海外で活躍する本場のストリートダンサーに自身のダンス背景やダンス観を伺うインタビューコーナー。第一回目は、この4月にエンタテインメント・ダンスショー『エレクトリック・シティ』の公演で来日したNYダンス集団「THE MOVEMENT」。その発起人であり代表を務めるエンジェル・フェリシアーノさんです。




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[プロフィール]
ANGEL FELICIANO(エンジェル・フェリシアーノ)
NYのスパニッシュハーレム出身。「ダンスと演劇と音楽を融合させた独自のダンスボキャブラリー」と評される個性的なステージを生み出すダンサー/振付師として、米国内で高く評価されている。ポッピングやロッキング、ブレイキング、ハウスなどHIPHOPダンスのさまざまなスタイルを習得後、ブロードウェイやコンテンポラリー、ジャズからの影響も取り入れる。またエリザベス・スウェイドス作「The Hating Pot」でオフブロードウェイ・デビュー。ミュージカル俳優としても活躍することで、そのダンススタイルに更なる演劇的要素を付加。「他に類のない世界的なパフォーマンスを創作する」というコンセプトから『THE MOVEMENT: A THEATRICAL EXPERIENCE』を立ち上げた。「THE MOVEMENT」ではストーリーテリングから作曲、演出、パフォーマンスと多彩な才能を発揮し、ヨーロッパツアーも大成功を収める。2011年4月にはTAKAHIROを含むメンバーと共演でTHE MOVEMENT『エレクトリック・シティ』を東京・名古屋・大阪でも開催し、大盛況のうちに幕を閉じた。





——— ダンスを始めたきっかけを教えてください。
僕が育ったニューヨークのイースト・ハーレム近辺では、もしダンスをしていなかったら、その地域には馴染めなかったんだよ。その地域では、毎年夏になると黒人が集まるパーティーをやっていて、あっちこっちの道や場所でDJが朝から晩までターンテーブルをセットして音楽をかけていたんだ。僕はそれまで一度もプロになるためのダンスクラスを受けたことはなかったけれど、母がその時は外に僕を連れ出してダンスを一緒に踊ってくれたんだ。というより、ダンスを一日中踊らなきゃいけない状況だったかな。それが僕にとってのダンスクラスだったね。あの頃は、僕がその後にダンスカンパニーを運営しているなんて考えてもいなかったけど。だから、僕がダンスを始めたきっかけは、生まれ育った場所がそういうところだったということなんだ。


——— プロダンサーになった経緯はどういうものだったのですか?
実は、僕がダンサーとして活動し始めたのは遅い方なんだ。6歳から常に踊ってはいたけど、ダンサーとして活動し始めたのは13の頃で、その時にはまだダンサー活動に身を置いていくなんて全く考えていなくて、18歳の時にブリトニー・スピアーズやイン・シンクなどのオーディションを通してプロダンサーに目覚めた。その頃はイン・シンクが男性グループで人気があったんだけど、彼らの振付全般を手掛けていたダリン・ヘンソンと出会ったことが僕にプロダンサーとしてなることを勇気づけてくれた。僕は彼に「PVのオーディションに参加させてくれ」とか「アーティストのバックダンサーとして使ってくれ」とか言っていたね。そんな風にプロダンサーへの世界が開けていったんだよ。それはずっと楽しかったけれど、まだ自分のダンスカンパニーをニューヨークで立ち上げるなんてことは全く考えていなかった。なぜなら、その頃のニューヨークではダンサーの仕事が少なくて、仕事はL.Aの方にあったから、まわりのダンサーはみんなお金を貯めてL.Aに引っ越したいという気持ちがあったんだよ。でも僕はお金を貯めてニューヨークに留まりたいという気持ちがあったから、最終的に自分が望んでいたように、貯金していたお金を使って「エレクトリック・シティ」という舞台をここで始められたんだ。


