差出人のない賀状 | 回廊を行く――重複障害者の生活と意見

差出人のない賀状

回廊を行く――重複障害者の生活と意見-NewYearHappyNewYear

遅まきながら明けましておめでとうございます。このブログも5年目です。我ながら読んで楽しいものとは思えませんが、それでもわざわざ来ていただいている方々、どうもありがとうございます。

この年になって出す賀状も、いただく賀状も微増傾向なのはありがたいことですが、今年はいただいた中に差出人不明のものがありました。実はこういうのはまったくの初めてでないのですが、今年のは手が込んでいるというのか、表の宛名は郵便番号ともども正確で、差出人の郵便番号○○○0008というのも書いてありました。気になったのは裏面で、賀春、丑という字と、肥えたうしろ向きの牛にもたれた子供の絵、および新年の挨拶が上半分に印刷してあるできあいのものの下に、7行も細かな字で書いてあったことです。

この人はリウマチが寛解せず10年近いそうで、近くの神社、仏閣、海浜への散歩にも杖が必要。それでも辞めて以来の精神の解放は誠に日々好日の思い、というものです。さて、こう言われても見当がつきません。元の職場の人だとは思いますが、やはりわかりません。家内の方が詳しい教会関係の付き合いかと考えても、こちらも思い当たる人はないそうです。第一、クリスチャンが「神社仏閣」と書くかどうか。そこで具体的の唯一の手がかりである上記の郵便番号を検索してみました。東京近県の海辺の住宅都市ということはわかりましたが、それでも人の名は浮かんできません。唯一昔の課長が以前その市の住民で、今はその隣の市に住んでいるのですが、この人からは別に賀状が来ています。結局わからずじまいですが、書かれた文字はきれいですけれど、病後の文字のように震えが感じられるのはやはり気になりました。リウマチでこのようになるのかなと。

案外この賀状は、病みさらばえて前途不透明な今年の日本を象徴しているのかもしれません。

個人的には二日に家族全員が集まり、我が家風の和洋折衷のおせちをたいらげました。家族といっても二人の息子の家族と老夫婦で、2+4+4の計10人ですが、重なる重病を経てきた私にとっては、これだけの人数が一堂に会するだけでも感慨があります。妙な言い方をしますと、私のDNAを持つのが私自身を入れて7人もいるわけですから。小さい孫たちも自己責任性というか、自分たちでやっているのは助かりました。

元旦には午後に次男の運転で、家内と上の孫も同乗、家から元の勤務先あたりまで行って、そこから皇居の周囲を一周、都心から六本木のあたりを通って、名のみ喧伝されている建築物を外から見るなど、空いた道路のドライヴを楽しみました。外出というよりは乗り物の乗り降りが面倒な私にとって、乗ったままでの2時間ほどは楽ちんでした。いつも似たコースを通ることにすれば、変動があってもわかるわけで、事情が許せば毎年の慣例にしようかなと思います。パソコンで情報を発信していると、定点観測ということの重要性がよくわかりますから。

とにあれ、本年もよろしくお願いいたします。

☆新年は その日のうちに 思い出に


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