オバマ大統領就任式をめぐる断章 | 回廊を行く――重複障害者の生活と意見

オバマ大統領就任式をめぐる断章

回廊を行く――重複障害者の生活と意見-リンカーンLincoln(30代後半)

(1)
空港近くの川に旅客機を不時着させて一人の死者も出さなかったという「ハドソン川の奇跡」のニュースを知って、オバマ氏の大統領就任を前にして何よりの祝砲だと感じました。大事故から免れたのですから、この連想は不謹慎ではないでしょう。就任9ヵ月後の同時多発テロがその後のブッシュ大統領を刻印付けたのに対して、「ハドソン川の奇跡」における機長の行動は、危機における指揮官の冷静さと能力の発揮というイメージを、潜在意識的にせよオバマ大統領に投影するものだと思われます。弾みというものはあると思います。それを知ってか知らずか、サレンバーガー機長は就任式に招かれていたそうです。招待客のリストは事件以前にとっくに決まっていたと思われますが、さすがというほかはありません。

(2)
オバマ大統領のミシェル夫人の余裕のある笑顔を見ていて、これまで何人かのモデルが変革しつつあった女性美の基準が、一つの頂点に達したかなと思いました。もちろんそれまでに知っていたキャリアに関する情報もあってのことだったでしょうが、彼女はたしかに知性豊かで魅力的な美人です。ただこう感じたのには、それまでにアフリカ系の女性が各界に進出して下地を作っていたということが無視できないでしょう。ところでテレビを見ていてミシェル夫人はアフリカ系にしてはやはりいくらか色が薄い。だから美人に感じるのかと、いささか後ろめたくも思いながら考えていたのですが、ヤフーニュースに掲載された『ニューズウィーク』の記事 によると、「たいていの場合、『美しい黒人女性』とは、肌の色が薄く、髪が真っすぐで、ヨーロッパ風の顔立ちである場合が多い」。しかし黒人の女性に言わせるとミシェル夫人は「雑誌やテレビ番組でミシェルを見ると、肌が黒いと思う」だそうです。基準が変わりつつあるのです。ライトを浴びていたせいもあるでしょうが、きれいに見えるのは黒さが薄いからと考えたのを、改めて反省したいと思います。

ここでかねてからの私の妄想を記しておきます。それはオバマ氏の妻が白人であったら、どうなったであろうかという妄想です。オバマ氏のように名門大学・弁護士・上院議員と駆け上った存在が、白人女性と結婚していてもそう不思議はないでしょう。しかしもしそうであれば、オバマ氏が大統領はもちろんのこと、大統領候補、いや上院議員にすらなれなかったのは確実ではないでしょうか? 白人の妻を持つセレブの黒人に反発する黒人は多いでしょうし、一方で白人の妻を持つ黒人に対する一般白人の反感というか憎悪はきわめて激しいようです。アメリカというか、世界は、もしかしたらバラクとミシェルが出会ったことを感謝しなければならないようになるのかもしれません。

(3)
就任式の前にオバマ氏がボルティモアで行なった演説に気になった個所がありました。私がもっとも信頼するブログの一つである「カナダde日本語」の訳文を拝借すると、「それは、何かというと、みんなが1人1人を認めて、ひとつになれたらという信念です。民主党も共和党も無党派も、ラテンアメリカ系もアジア系も原住民も、黒人も白人も、ゲイもストレートも、障がい者も健常者も。そうすれば、希望と機会を元どおりに回復させるだけでなく、多分、私達は、その過程で1つになることを望むかもしれないのです。」というところです。付随している原文の該当個所は次の通りです。

a belief that if we could just recognize ourselves in one another and bring everyone together - Democrats, Republicans, and Independents; Latino, Asian, and Native American; black and white, gay and straight, disabled and not - then not only would we restore hope and opportunity in places that yearned for both, but maybe, just maybe, we might perfect our union in the process.

私の注目したのは「障がい者も健常者も」という部分ですが、これの原文はdisabled and not です。"and not"を「健常者」としているわけですが、他の訳文を検索すると中日新聞 では「障害者やそうでない人たち」であり、gooニュース では「障害者も障害のない人たちも」となっていました。いずれも誤りではありませんが、実は「健常者」にあたる英語はないということになっています。normalというのはこの場合使うわけにはいかないでしょう。nondisabledという言葉が作られてはいますが、これはすべての人間は遅かれ早かれdisabledになるが、まだなっていない状態を指すといったアイロニカルなもので、「健常者」の正式の訳語ではありません。新聞などがこのことを意識したかどうかはわかりませんが。

それにしても訳文に相違があるのには不思議はありませんが、いくつか見た原文にも食い違いが少なくなかったのには少々驚きました。予定稿と実際に話されたものの相違でしょうが、今後気をつけねばならないことの一つです。それにしてもAとB、CとD、EとFとGというように畳み込むように羅列するのがオバマ氏の好みのレトリックなのでしょうか。一躍名を上げた民主党大会の演説でも用いられています。あるいは英語に元からあるレトリックなのかもしれませんが、日本にこの種のものがあまり見られないのは、雄弁というものが重んじられないせいか、あるいはレトリックの欠如が雄弁を生まなかったのか、難しいところです。

☆藁ならぬ バラクにすがる 世界かな


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