まさに「日本人が本来持っている多様性」を表していると思います。昔から日本の文化として根付いていたのであれば、とても難しい事ですが、いつか認め合える社会が実現出来るのではないかと思います。
というわけで、我が家の天照大神さま、「HUGっと! プリキュア」見ても……ダメですね、はい。
「新幹線変形ロボ シンカリオン」だけにしておきます。