ジュリ友さんより、教えていただきました。
18日の読売新聞の高田文夫さんのインタビュー記事に、
『同じ誕生日のジュリー(沢田研二さん)も頑張っているからさ』
 
高田さんは、ジュリーのことを必ずインタビュー記事に入れてくれます(^^♪
7月の朝日新聞の連載記事にも
 
 
「危険なふたり」も
 
高田文夫さんの朝日新聞の7月連載の「人生の贈り物」を読んで、若い時の放送作家の仕事ぶりを詳しく初めて知りました。
私が知る以上に、時代を作った凄い放送作家さんでした。
以下に人生と仕事を超簡単にまとめました。
 
『1970年代は歌番組の全盛期。週に何十本と書きまくった。紅白(歌合戦)の台本だって書いた。立川談志師匠との出会いがあった。
明治神宮で結婚式、椿山荘で宴。翌週、旧赤プリ(赤坂プリンスホテル)でパーティー。おしゃれなんだよ。だけど住まいは6畳一間のアパートで、「神田川」や「危険なふたり」がテレビやラジオから流れてた。
「8時だョ!全員集合」のいかりや長介は怖くてさ。笑いってこんなに真剣にやらなきゃダメなんだと思ったね。でもアドリブも無く作り込む笑いは、俺の求めてるものとは違うって意識もあった。1年くらいで、全員集合の現場からそっと逃げた。
1980年に漫才ブーム、日本の笑いの文化ががらっと変わった。たけしさんと出会い「オレたちひょうきん族」の放送作家としても活躍した。
40代で過労で倒れたり、2012年は心臓が止まって三か月入院したが、ラジオ・ビバリーヒルズは降板せずに周りが支えてくれた。青春は終わり、今は若手に「高田組」をつなぎたい。』
 

 

 

 

 

「京都府立鴨沂高校」
 

とても悲しいニュース・・

以前にジュリ友さんに連れて行ってもらいましたが、美しい昭和初期のアパートでした。

トッポがかつて住んでいたそうです。