ポップミュージック界を代表するマイケル・ジャクソンとマドンナの両方に認められた日本人ダンサーは、過去も未来も“Kento Mori”だけであろう。
ダンスを本格的に始めたのは、19歳からという彼が、なぜこれ程までに世界の多くのミュージシャンに圧倒的に支持されているのか?
そこには、確かな“答え”があった―――。

丹野(以下、丹) まず、子供の頃の夢とダンスを始めたきっかけを教えてください。
Kento Mori(以下、K) 小学校の時に覚えているのは、卒業式に「夢は何ですか?」みたいな一言を書くところに、わからないけど「世界征服」みたいな(笑)。高校の時に覚えているのは「スーパースター」です。どんな夢でも教えてくれっていうから「スーパースター!」と言ったら、「うんわかった。じゃぁそれはおいといて」みたいな感じで全く聞く耳を持ってもらえず(笑)。
先生は冗談にしか受け取ってくれなかったです。
丹 ははは(笑)それでダンスを始めたきっかけは?
K きっかけは「マイケル・ジャクソン」ですね。12、3歳くらいの時に彼のビデオクリップを見て、その魅力にとりつかれて僕もいつかあんな風に踊りたいと思うようになった。
丹 その時のマイケル・ジャクソンのPVって何だったんですか?
K いや、もう結局全てなんですよ。一番初めに買ったビデオというのは「デンジャラス」のアルバムと同時に出たビデオクリップがいっぱい詰まってるやつで、あれを機にマイケルのビデオを買い漁った。この一つのPVが印象にあるというよりか、彼が踊っている姿、歌っている姿、そのエンタテインメントがとにかく取り憑かれたように好きでした。
丹 マイケルの他にも影響を受けたミュージシャンはいますか?
K たくさんいますね。本当にたくさんいますけど、例えば日本で一人っていうなら、僕は「TOKONA-X」っていうラッパー。もう亡くなりましたけど。
丹 名古屋のラッパーですね。
K トコナは本当に大好きですね。彼がいなかったら今の自分は無いと思う。
丹 そこまで好きなんですか!?
K 例えば、ストリートダンスとかヒップホップとかそういうもので、日本人でもその世界に行けるんだなっていうのを自分が初めて目で見て耳にした瞬間っていうのが「TOKONA-X」だったんです。日本の音楽で、美空ひばりさんとかにしても、素晴らしい人、世界にはいないシンガーっていうのは日本にも居たと思うんですけど、「TOKONA-X」のような、欧米の音楽で、それもブラックミュージックっていうもので、日本人でも世界レベルで太刀打ちしてやっていけるというのを、彼はダンサーではないですけれど、ラッパーとして見せてくれた。僕にそれを初めて感じさせてくれて、すごい勇気をもらったし、同時に彼の死とともに、本当に「後で後悔はしたくない」って思って、今できることをやりたいってことを思わしてくれたアーティストなんです。
丹 なるほど、TOKONA-Xがそこまで好きな理由がわかりました。海外のダンサーで好きな方っていうのはいるんですか?
K 海外で? 誰を言おうかな・・・ ほんとにたくさんいるけど、マイケルの次にこの人だけっていうよりも、例えばポッピンだったらFlat Topだったり、Boppin Andre、Poppin' Tacoというのが好きだったり。クランピングだったら、Tight EyesやLil' Cとか好きだったり、振り付けだったらRich & Toneが良かったりっていう、専門的でちょっと一般の人が聞いてもわからないかもしれないですけど、本当にたくさんいますね。
丹 僕もFlat Topは大好きです。あのコマ送りの感じ。ちなみに、今一番注目しているミュージシャンやダンサーの方っていますか?
K 新しいものでも古いものでも、とにかく良いものはいつも注目しています。強いて言うなら、僕が今手がけているちびっ子ダンサーたちの中で、すごくマイケルに影響を受けている子たちがいるんですけど、そこの子たちは僕に会うまでダンスレッスンも受けたこともなければ、ダンスオーディションというのも僕のオーディションが初めてで、全部自分でマイケル・ジャクソンを聞いて学んだ子たちなんです。カウントの数え方さえもわからないんですけど、カウントどおりに世界観も含めてやりたいことを全部できちゃうんです。「何でできるの?」って聞いたら、「音楽を聴くと、なんとなくわかる」っていうんですよ。一般にいるキッズダンサーとはまたひと味違う輝き方をするんです。なぜかっていうと、自分からリアルに100%の表現をしてるから。こういう時はこういう表情をする、こういう時はこんなダンスをするっていう感覚はゼロで、彼らは本当に自分が思ったままに踊るので、僕はもうこの先この子たちがすごいものになっていくんじゃないかなと注目していますね。

丹 本当に楽しみですね。Kentoさんがダンスをしていて良かったと思うのはどんなことですか?
