最近、疲れがとれないでいる。
寝ても疲れがとれない――いや、いろいろなことが
頭をめぐって、眠れやしない。何度か目が覚めてしまう。
眠ろうと缶ビールでもあけようものなら、何か
悪酔いしたようになる。
――“どうしたものかなぁ”
8月30日は気分転換に、友人と後楽園の幻想庭園
(夜間ライトアップ)をみたり、茶会に参加したりして、
心を落ち着かせてみた。
真鍋島は必要があっていく――だが、正直、眠った方が
自分の体のためではないか、とのことも考えた。
12月、外務省主導の事業で、アジア等から一週間程度、
短期留学生がくる。いろいろな国の生徒をあわせて、10人
と引率教員一名である。外務省からの依頼で、2日 学校に
通わせる必要があり、うちひとつは高校なのだが、あとの
一つは博物館などでも良い――教育機関ということで。
だいたいがテスト期間の来日で、高校はなかなか難しい。
なんとか、金光学園高校が受けてくれたが、あと一つである。
そんなことを考えていたとき、ある飲みの席で、笠岡諸島の
サポートをしている かさおか島づくり海社の守屋営業部長と
同席することになった。
守屋営業部長からの提案もあり、
(酒の勢い、雰囲気も手伝って)真鍋島へいくことが有力になった。
笠岡諸島は、島の盛り立てが盛んで、ことに、笠岡の人からすると、
「真鍋は今 熱い!」という。
学校としては、真鍋島の中学校にいくのである。
木造づくりで有名な学校である。
それから数ヶ月、私は企画だけたてて、真鍋の件はほったらかしに
してしまっていた。
8月も末になり、やっと予定のない日曜日ができた。
私は守屋さんに電話し、約束をとった。
9:10 笠岡初のフェリーに二人でのって向かった。年季のはいった
高速フェリー(?)にのった。そして、ゆられること45分。やっと、
真鍋島に着いた。
といっても、私は一度、向かう集団からはぐれてしまい、守屋さん
ともはぐれた。 とりあえず、学校の場所だけでも確認しようと
思って、ちょっと歩いてみた。
そんなちょっと歩いているだけで、3度くらい、島民の方々から
声をかけられた――それも昔からの知り合いのように。
そんなやりとりから、すぐに島の温かさを感じた。
学校へ向かう通り道で、守屋さんに会うことができた。
二人で学校へ向かい、校舎を見上げながら、鉄棒のところで、
企画の話しをした。
やっと、企画が具体化する一歩を踏むことができたのである。
笠岡市役所の出張所に向かった。
そこには、いろいろ人が集まり、話しをしていた。
移住希望者の方がおられ、島民の方から説明を聞いていた。
移住や引越し、島での暮らしなど、私も勉強になった。
その場で、PTA会長のアベさんにも会うことができ、少し
話しをした。PTA会長といっても、いかにも漁師というような
方である――僕はそんな雰囲気のアベ会長に魅了された(^^)
アベさんのご子息は、漁師ではないが、島育ちのため、船を
もっている。そこで、クルージングはどうか、と提案があった。
人数的にもなんとかなりそうなので、お言葉に甘えて、
一緒にいかせてもらった。
船にのりこみ、島をぐるっとまわった。少人数でまわるからこそ、
楽しく、また風をめいっぱい感じることができた。
そして、帰ってみれば、バーベキューである。アベさんによれば、
BBQはよくするが、特に日を決めているわけではなく、
集まったら、その雰囲気で「やるぞ!」と声してまわり、それぞれが
酒や食料をもちよって、行うのだという――そんなエピソードの一つ
一つが、島の雰囲気を伝えてくれた。
最初は肉や野菜などを焼いていたのだが、生きたタコまで登場してきた。
すっかり焼けて、すっかり飲んで、みんなと歓談して過ごした。
突然きた私を、みんな 仲間として受け入れてくれて、楽しい時間を
すごすことができた。
あるアニメ映画のセリフで、飛行艇乗りは空と海の両方で心を洗われると
いったものがあった。
私も、真鍋島ー笠岡の往復間でも、瀬戸内海の沖から外をながめながら、
これでもか! というほど、海と空をみた。8月最後の空は、眩しい
ばかりの晴天で、また、瀬戸内海も沖まででると、本当に大きさを感じざる
をえない。それも小さな高速船で走り抜けていくのだから・・・・。そして、
着いてからもクルージングして、半強制的に、心を洗われてきた気がした。
とことんまで洗われて、何も残っていないのではないか、と思うほど。
でも、そうして洗ってみると・・・・陸で悩んでいたことがどうでも
よく思えてくる。ごちゃごちゃした人間関係や仕事のことなんて、
島にいけば、忘れてしまうほどだった。
神様の悪戯か、ストレスのたまりにたまった時期に、真鍋へいった。
でも、どうも、すべて、瀬戸内海と大空に解けてしまったようだった。
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