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今はすこし落ち着きましたが
コメ不足が話題になっていましたね
私がスーバーに行ったときも、もち米しか残っておらず
「何事
」と驚きました。
米騒動は歴史の教科書の中で習うものだと思っていましたが
まさかこのように体験する日が来るとは……
道典の中にもご飯が出てくる場面は何度もあるのですが
今回のひとつ紹介したいと思います![]()
食べて生きるのも天地の造化である
「外に出ずに部屋の中でご飯を炊いて
食べることが出来る世の中が来ても、
自ら努力しなければ飢え死にしてしまうのだ。
世の中は日々移り変わっていくのだ。
その中で、このように食べて生きるのも
天地の造化である」
『道典』(韓日対訳) 9編12章5-6節
実は、初めに思い浮かんだのは別の聖句だったのですが、
こちらの方が今回はあっているかなと思って選びました![]()
道典の中にのっているのは100年以上前の話なので
当時はご飯と言えば部屋から出て
かまどで焚かなければならなかったんですよね
「外に出ずに部屋の中でご飯を炊いて
食べることが出来る世の中」
まさに一家に一台炊飯器(コンロの方も)の今の話ですね
「このように食べて生きるのも天地の造化である」
私たちがお米をはじめとする食べ物を食べられているのは
自分の努力もありますが、
農家さんや、流通に関わる方、食べ方を考えてくれた先人
色々な方の努力の上に成り立っていますよね。
その根本には天地の造化があります
天地があって、規則だたしく理に則り循環して
私たちは食べ物を得て生きていることが出来ます
天地が、今日はつかれたから休むと言っったり
しばらくバカンスに行ってくると言ったら
私たちは生きていけないですよね笑
食べ物一つとっても
天地の造化で
人にも天地にも、自分にも感謝しながら
ご飯を食べたいと思います![]()
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