K たくさんありますけど、まずひとつは人と人とが繋がっていけること。こうやって僕が今も皆さんとつながっているのもダンスを通して、Kento Moriだけだったらダメだったのもダンスがあったからこそだし、それは、僕が日本人のダンサーとして世界と繋がっていけることを本当に実体験として経験したことです。だから世界中どの国に行っても、たとえ言葉が全くわからなくても、ダンスを見せたら自分というものを知ってもらえる。あとやっぱり踊るとこう気持ちいいですし、フラストレーションがあっても、それを良い意味でポジティブなものに変えれる何か一つのツールというか方法でもあると思う。自己表現という面でも、自分自身を表現する一つのあり方なので、だからダンスをしていて良かったことっていうのはその辺りじゃないですかね。
丹 中学校の頃からダンスを始めたということですが、プロダンサーになろうって決めたターニングポイントというのはどんな時だったんですか?
K いや、実際にプロダンサーになろうって決めたことは今まで一度もないですね。僕がプロダンサーという意識を持ったのは、マドンナのツアーが始まった頃ですけど、それは後からついてきたものです。僕自身がダンスを中学の時に始めたのも本当に趣味や遊びで始めたことで、実際にダンスを真剣にやり始めたのは19歳くらいになってからでした。だから19歳までは、まわりのダンスや音楽が好きな人と同じ様に趣味程度の感覚で、プロダンサーになったという自覚は、いま自分が実際にダンスで生活している、お金を貰って自分のダンスが仕事になっているのを実感した時に「これは恐らく俗に言うプロダンサーなんだな」と気づかされたというか。だからプロダンサーになろうと思ったことは全くないし、それよりもとにかく自分が世界一のダンサーになりたい、よりベストなダンサーになりたいという思いだけでしたね。
丹 海外でダンスをしようと思ったきっかけって何かあったんですか?
K 大きく言うと二つあります。とにかく日本の音楽エンターテイメントに対するフラストレーションが凄く溜まっていて、聞きたい音楽、見たいダンスって言うのが、自分の目にするところにはなかったというのが一つあります。だから自分は本場のアメリカでやっていきたいっていう気持ちがずっと強くなっていった。そしてもう一つは、ある朝起きたら涙が止まらない、そんなことが2回くらいあって、それはストレスが溜まっていたからかもしれないですけど、取り憑かれたように泣いているんです。自分でコントロールして感情を抑えることすらできないんですよ。こんなんじゃいけない、こんなんじゃいけない、自分の生きたい場所はここじゃない、本当に人生を無駄にしているっていうのが自分の中で連呼していて、気付いたら僕が中学生の時に亡くなったグランマっていう僕のおばあちゃんに、「自分の人生の行きたい方向じゃないところに行ってしまってごめんなさい」って謝っているんです。グランマが亡くなる前に「好きなものがあるなら今すぐ食べなさい。会いたい人がいるなら今すぐ会いなさい。やりたいことがあるなら、今すぐやりなさい。それでも人生はあまりに短いから。」ということを亡くなる前に言っていて、僕はその言葉がずっと心にあって生きていて、それとは別の人生を歩んでいたというのが自分の中で後ろめたい気持ちがあったから、あの朝起きて感情が爆発した。そんな経験にTOKONA-Xの死もあったりで、もう限界だと思って、自分の行きたい方向に行こうと、大学生活とかそんなのは全部捨てて、自分のやりたいことっていうのはわかってるんだから、それをほんと100%やれる、120%やれる環境に持って勝負しようと。
丹 いい話しですね。日本のダンサーというのは、アメリカではどう見られているんですか?
