JIDXの最中に引いてしまった風邪は悪化する一方で、咳が止まらないが、待望の朝がやってきた。前日はちょいと小MTGがあって、帰宅が予定より遅くなってしまったため、4時起き予定を5時起きに変更。5時に気合いで起き、朝飯を食った後、0530jに出発。お空は予報どおりの雨だ。しかし雨なので、紅葉目的のドライバーの進入が無くなって、逆に走りやすいのではないかと、良い方に考えた。

まずは名阪、名古屋高速経由で、R157の終点である岐阜の茜部本郷交差点に向かうがが意外に遠い。0810jにようやく茜部本郷交差点に到達。2h40mもかかってしまった。ここからは慎重にR157をトレース。JR岐阜駅に達した。ここに来たのは長良川総会以来か。駅の北側でちょいとミスルートしたが、Uターンしてなんとか奪還。しかし、その後、ルートを見失い、再びR157のおにぎりに再会はしたが、どうも途中県道を走ってしまったようだ。(帰宅後に調べたらやはりミスルートしていた)

茜部本郷交差点


岐阜市内

ネットに繋いでPCで調べることもできたが、この日はR157完走が目的ではなく、主題の区間の試走が目的なので、気にせず車を進めた。根尾能郷ゲートが近づくにつれ、雨天による土砂崩れでゲートが閉まっていないか、とても心配になってきた。

0926j、ゲートの200m程手前にある道路情報板に到達。情報板の上部には相変わらず通行止めの標識が鎮座しているが、9月の時は、「通行止」の札があった、一番下のスペースは「通行注意」に変わっている。これを見て「よっしゃ、行ける」と確信した。

道路情報板

本年9月、同じ場所にて

1分後、超有名看板「危険 落ちたら死ぬ!!」に再会。で左側を見ると、7年間(8年間という説もあり)開かずだったゲートが開いていた。完動の瞬間だ。一呼吸入れて0927jに発進。8月にR439に中村側から進入した時も雨だったことを思い出した。

超有名看板との再会

待望のオープン、根尾能郷ゲート

本年9月、同じ場所にて

バックの楽曲はNE-YOだ。ノリノリで死ぬ区間に進入。ん~やはり細い。対向車が来たらイチコロだ。どちらかがバックするしかない。それでもまあところどころ離合箇所が設けられているので、100mもバックさせられることはたぶんなさそうだ。

狭いっ。

しかし、この区間は「落ちたら死ぬ」と書いてあるが、ガードレールの装着率が極めて低い。白いポールはまあまあ建っておりポール間に虎ロープがかけられたりしている区間もあるが、こんなもんは、車重に耐えられるわけがないので、への突っ張りにもならない。落ちたら死ぬんだから、もう少しガードレールの装着率を上げてもいいと思うが。

曲がった白ポール

あいにくの天気で紅葉は楽しめないが、路面や法面を観察しながら走行。法面+路肩が大きく崩れたところは2箇所あった。手前(1918市側)が平成24年10月の(補修)完了。奥が平成22年9月の完了と表示されていたので、手前の崩落区間の工事が完了したのをもって、再び開通したようだ。

崩落箇所(奥側)

工事完了表示。

途中で撮影などしていたため15分強かかって、根尾黒津ゲートに到着。幸いにも対向車は1台も来なかったが、車を停めて写真撮影中に、工事関係者と思われるライトバンに1台後ろから追い抜かれた。その時は道路中央に停めていたので、あわてて横に寄せたが、たまたま広いところで幸いだった。

小石が転がっている。

無人の黒津集落を抜け、大河原集落を目指す。この部分も未走行だからだ。(9月の時は29県側から温見峠を越えてきたが、黒津まで走らず、大河原で県道に迂回した) 黒津を過ぎるとやたらニホンザルを見かける。我が物顔で道路に出ているが、車が近づくとちゃんと避けてくれる。猿がこちらの顔色をうかがっているのがおもろい。

ニホンザル。斜面に4匹います。

熊も出るようです。

0957jに無人の大河原集落を抜けたところの林道分岐地点に到着した。ここまでちょうど30分間の酷道走行を楽しめた。ここには「積雪により全面通行止」の看板と半開きのゲートが待ちかまえていた。このあたりはすでに所(木の陰など)によっては若干積雪があり、このままゲートの横を通過しても積雪に阻まれて温見峠までは行けないのだろう。

林道分岐地点の温見峠側にあった通行止め看板。

愛車はスタッドレスタイヤに履き替えていなかったが、そもそも今回はこの地点まで走行するのが目的なので、看板はなくてもこれ以上進入する予定はなく、ここでUターン。後ろを向くと、9月にあった「国道157号 岐阜方面 猫峠林道を迂回して下さい」の看板に黒ビニールがかけられ、ガムテープでしっかり留められていた。

林道分岐地点で本巣側を見る。

本年9月、同じ場所にて

復路も写真を撮りながら、酷道を堪能してゆっくり走行したため、再び能郷ゲートに到着したのは1027jで、たっぷり30分かかった。途中1台だけ離合があったが、中電の看板車で、先にこちらの車両を見つけてくれたと思われ、離合ポイントでちゃんと待ってくれていた。かくして往復60分に及ぶ「危険 落ちたら死ぬ!!」区間を楽しめ、大満足で帰路についた。

無人の大河原集落。

根尾黒津ゲート。(ここも7年間閉まっていた)

こんな道でスピードは出せないんですが。

小石を踏まないと通れません。

根尾能郷ゲートに帰還。

さらに、今回は話の続きがある。帰路はプチ運用を7拠点から行う予定で、順調にこなしていた。というか、たくさん呼んでいただけるので、各拠点30分程度の予定が、1時間以上の運用となっていた。

1918、19015A、1916を終了後、1902で運用中に制服を着用したお巡りさんに車の窓をノックされた。その時3R5Cを運用していたが、中断して車のドアを開けると、なんと職務質問。路肩や住宅地等ではなく、大きなショッピングセンターの駐車場なので、まさか職質を受けるとは想像していなかったが、遂に、一生で初めての無線運用に関わる職質AJAの初ポイントをゲットできた。

その時のログを見ると7分間中断しているので、職質は約7分間に及んだようだ。通報ですか、と聞くと通報ではないとのことだった。運転免許証の提示だけで済むかと思ったら、無線の免許も見せろということだったので、免許状を見せた。まずは局免の有効期限を確認されてOK、次に、(おそらく1200MHzのところを見たと思うが)、「出力は1Wですか」、という意表を突く質問をされ、こちらがひっくり返りそうになった。何でパソコンを2台も使っているんだといった、個人的興味ではないのかと思われる様な質問もされた。

想像するに、当方が怪しいから声をかけたのでなく、この日はパトロール中に職質対象の怪しい人物があまりいなかったので、ノルマを達成すべく興味本位で声をかけてきたような気はする。「ご苦労様でした」とこちらが頭を下げて、お引き取りいただいた。

1902終了後は、それまで好調だったScが消滅したためLBが中心となったが、予定どおり19001A 1909 19017Bと運用し、当初19jには終わって帰路につく予定だったが、皆様から多数コールをいただいたおかげで運用が終わったのは22jを回っていた。そのため、家にたどり着いたのは午前様だった。

酷道の堪能と、無線に関わる職質の初体験で大変充実した1日だった。