12日、BSフジ火曜日、22:00~の「霜降り明星のゴールデン80’s」。元スパイダースの井上順さんがゲストだから、ザ・タイガースの話も出るかも?と教えて頂き、録画していました。

この番組、コーナーの区切りで区切りで「TOKIO」のイントロが何度も流れ、曲の浮遊感、お気楽感が番組に色を添えて面白い(^^; 何よりも、92年生まれのせいやさんが、GSに詳しいのには感心しました。 タイトルは「元スパイダースの井上順さん」としましたが、スパイダース時代を知る人は小数派だと思います。

ザ・タイガースの話は少しだけでしたが、GS好きの私には懐かしい話があったし、井上順さんが語るデビュー前からの歩みが、そのまま日本の芸能史の一端となっていて、面白かったです。

 


せいやさん、GS大好きだそうで、若いのに自分が産まれる

ずっと前のスパイダースに詳しくてビックリ。

小学生時代から聞いていたそうです。



井上順さんは、1965年、16歳でスパイダースに入る。
せいやさんが、GS時代から、今では大人気番組の
VIVANTに出ているなんて凄い!(堂々たる現役ですね)

GSのそれぞれのグループはどうだったんですか?に
井上さんは、あんまり競争心がなかった。
仲が良かった。
京都でファンの集いがあった時に、5人だけ男の子がいた、
それがファニーズ。ファンクラブにはいっていた。
テンプターズは同じ事務所で弟分。
マチャアキは、みんな頑張れよと言ってたら
ほんとに頑張って、すぐに人気が逆転した。

中学生の時に、「野獣会」に入る。
映画TVファッションに憧れている若者グループ
メンバーは、大原麗子など、
中学生、13歳で初めて六本木にいった。
隣に綺麗な女性がいると思ったら、加賀まりこ。

ジャズ喫茶で歌うようになった。
スパイダースは、F1で世界を廻っているレーサーから、
世界ではこういうのが流行っているよと、
世界のトレンドを聴いていた。
(レーサーは事故死した福沢幸男)
その情報をもとに、スパイダースは皆で歌も歌おうと
いう形になった。自分は後から入った。
誘ってくれた田辺に、何もしなくていい、
立っているだけでいいと言われ、これは嬉しい(笑)

せいやさんが、スゴイ人気でしたねに、
2年間は売れなかった。お客さんは全然入らなかった。
ミリタリールックは、かまやつさんのアイデア。
米軍キャンプ地周りで、情報収集。
それから、だんだん人気が出て来た。

 

せいやが一押し、スパイダースの名曲3選

夕陽が泣いている(1966年)
なんとなくなんとなく(1966年)
風が泣いている(1967年)

せいやさんが、この曲が大好き!!と熱く語っていました。
浜口蔵之介の作曲で、ドカン!と云った。
「夕陽が泣いている」のせいで売れた。

加賀まりこさんが麻雀が強かった、という話になって、
そんな(関係のない)話はいい、俺の大事な時間を取るな!
せいやさんが粗品さんにマジに怒っていました。この人、本気です。

この後は、夜のヒットスタジオの裏話など。面白かったです。
来週は、渡辺真知子さん。この番組、80,sだけではなくに、60~70年代の話もあるようです。 

かまやつさんが生前、自分たちのオリジナルではないからと「夕陽が泣いている(1966年)風が泣いている(1967年)」を否定するような発言でしたが、この2曲がなければ、スパイダースの人気は無かった、それは間違いがありません。私は、やっぱりスパイダースといえば、この2曲です。

※井上順さんがいた「野獣会」には後ろ盾があったそうで
一人は作曲家のすぎやまこういち氏。もう一人は渡辺プロダクション現名誉会長の渡邊美佐氏。

 

 

 

レーサーで若くして事故死した、福沢幸男さん(福沢諭吉の曾孫)に関しては、数年前にブログで取り上げたら、いまだに年に1回2回は、福沢ファンから熱いコメントが届きます。皆さん、語りたくてしょうがないみたい。私自身は、その名前を知るくらいなんですが、毛並みの良さ、モデルも務めた容姿、悲劇的な最期を遂げたヒーローなので、今でも 忘れがたい人もいるのでしょう。⇒ 福澤幸雄 - Wikipedia

キャンティの常連なら、トッポとも知りあいだったのかもですね。