K ものすごく学ぶという姿勢が強い人たちという印象じゃないですかね。アメリカの大きなダンススタジオで、簡単に行ける地元のアメリカの子供たちより日本人が大多数を占めたりしてるのだから、日本人はわざわざ国を渡ってまでレッスンを受けにくるという印象だと思います。でも、学びたいっていう姿勢はいいと思うんですけど、その学んだあとにどれだけクリエイトして、自分色に変えていけるかってことについては、アメリカ人の方が強いかなっていうのはあると思います。
丹 Kentoさんの姿を見て、自分も海外で活躍したいと思っている人が多いと思いますが、アドバイスを一つ与えるとするならば、何かありますか?
K 一つだとしたら、自分を信じろってことですね。結局、自分の人生は自分だけだし、自分という人間はその人しかいない。僕がL.A.に行って間もない時に、アメリカでプロダンサーとしてのビザが取れなくて日本に帰ろうとしていたダンサーから「Kento、俺もこうしたし、あんな仕事もしたし、いろいろやったけど無理だったから、ケントも無理だよ」ってはっきり言われたんですよ。僕は、もう本当にそれが印象的で忘れられなくて。僕は自分に自信があったからそんなことで気持ちをへし折られることはなかったですけど、すごい憤りを感じたのは、まず君と僕のダンスは全く違うし、世界観も違えば感性も違うし、人間も違う。今、僕が見ているビジョンも彼とは違うし、それなのに同じ日本人という括りで「自分ができないから君もできない」ってよく言えるなと。僕が今も思っているのは、例えば僕ができなくても彼ができるかもしれないし、彼ができなくても僕ができるかもしれない。それは人が違えば全てが違うわけだから、なんだって可能なわけで、人それぞれなんですよ。だからこれから学ぶ人で本当に海外での成功を望むなら“自分を信じてやる”それしかないんじゃないですかね。

丹 話しは変わりますが、今までのダンサー生活で一番印象深いエピソードは何ですか?
K やっぱりマイケル・ジャクソンに会ったことですね。僕は、マイケルっていうのは本当に雲の上どころか、もっと高い高い、もう一目見ることすら無理だっていう人のところで設定していた目標でした。実際に彼に会って、それも「あーマイケル~」みたいに手を振って終わるというのじゃなくて、彼が自分の専属ダンサーとして僕を選んで、握手しながら「Nice to meet you」って自分自身を彼に紹介できて、彼も自分自身を「初めまして」って紹介してくれて「これからツアーにでかけるよ」っていうことを言ってくれたあそこの場面っていうのは、この先は永遠に起きないし、彼に僕自身を一人のダンサーとして紹介するタイミングっていうのは、自分の25年間の人生でどこを振り返っても、あの「This is it」のオーディションしかなかったと思うんですよ。僕のダンス人生に与えられた、たった1回のチャンスをものにすることができたのだから印象深いということでそれに勝るものはないですね。
丹 JSDAについての率直な意見をお願いします。
K まだJSDAが具体的にどういう形でやっているのか把握していないので、そんなところで意見を言うのはできないですけれど、検定については、すごく難しいっていうのは絶対思います。すごく難しいと思うのは、ジャッジする人が本当の意味でのジャッジができるのか?と。僕にしてみたら、ジャッジは人それぞれなんです。例えば、僕の中では、才能あるって思った子が他のスタジオでは全然上手くないみたいなことを言われていて、簡単にダンスの振り付けを覚えられて、先生に言われた通りにしっかり踊れる子の方が良いダンサーだと思われている。その子たちの才能を見いだせる感性を持っているダンサーがいなかったりするので、ジャッジというのは、すごく難しいと僕が今やっていて感じているものなんですよね。でも、JSDAがダンスを活性化させて、日本中にムーブメントを起こそうと思っていることは、すごく良いことだと思っています。
丹 Kentoさんのプロジェクトにも、僕らJSDAが何かご一緒出来るときがあるんだったら是非。僕たちが今考えている検定システムっていうものも、もちろんいろんな価値観があって基準値っていうのもあるので、一概にこれが正しいかっていうことはまた別の話なんですけど、一つのダンスにふれ合えるきっかけになり、何か可能性があるなっていうのは感じますね。