——— 今の日本のストリートダンス文化についてはどう感じていますか?
正直言って、僕は自分がいるニューヨークにすごく刺激を受けている。なぜなら、ニューヨークシティは、ブロンクス地区を背景にブレイクダンスなどのストリートダンスを生んだ素晴らしい場所だからね。でも世界中を旅行して、特にここ日本に来て、この国のダンス雑誌をいろいろと見せてもらったんだけど、たくさんの雑誌から日本のダンスカルチャーの熱さを感じたんだ。僕が日本のスタジオで教えた上級者クラスの一つでも、5、6歳から18、19.20歳・・・もうとにかく生徒のダンスへの熱意がすごくて、信じられないくらい刺激をもらったよ。日本には本当にたくさんのダンスへの情熱に満ちていてハングリーな人達がいるよ。だから僕はニューヨークに戻っても、いろんな人たちに「日本のダンスカルチャーはすごいよ!」って言っているんだ。


——— JSDAの活動についてどう思われていますか? アメリカでもJSDAの様な活動は行われているのでしょうか?
僕はJSDAの活動はとても重要なことだと思っているよ。なぜなら、君たちが言うように、バレエダンスのようなものは除いて、ヒップホップなどのストリートダンスはまだまだ一般的なものではないからね。バレエの文化が何百年という歴史を積み重ねていることは明白で、それに比べるとヒップホップの文化はまだ浅いし、依然アンダーグラウンドの状況にあるんだ。だからJSDAの様な団体があることは、ダンサーを守る点でも大切だし、ストリートダンスの文化にもバレエにあるような“財団”みたいなものがバックグラウンドにあることは重要だね。そういったことで、しっかりしたダンススタジオに行った時に、行政や機関がストリートダンスを重要なものだと認識してくれたりするし、僕らがもっと国や州の行政からサポートを受けることに繋がるだろう。そして、プロダンサーの仕事もアーティストと同じくらいに給料が上がっていくはずだよ。


——— 今後、ストリートダンスの世界はどう変わっていくと思いますか?
僕はこれからのストリートダンサーは様々なことにチャレンジしていくことが大切だと思っているんだ。例えば、僕が今知っているところで、ロサンゼルスのB-BOYのダンサーはビデオカメラを購入して、自分達の映画を撮影することを学んだりしている。彼らは自分達で企画や台本も書いて、演技のクラスにも通っている。そんな風にダンサーがいろんな方向に変化していくことはすごく大切なことなんだ。ダンスのクラスにただ通っているだけでなく、演技や他のクラスに通ってみたり、映画を作ってみたり、お金を貯めてカメラを買ったり・・・わかるかな? ニューヨークのダンサーもよく何もしないでチャンスを待っているけれど、それでは何も起こらない。うまくいけば週末を使って、映画製作のクラスに通って、友達からカメラを借りて、B-BOYのダンスを撮影したりそんなことをしてれば、ちゃんとお金は作れるんだよ。だって今の僕らはチャンスを待っているだけでなく、美しい作品を撮れれば、それを映画フェスティバルに出品して監督にだってなれる時代にいるんだからね。


——— 日本の若いダンサー達へ今後プロになっていくためのアドバイスやメッセージをお願いします。
これは実におかしい話しなんだけれど、僕はむしろアメリカにいるストリートダンサーへメッセージを送りたいね。アメリカのダンサーを批判しようとしているわけでは全くないんだけど、昨日、自分のフェイスブックからも「アメリカのみんなはもっと日本人のダンサーを見習ったほうがいいよ」って投稿してしまったよ。だって、僕が日本のダンススタジオで会った若い世代の日本人ダンサーはみんなすごくハングリーで情熱的であったからね。それに比べて、ネガティヴに言うつもりはないけれど、アメリカの若いダンサーを教えていると彼らは携帯電話で遊んでいたり・・・5、6歳の子供みたいで本当に信じられないよ。僕はニューヨークシティに住んでいて、そこでも何が起こっているか知っているし、日本のダンサー事情もスタジオで見たことからだけじゃなくて、ダンス雑誌を読んだり、ダンスバトルを見てよく知っているつもりだけど、日本は本当に革新的だよ。この状況が続いてうまくいけばJSDAだって上手くいくだろうし、日本人のダンサーがどんどんアメリカにやって来て僕らと一緒に仕事をしていく機会を掴んでいって、さらに大きなチャンスを創り出せるだろうね。だから、日本のダンサーにどんなアドバイスをすればいいのかわからないけれど、もしあえて言うならば、「今していることをやり続けてほしい」ということかな。



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photography: Takashi Shimobaba
translation: Daisuke Yuzuka