スポーツと社会--二重基準? | 回廊を行く――重複障害者の生活と意見

スポーツと社会--二重基準?

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中国・昆明の高地トレで死亡 両親、日体大を提訴へ 」という記事が今日3日の朝日新聞社会面に出ています。ただしこれはWEBではasahi.com関西とあり、3日の東京版ではタイトルに「安全管理怠る」という言葉も入っていました。3日と4日にはこのニュース自体がWEBでは見当たらなかったので、何か事情があるのかもしれません。昆明で日本体育大学水泳部2年の男子学生が高地トレーニング中に死亡したのに関し、平地より選手の体に負担がかかるのに、「体調管理や救助体制が不十分で、安全管理を怠った」と大学とコーチを相手に両親が訴えるというのです。「高地トレは水泳や陸上などで取り入れられているが、一部の有名選手を除き、安全管理は選手や各指導者にまかされているのが現状だ。訴訟がスポーツ界の対策に影響を与える可能性もある。 」とのことです。

しかしそもそもが外地で高地トレーニングを行なって身体を改造するということは、スポーツにふさわしいことでしょうか。今やアマチュアとプロの違いなどほとんどないし、一流選手なら実質的に皆プロで、プロなら何でもやっていいだろうという人も少なくないでしょうが、この事件ではせいぜいが大学の体育部で上位の選手のようですから、それには当てはまらないでしょう。私の言いたいのは、ドーピングは厳しく取り締まられるのに、高地トレによる身体改造には問題はないかということです。ちょっと次元が違うようですが、両足が義足の南アフリカ出身の陸上選手(400m)が国際陸上連盟によって実験が行なわれ、そのカーボン繊維性の義足が障害のない選手に比べて有利だから規則違反とされ、五輪出場を断念せざるを得なくなったというニュース もあります。個人的な感想を言えば、日本のスポーツ・ファンのガンバリズムや、パラリンピックの報道ぶりからして、この選手こそ五輪の華なのではないかとも思いますが。いずれにせよ高地トレの影響がドーピングとどう違うかについての検討はなされるべきでしょう。

高地トレについては疑問がもう一つあります。高地トレというのは日本人ならアメリカのコロラド州や中国の昆明に行くのが普通です。しかし五輪の場合、選手は国や地域を代表して出場するのですが、そのトレーニングの主要な部分を外地で行うということは、今風に言えば「産地偽装」なのではないでしょうか。高地トレというのは元々が高原国家のエチオピアの選手の心肺機能が強靭であることから始まったもので、人それぞれの環境で育った能力を披露して競うのがオリンピックではないかと思うのです。外地での競技会に挑戦するのはいいでしょう。そのコースの下見のために走ってみるのもいいでしょう。しかしずっと外地でトレーニングというのは、オリンピックの理念を閑却しているように思われます。国内で効果のありそうな場所を選んでトレーニングをするのが真っ当だと思いますが、最近では初めの例のように、言葉は悪いですが猫も杓子も高地トレというのには首を傾げたくなります。

スポーツと言えば先日の大阪国際女子マラソンで、期待された選手が30km以降で調子をくずし、何回も崩れたように転びながらもゴールまで走ったということがありました。ほとんど失神していたそうですが、例によって多くの人がその頑張りを、「ド根性」などと言って称えています。監督はリタイアを勧告したそうですが、選手は受け入れなかった。これは精神的に朦朧としていたせいもあったと思われますが、ボクシングでは選手が危険な状態となると、KO以前でもレフェリーが強制的に止めさせてTKOを宣告します。このようなルールはマラソンにはないのでしょうか。この選手はその後きちんとインタビューに答えて、後遺症は報じられていませんが、仮にそれがあったとしてもマスコミには出ないのではないかと思ってしまいます。

さらに、また毛色の違ったことを書きますが、ニュースでサッカーの国際試合を見ていると、応援団が日の丸だけでなく海上自衛隊旗、つまり軍艦旗を振って応援していました。この旗は二次大戦中は外国では「タコ」などと呼ばれ、あまりよいイメージは残していないことは知られていないのでしょうか。十六条の縞がありますが、自衛隊以前の警備隊ではそれを遠慮して7本にしていたということです。古いことは関係ないと言われそうですが、軍艦旗が各地に翻って時代のことがまだ忘れられていない事例もまだまだ聞かれます。外国の応援団が国旗の他に振る旗には地域の旗はあるでしょうが、軍旗そのものがあるのかどうか。よくわかりませんが、現実問題として何かの催しで日の丸の他にあの軍艦旗があるとしたら、ちょっと引いてしまうのが普通ではないでしょうか。

以上、高地トレ、マラソンの「頑張り」、応援に軍旗など、何か一般社会ではそのままでは通らないような論理がスポーツでは通用しているという気がしてなりません。外国のスポーツ界やそれを取り巻く社会の反応などには、全然通じていないのですが、スポーツであるとされている登山で遭難し、救援隊が危険を冒しているなどのニュースを聞いても、この国ではスポーツは現実以上の存在なのだと思ってしまいます。

☆スポーツに 民のうっぷん 捨てさせる


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