K そうですね。すごく素晴らしいことだと思うし、そういうムーブメントを起こしていくことが大切なんですよね。どんな形でもダンスで何かが起きているっていうのはすごくいい事なんです。今、世界中でダンスってものすごい注目されていて、日本でもこれだけダンス人口も増えて、でも僕はもっともっと大きくしていこうと思っているので、とにかくダンスが広まって、サッカーや野球くらいのレベルにダンスを持っていこうと思っています。
丹 ワクワクしますね! 今後のKentoさんの夢と抱負を教えてください。
K 僕自身が変えていこうと思っているのは、ひとりのダンサーとしてちゃんとリスペクトされた形での在り方っていうのを見いだしたいんですよ。例えば、一般の人に「ストリートダンサーで誰か知っている人が思い浮かびますか?」って聞いた時に、SAMさんとかEXILEのHIROさんとか出たとしても、それはまず先にアーティストグループとして認知された上での世の中での存在の在り方だと思うんですよ。そういったアーティストグループダンサーからスタートする在り方というのも、もちろん良いと思うんですけど、僕はそういったダンサーの存在の在り方だけではなく、ひとりのストリートダンサーとして世の中に認知されて、それが職業としても成り立つのを作り上げたいし、それを僕が一番初めに成し得たいと思っているんです。それをやることで、この先に出てくる人たちにこういう存在の仕方があるんだよって可能性を見いだすこともできるし、立ち位置やその場所を作ってあげたいんですよ。ダンサーが「○○の大会で優勝しました!」って言っても一般の人たちがその凄さが分かるかっていったらなかなか分からないと思う。でも、僕のこのマイケル・ジャクソンとマドンナに絡んだストーリーっていうのは、こうやって世の中がすごく注目してくれているじゃないですか? それには理由があると思うし、こんなに人が注目してくれたチャンスを無駄にすることだけはできないと思っていて、だからこれをダンス界に還元することが僕の次の目標であるんです。
丹 最後にダンスを学んでいる方々にメッセージをお願いします。
K 本当にダンスを楽しんでもらいたい。ダンスをもっと身近に感じて、何かポジティブなものを得てほしい。ダンスをすることでストレス解消だったりとか、どんなことでもいいんですよね。野球やサッカー、カラオケなんかも一緒だと思うんですけれど、ダンスもそのくらい身近に楽しむツールの一つとして、もっともっと広げていきたいと思うので、とにかくダンスをどんどん楽しんでやっていって欲しいです。そして、この先に僕と何かの形で繋がってもらえたらなと思っています。
丹 非常に熱いお話有難う御座いました。

ダンスを本格的に始めたのは、19歳からという彼が、なぜこれ程までに世界の多くのミュージシャンに圧倒的に支持されているのか?
そこには、確かな“答え”があった―――。

丹野(以下、丹) まず、子供の頃の夢とダンスを始めたきっかけを教えてください。
Kento Mori(以下、K) 小学校の時に覚えているのは、卒業式に「夢は何ですか?」みたいな一言を書くところに、わからないけど「世界征服」みたいな(笑)。高校の時に覚えているのは「スーパースター」です。どんな夢でも教えてくれっていうから「スーパースター!」と言ったら、「うんわかった。じゃぁそれはおいといて」みたいな感じで全く聞く耳を持ってもらえず(笑)。
先生は冗談にしか受け取ってくれなかったです。
丹 ははは(笑)それでダンスを始めたきっかけは?
K きっかけは「マイケル・ジャクソン」ですね。12、3歳くらいの時に彼のビデオクリップを見て、その魅力にとりつかれて僕もいつかあんな風に踊りたいと思うようになった。
丹 その時のマイケル・ジャクソンのPVって何だったんですか?
K いや、もう結局全てなんですよ。一番初めに買ったビデオというのは「デンジャラス」のアルバムと同時に出たビデオクリップがいっぱい詰まってるやつで、あれを機にマイケルのビデオを買い漁った。この一つのPVが印象にあるというよりか、彼が踊っている姿、歌っている姿、そのエンタテインメントがとにかく取り憑かれたように好きでした。
丹 マイケルの他にも影響を受けたミュージシャンはいますか?
K たくさんいますね。本当にたくさんいますけど、例えば日本で一人っていうなら、僕は「TOKONA-X」っていうラッパー。もう亡くなりましたけど。
丹 名古屋のラッパーですね。
K トコナは本当に大好きですね。彼がいなかったら今の自分は無いと思う。
丹 そこまで好きなんですか!?
