獅子身中の虫
10月17日の参院予算委で福田首相は、キャリア制度の存廃について「決めていません。決めかねる問題だ。民間の場合は業績評価をしやすいが、公務員はできないという根本的な違いがある」と述べ、キャリア制度廃止に慎重な立場をみせたということです(産経新聞 )。何かというと「守旧派」的な言辞の目立つ首相ですが、これなどその中でも本質的なものの一つでしょう。
「民間の場合は業績評価をしやすいが、公務員はできない」というのが根本的な違いであるのは事実であるかもしれませんが、それがキャリア制度廃止に対して慎重な立場を見せることにつながるというのには、いささか論理の飛躍が感じられます。業績評価ができないことが採用時の試験の格をずっと引きずることにどうしてなるのでしょうか。「民間の場合は転職が多いので常に業績評価を行わなければならないが、公務員は原則として長期にわたって在職するので、一度や二度の試験だけではなく長い目で評価する」と、こういう言い方は何故できないのでしょうか? 福田氏が父親同様に東大出のキャリア官僚出身であれば、キャリア制度に未練をもっていて否定できないのももっともですが、早稲田出のサラリーマンから首相である父親の秘書に転じたという経歴を考えると、父祖の能力と経歴に憧憬とコンプレックスを持っている点で、実は前首相に負けず劣らずなのだという見方も可能でしょう。
キャリア制度には一方で、同期生のうちから勝ち残ることにより出世し、その結果としてゴールとなる次官が、何代も先まで決まってくるというシステムがあります。「評価はできない」のに何故勝ち残りがあり、先々のポストまで決まってくるのか? 福田首相の答弁を素直に解すると、これはまことに不思議なこととしか言えません。在職中の評価ができないとなると、同期生のうちから選ばれる基準は、大学の成績、公務員試験の成績、閨閥と人脈といったものなのでしょうか? とすると、これらはほとんど採用された時点で決定済みのことであり、「勝ち残り」などということがあるというのも、実は外向けの擬制であると言ってもいいのでしょうか?
ちょっと話がそれますが、キリスト教の一部には「予定説」というものがあり、簡単に言えば救われる人救われない人は決まっているというものです。神が全知全能であるというテーゼを信じるならば、先行きも知られているわけですから論理的な帰結だとも言えますが、首相なり各省庁のトップなりは全知全能ではありませんし、勿論神でもありません。それでも「評価はできない」のに人事が行なわれているのは、奇観とでも言えばいいのでしょうか。
このようなシステムの結果の一つが、防衛省の前次官が20年近くの長きに渡って職務上密接な関係のある業者と、ゴルフによる交際を繰り返していたというスキャンダルです(毎日新聞 )。多くの場合前次官は夫人を同行し、費用の一部した支払わず、また行く先のゴルフ場では偽名で通したというのですから、救いようがありません。業者というのは軍用機のエンジンの輸入を扱う商社で、知り合ったのは元次官が航空機課長を務めた頃と言いますから、法に触れるかどうかは別としても、常識的には真っ黒なケースとしか言いようがないでしょう。
こういうことは噂としては知られていたようで、元次官と人事上のトラブルを起こした元防衛相も耳にはしていた様子です。この元次官が業者とゴルフ交際を行なったのは課長から次官にいたる期間ですが、これが「出世」にさわらなかったのは、すでに次官のポストが予約済みだったので人事部門もそれに触れなかったのか。あるいはこれこそ「評価はできない」ことの生々しい証拠なのか? 福田首相にはもう一度答弁して欲しいものです。
この事件が明るみに出たのでさすがに防衛省サイドも慌てているようで、石破茂防衛相も「〔新テロ対策特別措置法案の国会審議に及ぼす影響について〕直接影響を与える話ではないかもしれないが、(防衛省)全体の信用という点において全く影響なしとはしない」と懸念を表明して直接事情を聴取すると言わざるを得なくなっています(産経新聞 )。出世すればするほど自律の必要は増すという当たり前のことが、少なくとも最近の幹部官僚には徹底していないようです。キャリア制度に守られていると、この元次官のように、自己の行動が国益どころか省益をも台無しにすることが、だんだんわからなくなるのでしょうか? 某元防衛庁長官に言わせると、「テロ対策特別措置法に反対するのはテロリスト」だそうですが、同様の効果を、それも確実にもたらしている旧部下の行いを、どう思っているか聞いてみたいものです。
☆本隊を 後から撃つ テロリスト
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