「元気になる」ということ
和風庭園雛形
誰でも日によって好不調の波はあるものですが、これは障害や慢性の病気の持ち主にとっては特にはなはだしいものです。私の呼吸不全は動作の影響が大きく、姿勢を変えると苦しい、歩くと苦しい、何かで焦ると苦しい、etc.です。更に環境要因というか、暑くても寒くてもまた気圧が低くても呼吸が楽でなくなります。もっともこれが呼吸不全の指標である酸素飽和度、つまり血液中のヘモグロビンの何%が酸素と結合しているかとは、必ずしも相関していないのが難しいところです。長時間酸素を止めていたのに気づかず、それでもまず平気だったこともあり、心理的要素もあるようです。
これらは言わば短期変動ですが、全体として持続的に調子が上がっていたり、下がることもあります。昨年の秋ごろからがそうなのですが、何かにつけて家内や医師、看護師に「元気になった」と言われます。家内は毎日見ているのですから余計感じるようです。そこで少し内省してみたのですが、これは症状への「慣れ」ということも大きいのではないでしょうか。
たとえば風呂は疲れるのでシャワーにすることも多いのですが、もちろんこれでも疲れます。酸素は吸いながら浴びるのですが、終わって風呂場から出てくると大げさに言えば息も絶え絶えということもありました。ですから少し調子を落としていると、用心してシャワーなどはなるべく後回しにしたものです。それが何かの都合で無理をしてシャワーを使ってみたら、その後はもちろん疲れますが、耐えられないほどでもありません。そういうことが2、3回あると、その後はもう調子などにはかまわずシャワーをするようになるわけです。こういうのは本当に元気になったのとは違って、自分の限界まではまだあることがわかり、度胸がついたという方が適切なのですが、人から見ると「元気になった」となってしまいます。
これは一例ですが、外出するにしても多少苦しいくらいでも出発すると、いずれ楽になってきて、変える頃には出がけより元気ということも少なくありません。症状が悪化していないのは確かでしょうが、かと言って別に改善されているわけでもなく、障害を宣告されて臆病になっていた状況から脱して、現状でできることができるようになったということなのでしょう。
以上は慢性の病気を患っておられる方には、思い当たることもあるのではないでしょうか。精神主義的に限界まで頑張るというのは私の主義ではありませんが、それでも自分の限界を探って、それに応じて生きていきたいと思っています。
☆毎日を 生きるはしょせん 綱渡り
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