K 例えば、ストリートダンスとかヒップホップとかそういうもので、日本人でもその世界に行けるんだなっていうのを自分が初めて目で見て耳にした瞬間っていうのが「TOKONA-X」だったんです。日本の音楽で、美空ひばりさんとかにしても、素晴らしい人、世界にはいないシンガーっていうのは日本にも居たと思うんですけど、「TOKONA-X」のような、欧米の音楽で、それもブラックミュージックっていうもので、日本人でも世界レベルで太刀打ちしてやっていけるというのを、彼はダンサーではないですけれど、ラッパーとして見せてくれた。僕にそれを初めて感じさせてくれて、すごい勇気をもらったし、同時に彼の死とともに、本当に「後で後悔はしたくない」って思って、今できることをやりたいってことを思わしてくれたアーティストなんです。
丹 なるほど、TOKONA-Xがそこまで好きな理由がわかりました。海外のダンサーで好きな方っていうのはいるんですか?
K 海外で? 誰を言おうかな・・・ ほんとにたくさんいるけど、マイケルの次にこの人だけっていうよりも、例えばポッピンだったらFlat Topだったり、Boppin Andre、Poppin' Tacoというのが好きだったり。クランピングだったら、Tight EyesやLil' Cとか好きだったり、振り付けだったらRich & Toneが良かったりっていう、専門的でちょっと一般の人が聞いてもわからないかもしれないですけど、本当にたくさんいますね。
丹 僕もFlat Topは大好きです。あのコマ送りの感じ。ちなみに、今一番注目しているミュージシャンやダンサーの方っていますか?
K 新しいものでも古いものでも、とにかく良いものはいつも注目しています。強いて言うなら、僕が今手がけているちびっ子ダンサーたちの中で、すごくマイケルに影響を受けている子たちがいるんですけど、そこの子たちは僕に会うまでダンスレッスンも受けたこともなければ、ダンスオーディションというのも僕のオーディションが初めてで、全部自分でマイケル・ジャクソンを聞いて学んだ子たちなんです。カウントの数え方さえもわからないんですけど、カウントどおりに世界観も含めてやりたいことを全部できちゃうんです。「何でできるの?」って聞いたら、「音楽を聴くと、なんとなくわかる」っていうんですよ。一般にいるキッズダンサーとはまたひと味違う輝き方をするんです。なぜかっていうと、自分からリアルに100%の表現をしてるから。こういう時はこういう表情をする、こういう時はこんなダンスをするっていう感覚はゼロで、彼らは本当に自分が思ったままに踊るので、僕はもうこの先この子たちがすごいものになっていくんじゃないかなと注目していますね。

丹 本当に楽しみですね。Kentoさんがダンスをしていて良かったと思うのはどんなことですか?
K たくさんありますけど、まずひとつは人と人とが繋がっていけること。こうやって僕が今も皆さんとつながっているのもダンスを通して、Kento Moriだけだったらダメだったのもダンスがあったからこそだし、それは、僕が日本人のダンサーとして世界と繋がっていけることを本当に実体験として経験したことです。だから世界中どの国に行っても、たとえ言葉が全くわからなくても、ダンスを見せたら自分というものを知ってもらえる。あとやっぱり踊るとこう気持ちいいですし、フラストレーションがあっても、それを良い意味でポジティブなものに変えれる何か一つのツールというか方法でもあると思う。自己表現という面でも、自分自身を表現する一つのあり方なので、だからダンスをしていて良かったことっていうのはその辺りじゃないですかね。
丹 中学校の頃からダンスを始めたということですが、プロダンサーになろうって決めたターニングポイントというのはどんな時だったんですか?
K いや、実際にプロダンサーになろうって決めたことは今まで一度もないですね。僕がプロダンサーという意識を持ったのは、マドンナのツアーが始まった頃ですけど、それは後からついてきたものです。僕自身がダンスを中学の時に始めたのも本当に趣味や遊びで始めたことで、実際にダンスを真剣にやり始めたのは19歳くらいになってからでした。だから19歳までは、まわりのダンスや音楽が好きな人と同じ様に趣味程度の感覚で、プロダンサーになったという自覚は、いま自分が実際にダンスで生活している、お金を貰って自分のダンスが仕事になっているのを実感した時に「これは恐らく俗に言うプロダンサーなんだな」と気づかされたというか。だからプロダンサーになろうと思ったことは全くないし、それよりもとにかく自分が世界一のダンサーになりたい、よりベストなダンサーになりたいという思いだけでしたね。
丹 海外でダンスをしようと思ったきっかけって何かあったんですか?
