オリンピック・コンプレックス
東京が2016年に開催されるオリンピックの会場に、「日本代表」と立候補することが決まったそうである。日本人のオリンピック狂いがまた始まるのかと、今から頭が痛い。
前もどこかに書いたが、1964年の東京オリンピックと、1970年の万国博覧会とで、今の日本は規定されているようなものである。当時学校を出て社会人となった人々には、大がかりなのがよい、騒がしいのがよいということが刷り込まれた。そしてこれらの世代がバブルの頃に企業の責任者や現場のリーダーとなり、バブルの被害をいやが上にも大きくしたというのが私の考えである。
2016年と言えば小泉氏が滅茶苦茶にした日本社会が、ようやく落ち着きを見せるであろう頃だが、もしその年にオリンピック開催となると、その前の会場建設の期間と併せて、やっと見えてきた落ち着きを木っ端微塵にすることだろう。
今日はとりあえずこのくらいにするが、ただ、国際社会が現状ではオリンピックの東京開催を受け入れないであろうという可能性はあることを言っておきたい。それは現在の知事で三選も狙うという石原慎太郎氏の存在が理由となる。
石原氏と言えば日本では時に品のない発言もする外国人嫌いだが、立場としては中道右派くらいの認識だが、外国ではれっきとした右翼とされているという。オーストリアの自由党は三大政党の一つだが、元の党首で実力者のハイダー氏がナチへの共感を隠さなかった時期があり、EUは自由党を含む連立政権のオーストリアを歓迎しなかった。そしてこのハイダー氏と石原氏が同列に論じられることがあったというのである。
IOCと言えばヨーロッパ出身の委員も多いので、最終決定の投票時に石原氏がなおも知事であるかは不明だが、それでも石原氏の影響力が残っている場合には、東京に票は入れない可能性がある。その結果東京が落選するとなれば、マッチポンプであるとは言え、石原氏は日本社会にある種の貢献をして退場するということになるかもしれない。
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