K 大きく言うと二つあります。とにかく日本の音楽エンターテイメントに対するフラストレーションが凄く溜まっていて、聞きたい音楽、見たいダンスって言うのが、自分の目にするところにはなかったというのが一つあります。だから自分は本場のアメリカでやっていきたいっていう気持ちがずっと強くなっていった。そしてもう一つは、ある朝起きたら涙が止まらない、そんなことが2回くらいあって、それはストレスが溜まっていたからかもしれないですけど、取り憑かれたように泣いているんです。自分でコントロールして感情を抑えることすらできないんですよ。こんなんじゃいけない、こんなんじゃいけない、自分の生きたい場所はここじゃない、本当に人生を無駄にしているっていうのが自分の中で連呼していて、気付いたら僕が中学生の時に亡くなったグランマっていう僕のおばあちゃんに、「自分の人生の行きたい方向じゃないところに行ってしまってごめんなさい」って謝っているんです。グランマが亡くなる前に「好きなものがあるなら今すぐ食べなさい。会いたい人がいるなら今すぐ会いなさい。やりたいことがあるなら、今すぐやりなさい。それでも人生はあまりに短いから。」ということを亡くなる前に言っていて、僕はその言葉がずっと心にあって生きていて、それとは別の人生を歩んでいたというのが自分の中で後ろめたい気持ちがあったから、あの朝起きて感情が爆発した。そんな経験にTOKONA-Xの死もあったりで、もう限界だと思って、自分の行きたい方向に行こうと、大学生活とかそんなのは全部捨てて、自分のやりたいことっていうのはわかってるんだから、それをほんと100%やれる、120%やれる環境に持って勝負しようと。
丹 いい話しですね。日本のダンサーというのは、アメリカではどう見られているんですか?
K ものすごく学ぶという姿勢が強い人たちという印象じゃないですかね。アメリカの大きなダンススタジオで、簡単に行ける地元のアメリカの子供たちより日本人が大多数を占めたりしてるのだから、日本人はわざわざ国を渡ってまでレッスンを受けにくるという印象だと思います。でも、学びたいっていう姿勢はいいと思うんですけど、その学んだあとにどれだけクリエイトして、自分色に変えていけるかってことについては、アメリカ人の方が強いかなっていうのはあると思います。
丹 Kentoさんの姿を見て、自分も海外で活躍したいと思っている人が多いと思いますが、アドバイスを一つ与えるとするならば、何かありますか?
K 一つだとしたら、自分を信じろってことですね。結局、自分の人生は自分だけだし、自分という人間はその人しかいない。僕がL.A.に行って間もない時に、アメリカでプロダンサーとしてのビザが取れなくて日本に帰ろうとしていたダンサーから「Kento、俺もこうしたし、あんな仕事もしたし、いろいろやったけど無理だったから、ケントも無理だよ」ってはっきり言われたんですよ。僕は、もう本当にそれが印象的で忘れられなくて。僕は自分に自信があったからそんなことで気持ちをへし折られることはなかったですけど、すごい憤りを感じたのは、まず君と僕のダンスは全く違うし、世界観も違えば感性も違うし、人間も違う。今、僕が見ているビジョンも彼とは違うし、それなのに同じ日本人という括りで「自分ができないから君もできない」ってよく言えるなと。僕が今も思っているのは、例えば僕ができなくても彼ができるかもしれないし、彼ができなくても僕ができるかもしれない。それは人が違えば全てが違うわけだから、なんだって可能なわけで、人それぞれなんですよ。だからこれから学ぶ人で本当に海外での成功を望むなら“自分を信じてやる”それしかないんじゃないですかね。

丹 話しは変わりますが、今までのダンサー生活で一番印象深いエピソードは何ですか?
K やっぱりマイケル・ジャクソンに会ったことですね。僕は、マイケルっていうのは本当に雲の上どころか、もっと高い高い、もう一目見ることすら無理だっていう人のところで設定していた目標でした。実際に彼に会って、それも「あーマイケル~」みたいに手を振って終わるというのじゃなくて、彼が自分の専属ダンサーとして僕を選んで、握手しながら「Nice to meet you」って自分自身を彼に紹介できて、彼も自分自身を「初めまして」って紹介してくれて「これからツアーにでかけるよ」っていうことを言ってくれたあそこの場面っていうのは、この先は永遠に起きないし、彼に僕自身を一人のダンサーとして紹介するタイミングっていうのは、自分の25年間の人生でどこを振り返っても、あの「This is it」のオーディションしかなかったと思うんですよ。僕のダンス人生に与えられた、たった1回のチャンスをものにすることができたのだから印象深いということでそれに勝るものはないですね。
丹 JSDAについての率直な意見をお願いします。
K まだJSDAが具体的にどういう形でやっているのか把握していないので、そんなところで意見を言うのはできないですけれど、検定については、すごく難しいっていうのは絶対思います。すごく難しいと思うのは、ジャッジする人が本当の意味でのジャッジができるのか?と。僕にしてみたら、ジャッジは人それぞれなんです。例えば、僕の中では、才能あるって思った子が他のスタジオでは全然上手くないみたいなことを言われていて、簡単にダンスの振り付けを覚えられて、先生に言われた通りにしっかり踊れる子の方が良いダンサーだと思われている。その子たちの才能を見いだせる感性を持っているダンサーがいなかったりするので、ジャッジというのは、すごく難しいと僕が今やっていて感じているものなんですよね。でも、JSDAがダンスを活性化させて、日本中にムーブメントを起こそうと思っていることは、すごく良いことだと思っています。
丹 Kentoさんのプロジェクトにも、僕らJSDAが何かご一緒出来るときがあるんだったら是非。僕たちが今考えている検定システムっていうものも、もちろんいろんな価値観があって基準値っていうのもあるので、一概にこれが正しいかっていうことはまた別の話なんですけど、一つのダンスにふれ合えるきっかけになり、何か可能性があるなっていうのは感じますね。
K そうですね。すごく素晴らしいことだと思うし、そういうムーブメントを起こしていくことが大切なんですよね。どんな形でもダンスで何かが起きているっていうのはすごくいい事なんです。今、世界中でダンスってものすごい注目されていて、日本でもこれだけダンス人口も増えて、でも僕はもっともっと大きくしていこうと思っているので、とにかくダンスが広まって、サッカーや野球くらいのレベルにダンスを持っていこうと思っています。
丹 ワクワクしますね! 今後のKentoさんの夢と抱負を教えてください。
K 僕自身が変えていこうと思っているのは、ひとりのダンサーとしてちゃんとリスペクトされた形での在り方っていうのを見いだしたいんですよ。例えば、一般の人に「ストリートダンサーで誰か知っている人が思い浮かびますか?」って聞いた時に、SAMさんとかEXILEのHIROさんとか出たとしても、それはまず先にアーティストグループとして認知された上での世の中での存在の在り方だと思うんですよ。そういったアーティストグループダンサーからスタートする在り方というのも、もちろん良いと思うんですけど、僕はそういったダンサーの存在の在り方だけではなく、ひとりのストリートダンサーとして世の中に認知されて、それが職業としても成り立つのを作り上げたいし、それを僕が一番初めに成し得たいと思っているんです。それをやることで、この先に出てくる人たちにこういう存在の仕方があるんだよって可能性を見いだすこともできるし、立ち位置やその場所を作ってあげたいんですよ。ダンサーが「○○の大会で優勝しました!」って言っても一般の人たちがその凄さが分かるかっていったらなかなか分からないと思う。でも、僕のこのマイケル・ジャクソンとマドンナに絡んだストーリーっていうのは、こうやって世の中がすごく注目してくれているじゃないですか? それには理由があると思うし、こんなに人が注目してくれたチャンスを無駄にすることだけはできないと思っていて、だからこれをダンス界に還元することが僕の次の目標であるんです。
丹 最後にダンスを学んでいる方々にメッセージをお願いします。
K 本当にダンスを楽しんでもらいたい。ダンスをもっと身近に感じて、何かポジティブなものを得てほしい。ダンスをすることでストレス解消だったりとか、どんなことでもいいんですよね。野球やサッカー、カラオケなんかも一緒だと思うんですけれど、ダンスもそのくらい身近に楽しむツールの一つとして、もっともっと広げていきたいと思うので、とにかくダンスをどんどん楽しんでやっていって欲しいです。そして、この先に僕と何かの形で繋がってもらえたらなと思っています。
丹 非常に熱いお話有難う御座いました。
